「馬の鼻先に人参」が経済学的に正しい--
プレジデントオンライン / 2018年12月28日 15時15分
大学在学中、のちの小泉純一郎内閣で大臣を歴任された竹中平蔵先生の研究会で学びました。当時も今も、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスでは必修科目の比重が低く、自分の興味関心にあわせた履修ができます。多くの女性と同じように私も理数系科目に苦手意識があり、入学当初は経済学を避けて履修していました。ところが、竹中先生のとてもユニークな経済原論の授業に感銘を受け、大学4年間で経済学や経済政策について学び、自分のものにしたいと考えるようになったのです。
大学卒業後は総合職として日本銀行に入行。私は常々、現実に起こっていることを説明するツールのひとつとして経済学を用いる竹中先生のあり方は、先生のキャリアがアカデミア一辺倒でなかったことと関係があるのではないかと感じていました。私も研究だけでなく、現実の政策形成にも強い関心があったので、新卒時は研究者になるとはあまり考えていなかったのです。日銀ではマクロ経済や国際金融市場の調査を担当していましたが、コロンビア大学公共政策大学院を卒業したあと、世界銀行にコンサルタントとして関わりました。そこで教育の政策評価の仕事に携わったことがきっかけとなり、現在は経済学の理論や方法を用いて「教育」という対象を分析する「教育経済学」を専門としています。
経済学はとても面白い研究分野です。多くの人は、経済学というと財政、金融、貿易などの経済的な事象を研究する学問だと思うかもしれませんが、それは正しくありません。私たちの身近な生活の中で起こることは、ほとんど何でも経済学の研究対象です。たとえば、スーパーの割引クーポン、詐欺、節水や節電、ダイエット、貯蓄、禁煙、献血。これらにはすべて経済学の有名な論文があります。特に近年は、ノーベル賞を受賞したリチャード・セイラー教授の研究でも有名になった「行動経済学」に注目が集まっています。心理学の分野の知見を取り入れた行動経済学は、人や企業が必ずしも合理的には行動しないことに着目した新しい分野です。女性も関心があるようなテーマを取り扱っていますし、直感的に理解できるようにわかりやすく書かれた一般書も多いので、ぜひ行動経済学から経済学の勉強をはじめてほしいです。
アメリカの大学では学部によらず、経済学は必修です。つまり、経済は経済学を学ぶ人だけが知っていればいいというものではなく、多くの人が知っていて損はないということ。私は、経済学の基本的な考え方を習得しているかどうかで、世の中の見方が大きく変わるのではないかとさえ思います。
近年の経済学は、「インセンティブのメカニズム」を明らかにしようとしていることに尽きます。インセンティブとは、人間の意思決定や行動を変化させるような「誘因」のこと。部下は何度言っても同じ間違いをするし、夫は家事を少しも手伝ってくれないし、子どもはまた宿題をする前にゲームに夢中になっている……。このような状況のとき、私たちはすぐ「言って聞かせればいつかはわかるはずだ」などといった根拠なき精神論に走ってしまいがちです。
しかし、よく考えてみてください。自分以外の人に「○○しなさい」と言うだけで、思いどおりになる例があるでしょうか。むしろ、うまくいかないことだらけではないでしょうか。問題を抱える本人の意思決定や行動を変化させる強いインセンティブがないのに、他人がいくら言って聞かせてもなかなか長期的な解決にはつながりません。そこで経済学では、本人を取り巻く制度を変えることによって、本人の意思決定や行動を変化させようと考えます。たとえば、子どもを勉強させようと考えた経済学者が用いたインセンティブは「お小遣い」です。これは実際に、アメリカの主要都市で実施された大規模な社会実験で、子どもが宿題をしたり本を読んだりすることに少額のお小遣いを出すことで、学力が上昇したことが示されています。このように、インセンティブをうまく使えば、暴飲暴食や喫煙などの人々の悪い習慣も断ち切り、良い習慣を促すこともできるのです。逆にインセンティブについてよく考えず、人々の善意に頼るような制度は、多くが失敗し、破綻しています。
私は、何が家族や同僚の意思決定や行動を変化させるインセンティブなのかを理解し、自分が家庭や職場の制度設計をするようなイニシアチブを取ることを皆さんにおすすめします。それが家族や同僚の正しい行動や習慣につながれば、いずれ彼らから感謝される日も来るでしょう。
経済学の基本的な考え方を身につけることができれば、家庭や職場をより良くすることができるのではないでしょうか。
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1998
慶應義塾大学を卒業後、日本銀行に入行
2005
コロンビア大学国際公共政策大学院でMPAを取得。世界銀行でインターンからコンサルタントに転じる
2010
コロンビア大学大学院でPh.D.を取得。東北大学グローバルCOEプログラム特任助教就任
2013
慶應義塾大学総合政策学部准教授就任(現任)
2015
『「学力」の経済学』ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版。30万部を超えるベストセラーに
2017
『「原因と結果」の経済学』(共著/ダイヤモンド社)を出版
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(慶應義塾大学総合政策学部准教授 中室 牧子 構成=福田 彩 撮影=強田美央)
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