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「あおり運転」する人の脳回路と復讐願望

プレジデントオンライン / 2018年12月22日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Chesky_W)

「あおり運転」事故で危険運転致死傷などに問われた石橋和歩被告に対し、横浜地方裁判所は12月14日、懲役18年を言い渡した。精神科医の片田珠美氏は「『あおり運転』をする人には、衝動制御障害、思考停止の状態、想像力の欠如が認められ、自己顕示欲と承認欲求が強い。また、危険な運転で味わった快感を忘れられず、依存症に陥っている可能性もある」と語る。あおり運転が多発する心理的メカニズムとは――。

■精神科医があおり運転する人の「やられたら、やり返す」を分析

昨年6月に起きた東名高速道路の「あおり運転」事故で、自動車運転死傷行為処罰法違反(危険運転致死傷)などに問われた石橋和歩(26)被告に対し、横浜地方裁判所は今月14日、懲役18年(求刑・懲役23年)の判決を言い渡した。

裁判長は、駐車方法を非難されて腹を立てたことが動機になったとして、「常軌を逸している」と述べた。たしかに、それくらいのことで腹を立て、「あおり運転」を4回も繰り返し、追い越し車線で停止させて結局2人を死亡させるのは、誘因と反応が不釣り合いな印象を受ける。

このように誘因と反応が不釣り合いなのは、多くの「あおり運転」に共通している。「あおり運転」をする側からすれば、急に前に割り込まれたとか、脇道から不意に車が出てきたというきっかけがあるのだろうが、そのせいでヒヤリとしたり、イライラしたり、ムカッとしたりしても、たいていの人は「ビックリした」「怖かった」などと思う程度で終わるだろう。

■仕返ししたいという復讐願望を満たそうとする心理

ところが、なかにはそれだけではすまず、頭に血が上ってしまう人がいる。そういう人は、カッとなりやすく、「やられたら、やり返す」をモットーにしていることが多い。だから、クラクションを鳴らして威嚇したり、前方の車との車間距離を極端に詰めたりする攻撃的な行動によって、仕返ししたいという復讐願望を満たそうとする。

こうした攻撃的な行動を目の当たりにすると、「それくらいのことで、どうしてそこまで過激なことをするのか?」という疑問を抱く方が多いはずだ。つまり、「あおり運転」の本質は過剰反応にあるといえる。そこで、なぜ過剰反応するのかについて精神医学的視点から分析すると、次の3つの要因が浮かび上がる。

(1)衝動制御障害
(2)思考停止
(3)想像力の欠如

それぞれの要因について解説しよう。

■車の中という「匿名性と安心感」が過激化に拍車

(1)衝動制御障害

過剰反応する人の多くは衝動コントロールができない。怒りや攻撃衝動をうまく制御できないので、ちょっとしたことで怒り出したり、手を上げたりする。そのため、しばしば「キレやすい人」「かんしゃく持ち」などと周囲から言われている。

こうした衝動制御障害に、運転中は拍車がかかる。これは、車に乗ることによって匿名性と安心感を得られると本人が思い込むからだ。似たような車がたくさん走っていて、ちょっと見ただけでは区別しにくいので、少々乱暴なことをしても特定されないだろうと考える。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/CasarsaGuru)

もっとも、実際には簡単に特定される。すべての車にナンバープレートがついているし、最近はドライブレコーダーを装備した車も増えているからだ。それでも、車に乗ることによって匿名性を獲得できると勘違いする。

また、車は鉄の塊なので、それに乗っていると守られているという安心感もある。とくに大きな車に乗っていると、この安心感が強くなる。そのため、車間距離を詰めたり、直前に割り込んだりしても、自分は大丈夫と思い込みやすい。

このように、車に乗ることによって匿名性と安心感を得られると本人が思い込むことは、「あおり運転」の重要な要因である。というのも、普段は怒りや攻撃衝動を何とか制御できている人でも、運転中は匿名性と安心感によって過激な行動に走ることがあるからだ。「運転中は人が変わる」と言われるのは、このタイプに多い。

■大きな車や高級車に乗ると優越感や特権意識を抱きやすい

(2)思考停止

カッとして頭に血が上ると、仕返しすることしか考えられなくなり、思考停止に陥る。客観的にはどうであれ、少なくとも本人は「あの車のせいで邪魔された」「あの車が割り込んだせいで遅くなった」などと被害者意識を抱き、それから生じる怒りと復讐願望を募らせるからだ。

