「"オウム"は再び現れる」これだけの理由
プレジデントオンライン / 2018年12月28日 9時15分
※本稿は、島田裕巳『「オウム」は再び現れる』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■オウムにみる日本特有のタテ社会構造
私たちは麻原のような人間も、オウムのような教団も、これから日本社会に出現することはないと考え、安心してしまっていいのだろうか。
一つ、私たちが考えなければならないことは、オウムの犯罪の原点は、秘密の隠蔽(いんぺい)にあったことである。これは、組織犯罪全般に共通することで、秘密の漏洩を恐れて、さらなる隠蔽工作を重ね、それが重大な犯罪行為を生むことにつながっていく。
日本は組織が発達しており、しかも、タテ社会の構造を示しているところに特徴がある。オウムもまた、明確にタテ社会の性格を持っていた。それが、オウムについての報道でも、さかんに取り上げられた「ステージ」である。オウムでは、どの程度修行が進んでいるかによって、その人間のステージが変化した。
オウムのステージは、最初の段階では、尊師を頂点に、クンダリニー・ヨーガの成就者である大師、ラージャ・ヨーガの成就者であるスワミ、そして、一般の出家信者であるシッシャに分かれていた。
■細分化された「省庁制」の中身
それが、松本サリン事件を起こす1994年6月の時点では、相当に細分化が進んでいた。やはり尊師を頂点に、正報師、正大師、正悟師長(悟長)、正悟師長補(悟長補)、正悟師(悟師)、菩薩師長/愛欲天師長(菩長/愛長)、菩薩師長補/愛欲天師長補(菩長補/愛長補)、菩薩師/愛欲天師(菩師/愛師)、小師(スワミ)、師補(スワミ補)、サマナ長、沙門(サマナ)、見習(サマナ見習)、準サマナに分けられていた。
この年の9月時点では、正大師4名、正悟師8名、菩薩師長13名、愛欲天師長9名、菩薩師長補28名、愛欲天師長補17名、菩薩師67名、愛欲天師58名、沙門311名、見習345名だった。正報師については、麻原の四女だけがそのステージにあったとされる。これは、麻原の次女が自身のブログのなかで指摘している。人数が判明しない正悟師長などについては不明である。
教団内部では、ステージによって権限に差があり、ステージが下の者は、上の者の指示に従わなければならなかった。上意下達のシステムができあがっていたわけである。
さらにオウムでは、同年6月20日に「省庁制」が導入された。それぞれの省庁の責任者には、ステージの高い出家信者が就任した。大蔵省などはたんに教団の経理部門ということになるが、井上嘉浩が事実上のトップだった諜報省(CHS)では拉致などの非合法活動を行った。また、遠藤誠一の第一厚生省や土谷正実の第二厚生省では、細菌兵器、あるいは化学兵器の製造を行った。
■上下関係は当たり前ではない
私は、地下鉄サリン事件が起こった後、取材のために東京総本部を訪れたことがあったが、そのとき話をした出家信者の一人は、省庁制が導入されたとき、それを冗談として受けとったと語っていた。省庁とは言っても、内実が伴っているわけではなかったからである。その点では、省庁制は真剣なものとしては受けとられなかったわけだが、なかには、犯罪行為に加担した部門もあるわけで、その導入は、オウムの教団にテロ組織としての性格を持たせることに貢献した。
日本は組織の発達した社会であり、いったん組織が作られると、その内部には役割分担が生まれるとともに、上下関係が厳格な形で生み出されるようになる。それによって、上の人間は下の人間を自分たちの思い通りに動かすことができるようになり、下の人間は、指示が出れば、それに逆らえなくなるのだ。
組織社会に生きる私たちは、それは当たり前のことだと考え、そこに疑問を抱かない。上下関係があるのは当然だと考えてしまうのだ。
だが、世界を見回したとき、どの社会においても組織が発達しているわけではない。あるいは、日本は組織がもっとも発達している社会なのかもしれない。
■イスラム教で組織が発達しない理由
たとえば、イスラム教の場合、それが広がった地域においては、おしなべて組織が発達しておらず、個人主義の傾向が強い。あまり認識されていないことだが、イスラム教には教団組織が存在しない。モスクも、ただの礼拝のための施設であり、一つの教団を組織しているわけではない。近くにいる人間が礼拝に訪れる場所であって、メンバーシップは確立されていない。イスラム教は教団なき宗教なのである。
