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なぜ認知症の人は"近所で迷子"になるのか

プレジデントオンライン / 2019年1月10日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/maroke)

「近所のスーパー」から帰れなくなる認知症の人がいる。何度も行っているはずの場所で迷うのはなぜなのか。大阪大学大学院の佐藤眞一教授は「店内を歩いているうちに、『家からスーパーに来た』という直近の記憶が失われてしまう。認知機能が低下しているため、周りを見ても自分がスーパーにいると理解できない。地図上ではなく“認知上の道”で迷っているのだ」と解説する――。

※本稿は、佐藤眞一『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■バス旅行で迷子、スーパーの帰り道で保護

Kさんは、夫を亡くしてから一人暮らしをしています。近所に住む息子とその妻が、ときおり様子を見に行っていますが、その際に冷蔵庫をチェックすると、同じ瓶詰めが何本も入っていたり、同じ漬け物が何パックもあったりします。賞味期限が切れているものは持ち帰って捨てるようにしていますが、古いものを食べて食中毒でも起こしたらと、気が気ではありません。

「物忘れも多くなったし、そろそろ一緒に暮らした方がいいだろうか?」と夫婦で話したその直後、老人会で行ったバス旅行のトイレ休憩中に、Kさんがサービスエリアで迷子になっていたことがわかりました。

さらに、近所のスーパーへ買い物に行って帰り道がわからなくなり、歩き回っているところを保護されるという事件も起こりました。

■高齢者がトイレットペーパーを買い込むワケ

なぜKさんがこのような行動をとるのか、その心の内を考えてみましょう。まず、同じものを何度も買うことですが、これは健常な中高年にもよくあることです。

中高年は生活のスタイルが固定していて、使う日用品や食料品が決まっています。そのため、「いつも使うあれがないと困る」という思いがあって、たびたび買ってしまうのです。家に戻って同じものがあるのを見れば、「あ、買い置きがあった」と思うのですが、しばらくするとまた買ってしまいます。その日用品や食品が常に家にあることが、当人にはとても大事だからです。

たとえば、高齢者の中にはトイレットペーパーを大量に買い込んでいる人がいます。1970年代に起こったオイルショックの際、トイレットペーパーが手に入らなくなり、長時間並んでやっと買ったという経験をしたためでしょう。スーパーやドラッグストアにトイレットペーパーが積んであるのを見るたびに、「あるときに買っておかなくては」という気持ちが働いて、つい買ってしまうのです。

Kさんの場合、瓶詰めや漬け物はご飯を食べるために欠かせない、いわばおいしさを感じるための必需品なのです。ご飯のときに「ないと困る」と思うから買うわけで、その行為自体を止める必要はありません。「どうして同じものをいくつも買うの!」などと叱責せずに、これまで通り冷蔵庫をチェックして、古いものは捨てておけばいいでしょう。

■「お金に執着するようになった」のではない

施設で暮らす人の中には、お金のことを気にする人が大勢います。夜になると「ここには居られないから帰る」と言うので、帰宅願望かと思うとそうではなく、「食事を出してもらい、寝る場所を用意してもらったのだから旅館に違いないが、お金を払っていないから泊まれない」と思うらしいのです。あるいは、「私のお金はどこですか?」と、繰り返し尋ねる人もいます。

なぜお金のことをそんなに気にするかといえば、トイレットペーパーやKさんの瓶詰めと同様に、お金はその人にとってなくてはならない、とても大切なものだからです。しかもお金は、「これがあれば何でもできる」という、自由の象徴です。言い換えれば、自己決定の象徴、自律性の象徴なのです。

認知症になってお金のことを頻繁に言うようになると、「お金に執着するようになった」と思われたりしますが、そうではありません。それはお金がとても大切だからであり、「お金が大切だ」という私たち誰もが思っていることを、ストレートに口に出してしまうだけなのです。

■サービスエリアで迷子になった原因

次に、迷子になったことについてです。サービスエリアで迷子になった原因は、主に3つ考えられます。

1つ目は、単なる不注意で、人と話しながらトイレに行ったため、バスの位置を覚えていなかった。私たちもそうですが、目的地に人と話しながら行ったり、誰かのあとをついて行ったりすると、道を覚えていないために、一人で帰ろうとすると道に迷います。