とくに大きな車や高級車に乗っていると、優越感や特権意識を抱きやすい。だから、「自分はこんなにいい車に乗っているのだから、特別扱いしてもらって当然のはずなのに、邪魔しやがって」と腹を立てる。その結果、自分の車の走行の邪魔をしたとみなす車に怖い思いをさせて、「自分の車はこんなにすごいんだ」ということを思い知らせようとする。つまり、「なめるな!」というメッセージを送って、自分の優位性を誇示したいのである。

(3)想像力の欠如

石橋被告が、被害者の車を追い越し車線で停車させたのは、こういうことをするとどのような結果を招くかということに考えが及ばなかったからだろう。追突事故が起こりうる可能性を想像できなかったからこそ死傷事故を引き起こしたわけだが、このような想像力の欠如は「あおり運転」にしばしば認められる。

車間距離を極端に詰めたり、直前に割り込んだりすれば、事故を起こす可能性があるのに、その可能性を想像できない。また、相手の車が恐怖を感じて警察に通報すれば、逮捕される可能性もあるのだが、そのことにも想像力が及ばない。平たくいえば「何も考えてない」わけで、だからこそ「あおり運転」という無謀な行為に走るのだともいえる。

■道路は、自己顕示欲・承認欲求を満たす「最高の舞台」

自己顕示欲と承認欲求

石橋被告は、昨年6月の東名高速での「あおり運転」事故だけでなく、山口県での交通トラブルをめぐる強要未遂罪2件、器物損壊罪1件にも問われ、あわせて懲役18年を言い渡された。彼に限らず、「あおり運転」をさまざまな道路で繰り返すケースが多い印象を受ける。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/gehringj)

これは、「あおり運転」に走りやすい人は、衝動コントロールができないことに加えて、自己顕示欲と承認欲求が強いからだろう。もちろん、自己顕示欲も承認欲求も誰の心の奥底にも潜んでいるが、「自分はこんなにすごいんだ」と誇示したいとか、他人に認められたいという欲求が満たされていれば、そういう欲求を「あおり運転」で満たそうとする必要はないはずだ。

たとえば、ボランティア活動が認められて表彰された人、あるいは職場で自分の能力を評価され、やりがいを感じて働いている人は、自己顕示欲も承認欲求も満たされているので、それを「あおり運転」で満たそうとはしない。

やはり「あおり運転」に走る人は、自己顕示欲も承認欲求も満たされていないので、それを道路という舞台で満たすしかないのだと思う。石橋容疑者にとって、道路は最高の舞台であり、そこでしか自己顕示欲と承認欲求を満たせなかったのではないか。

裏返せば、それだけ欲求不満が強いということで、「あおり運転」以外に欲求不満のはけ口がなかったのだとも考えられる。他の車のドライバーに恐怖を与え、自分の優位性を誇示するくらいしか、日ごろの欲求不満を発散する手段がないのだろう。

■「あおり運転依存症」は治療を受けさせるのが望ましい

「アディクション(嗜癖)」の可能性

うがった見方をすれば、「あおり運転」によってある種の快感を味わったため、やめられなくなった可能性も考えられる。このように、快感を与えてくれる行為をやめられなくなり、病みつきになることを精神医学では「アディクション(嗜癖)」と呼ぶ。薬物やアルコールに依存するのと同様に行為に依存するわけで、「行為への依存症」ともいえる。

ギャンブル依存症、買い物依存症、ネット依存症などは、この「アディクション」の範疇に入る。最近、万引きで逮捕・起訴された元マラソン選手の女性が、執行猶予付きの有罪判決を受けた際、「クレプトマニア(窃盗症)」と診断されたことを告白して話題になったが、これも「アディクション」の1つである。

「あおり運転」を何度も繰り返すドライバーは、その行為によって快感を覚え、やめたくてもやめられなくなっている可能性が高い。だから、「あおり運転依存症」とみなし、「アディクション」の治療を受けさせるのが望ましい。また、やめなければならないという自覚を持たせるためにも、厳罰に処すべきである。

(精神科医 片田 珠美 写真=iStock.com)

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