イスラム国に渡ったことのあるイスラム学者の中田考は、そこで多くの司令官に会ったと語っている。だが、司令官のあいだに上下関係はなく、それぞれが勝手にそう名乗っていただけだというのだ。
イスラム教においては神が絶対で、その下にある人間同士のあいだには、いっさい差がないと見なされている。組織が生まれれば、管理の都合からどうしても上下関係が生まれる。それをイスラム教では是としないため、組織が発達していないのである。
■個人同士が完全に平等な状態とは
あるいは、もともとイスラム教が広がったアラブや、その周辺地域は部族社会であることがそこに影響しているかもしれない。イスラム教スンニ派の最高指導者は「カリフ」と呼ばれ、現在は不在だが、その資格は、預言者ムハンマドと同様にクライシュ族の出身であることが条件になっている。部族は人間関係のネットワークで、そこに属している者は、同じ部族の人間関係に強い関心を抱くが、部族全体で組織行動をとるわけではない。
個人主義の傾向が強いのも、それが関係する。組織が発達していなければ、組織に頼ることはできず、何事も個人でやっていくしかない。
実は、私の義弟はトルコ人で、イスラム教徒であるが、その行動はまさに個人主義にもとづくものである。しかも、トルコ人のあいだには、学歴や職業による区別、差別は存在せず、個人同士は完全に平等であるように見えるのだ。
日本にも神は存在する。だが、日本の神は、この世界を創造したような絶対的な存在ではない。一神教の神とは根本的に異なる。その結果、神のもとにすべての人間は平等であるという考えが徹底されることはない。
■戦前の強固な権威構造との酷似
その代わりに、組織の中心には特定の人間が坐り、その人間はほかの人間から崇められ、神聖な存在とも考えられていく。近代の社会における天皇が、その代表である。大日本帝国憲法では、天皇は「神聖にして侵すべからず」と規定された。
それによって戦前の日本社会には、強固な権威構造が作られた。それが、無責任体制を生んでいったことについて分析を行ったのが、政治学者の丸山眞男の論文「超国家主義の論理と心理」であった。丸山は、「国家的社会的地位の価値規準はその社会的職能よりも、天皇への距離にある」と述べていた。天皇に近ければ近いほど、その人間は権威ある存在として振る舞えるというのである。これは、オウムのステージにそのまま当てはまる。
丸山はその際に、日本の戦犯とナチス・ドイツの高官とを比較する。丸山は、その違いを、「だから戦犯裁判に於て、土屋は青ざめ、古島は泣き、そうしてゲーリングは哄笑する」と評している。土屋達雄と古島長太郎は、俘虜(ふりょ)に対する暴虐行為で裁判にかけられた。ゲーリングはナチスの高官である。
■強固な信念のないオウム信者
ゲーリングは確固とした信念にもとづいて行動していたために、戦犯として逮捕された後も傲然たる態度をとった。それに対して、日本の二人の戦犯は、天皇という権威に依存し、暴虐行為に及んだのも自らの信念によるものではなかった。丸山は、二人について、「一箇の人間にかえった時の彼らはなんと弱々しく哀れな存在であることよ」と述べている。
こうした日本の戦犯の態度は、オウムの信者と共通する。オウムの信者が数々の犯罪行為に加担したのは、個々人が強固な信念を持っていたからではない。グルである麻原との距離を推し量り、その上で、より上位のものの指示に従って行動しただけなのである。
彼らの多くが、逮捕され、裁判にかけられたことで、信仰を失っていったのも、彼らのなかに強固な信念が確立されていなかったからである。わずかに新實智光が、自らの裁判における論告求刑で、検察官の非難に対して声を立てて笑ったのが例外とも言えるが、彼も死刑執行を前にしては動揺を示していた。彼は、死刑判決を受けた後に服毒自殺したゲーリングほどの信念を持ち合わせてはいなかったのである。
■普通の人による犯罪だからこそ恐ろしい
裁判にかけられたオウムの信者たちが、法廷で反省の弁を述べても、それが人々を納得させるものにならず、上っ面の謝罪に響いてしまったのも、彼らの行動が明確な信念にもとづく主体的なものではなかったからである。ただ、命じられるままに行動したことを反省したとしても、それは本人のこころの弱さを露呈したものとしてしか受け取られないのである。