2つ目は、バスの位置を記憶してからトイレに行ったのに、用を足す間に忘れてしまった。つまり、記銘力が低下していて、覚えていられなかったためです。

3つ目は、遂行機能の低下によって、「トイレに行って帰って来るには、バスの位置と特徴を覚えて、それから歩き出し、用を足したらトイレの同じ出入り口から出て、逆のコースで歩いて帰る」という、計画的な行動ができなかったためです。サービスエリアの広い駐車場に、似たようなバスが何台も停まっていれば、意識して「何列目の端から何番目のバスだ」と覚えてから行かないといけませんし、サービスエリアのトイレには出入り口が複数あったりしますから、どこから入ったかを覚えておかないといけません。

どの原因で迷子になったかはわかりませんが、いずれにせよ、広い駐車場の中でどこに行けばいいかわからなくなったKさんは、どんなにか心細かったことでしょう。自分たちのバスを探して、バスとバスの間に迷い込めば、視界が遮られて周囲の状況がますますわからなくなります。巨大な迷路に入り込んだようなもので、パニックに陥っても不思議はありません。仲間が見つけてくれたのでしょうか、無事に自分たちのバスに戻れて、本当によかったと思います。

■「家からスーパーに来た」記憶を失う

近所のスーパーに行って帰り道がわからなくなったのは、よく知っている場所で迷うということであり、サービスエリアで迷子になるよりも重い症状です。ただ、家からスーパーへは行けたのに、なぜ同じ道を帰れなくなったのか、不思議ではないでしょうか。

佐藤眞一『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』(光文社新書)

Kさんは、家を出たときは「スーパーへ行こう」と思っていますし、毎日のように通って道順が長期記憶に保存されていますから、意識しなくても自動的に歩いて行くことができたのです。ところが、スーパーに着いて店内を歩いているうちに、「家からスーパーに来た」という直近の記憶が失われて、自分が置かれている状況がわからなくなったのです。

私たちは、「周りを見れば、そこがスーパーだとわかるはずだ」と思います。しかしKさんには、そこがスーパーだということが、わかりませんでした。人が大勢いて物がたくさんあるスーパーは、認知機能の低下したKさんにとっては、情報量が多すぎるのです。そのため、たくさんの情報の中から必要なものだけを取り出し、それらを関連づけて判断することができなかったのです。

■人に道を聞けるのは認知に余裕があるから

この状況をKさんの視点で見れば、突然頭が真っ白になって、「ここはどこ?」となったわけです。なぜ、自分がここにいるのかわからない。ここがどこなのかもわからない。周りにいる人が自分とどんな関係があるのかもわからない。とにかく、早く家に帰らなくては。そう思って外に出たものの、今いる場所がどこかわからないのですから、どっちに向かって歩き出せばいいかわかりません。

私たちならば、周囲を見回して、何か見知ったものはないか探すところですが、すでに認知資源を限界まで使ってしまっていて、そんな余裕はありません。

家に帰れなくなったKさんは、泣きたい気持ちだったと思います。子どもなら、座り込んで泣きじゃくるところですが、大人ですからそんなことはしません。なんとか自力で家に帰ろうとして、歩き回ったのでしょう。「誰かに道を聞けばいいのに」と思うのは、私たちの認知に余裕があるからです。Kさんには、それすら思う余裕がありません。

よく知った道で迷子になったと聞けば、どうしてそんなことが起こるのだろうかと不思議になりますが、認知症の人の見ている世界は、私たちが見ている世界とは異なります。地図上の道で迷っているのではなく、認知上の道で迷っているのです。

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佐藤眞一(さとうしんいち)
大阪大学大学院人間科学研究科 臨床死生学・老年行動学研究分野 教授
1956年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程を終え、東京都老人総合研究所研究員、明治学院大学文学部助教授、ドイツ連邦共和国マックスプランク人口学研究所上級客員研究員、明治学院大学心理学部教授を経て、現職。博士(医学)。前日本老年行動科学会会長、日本応用老年学会常任理事、日本老年社会科学会理事等を務める。著書に『ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす』(光文社新書)、『認知症「不可解な行動」には理由(ワケ)がある』(SB新書)など多数。

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(大阪大学大学院人間科学研究科 臨床死生学・老年行動学研究分野 教授 佐藤 眞一 写真=iStock.com)

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