逆に言えば、そこにこそオウムの犯罪の恐ろしさがあったと言える。犯罪に加担した信者たちは、それを信念にもとづいて実行したわけではない。一般の社会に生きているなら、生涯犯罪を犯すことなどなかったはずの人間たちが、凶悪な犯罪に手を染めたのである。たとえば、中川智正と面会を重ねたアンソニー・トゥーは、「中川氏に会った人は、皆一様に彼はいい人だと言う」と書いている。
組織に属することは、その人間に安心感を与える。しかも、オウムの場合には、出家の制度がとられ、その内部は、第2章でふれたように、一般の社会とは異なり、個別の行動に対して責任を持つ必要のない社会だった。
オウムで犯罪に加担したのは、ほとんどが出家信者であった。地下鉄サリン事件の前日、オウムが被害者であると偽装するため、教団の東京総本部に火炎瓶を投擲(とうてき)する事件を起こした際、投擲を行ったのは陸上自衛隊第1空挺団の3等陸曹だった在家信者である。しかし、在家信者が事件にかかわったのは例外的なことだった。
■「1999年に世界は滅びる」と信じていた
オウムの出家信者は、上九一色(かみくいしき)村のサティアンなどに居住し、外界とは隔絶した環境のなかで生活していた。接触するのは同じ出家信者ばかりで、外界から入ってくる情報は限られていた。しかも彼らは、修行を通して得られる神秘体験によって、教団の教えを信じ、グルである麻原を崇拝していた。逆に、自分たちが捨ててきた現実の社会は穢(けが)れた世界、真理を知らない世界として、その価値は全面的に否定されていた。
信者たちは、1999年には世界は滅びると信じており、その点で、オウムという教団は、大洪水に呑み込まれていく世界にたった一つ浮かんだノアの方舟のようなものだった。方舟に乗れば救済されるが、そこから降りれば、洪水に呑み込まれるしかない。方舟に乗船したオウムの信者たちは、世界とともに滅びていく人間を救うことができるのは、自分たちの教団だけだと信じていた。
外界とは隔絶した閉鎖的な集団が形成されたとき、そこには、カリスマ的なリーダーを頂点に戴く、上意下達の組織が生まれる。
第二次世界大戦において、日本がアメリカなどの連合軍と戦ったとき、あるいはそこに至る時代において、天皇を現人神として信仰する強固なタテ社会が形成された。その社会は、オウムのあり方と酷似している。しかも、地下鉄サリン事件が起こった1995年は、日本が戦争に敗れた1945年からちょうど50年目にあたった。
■「オウム」は再び現れる
オウムは、宗教としてはヨーガやチベット密教を取り入れ、異色の存在ではあったものの、その組織構造は極めて日本的なものであった。日本が無謀な戦争に突っ走っていった時代と現在とを比べた場合、日本人の行動原理、組織原理は変化していない。とすれば、オウムのように大きな問題を起こす組織が再び現れる可能性は十分に考えられる。それが、宗教という形をとるとは限らない。もっと別の形をとることだってあり得るだろう。
よく「苦しいときの神頼み」という言い方がされる。人は苦境におかれたとき、宗教にすがるというわけだ。
しかし、新宗教の歴史を振り返ってみるならば、新宗教に多くの人間が集まるのは、むしろ、経済が拡大していく時期においてだということが分かる。高度経済成長がそれにあたるし、オウムを生んだバブルの時代もそうだった。
現在は、経済が飛躍的に伸びている時代ではない。低成長の時代であり、それは安定成長の時代であるとも言える。だが、経済の先行きは分からない。ひとたび、それが上昇に転じたとき、社会は活性化し、そこに新しい宗教が生まれるかもしれない。オウムが再び現れるかどうかという問いは、そのとき答えが得られるのではないだろうか。
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宗教学者
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術センター特任研究員などを歴任。著書に 『オウム真理教事件』『小説 日蓮』『神も仏も大好きな日本人』『戒名は、自分で決める』『葬式は、要らない』『日本の10大新宗教』『創価学会』『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』など。
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(宗教学者 島田 裕巳 写真=時事通信フォト)
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