奴隷は科学技術、支配者は人文科学を学ぶ
プレジデントオンライン / 2018年12月31日 11時15分
いまビジネスの世界では、「STEM(科学・技術・工学・数学)」や「ビッグデータ」など理系の知識や人材がもてはやされている。しかし、『センスメイキング』(プレジデント社)の著者クリスチャン・マスビアウは、「STEMは万能ではない」と訴える。
興味深いデータがある。全米で中途採用の高年収者(上位10%)の出身大学を人数別に並べたところ、1位から10位までを教養学部系に強い大学が占めたのだ(11位がMITだった)。一方、新卒入社の給与中央値では理系に強いMITとカリフォルニア工科大学がトップだった。つまり新卒での平均値は理系が高いが、その後、突出した高収入を得る人は文系であることが多いのだ。
『センスメイキング』の主張は「STEM<人文科学」である。今回、本書の内容について識者に意見を求めた。本書の主張は正しいのか。ぜひその目で確かめていただきたい。
第1回:いまだに"役に立つ"を目指す日本企業の愚(山口 周)
第2回:奴隷は科学技術、支配者は人文科学を学ぶ(山口 周)
■高年収者の上位10%は人文科学系だった
一時期、人工知能ブームから、「人間の仕事は人工知能に奪われるのでは」という議論が多く聞かれました。たしかに、仕事の内容によっては人工知能に置き換わるものも出てくると考えられますが、最近は人工知能の“限界”も見えるようになってきました。
たとえばiPhoneのSiriに「このへんで一番おいしいレストランはどこ?」と聞くとすぐに答えを返してくれますが、「このへんで一番まずいレストランはどこ?」と聞いてみても、やはり同じようなレストランを提示してきます。つまり、こちらの質問の意味を理解できていないのです。ここに人工知能の欠点があります。
今後、人工知能の限界がより明らかになってくると、人間の能力への揺り戻しが起きてくるはずです。そのときに問われるのが、「センスメイキング」、つまり意味を理解し、作り出す力になると考えています。
拙著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』において、今日のように複雑で不安定な世界においては、従来のサイエンス重視の意思決定ではビジネスの舵取りができないため、美意識が求められているといったことを書きました。これもセンスメイキングに通じる考えです。
■支配者は人文科学を学び、奴隷はSTEMを学んでいる
『センスメイキング』は、全米の中途採用の高年収者(上位10%)に絞って調査をした結果、1位から10位までを教養学部系に強い学校が占めたという記述があります。本書においてここはひとつのポイントと言えるでしょう。
一般に、「STEM」(Science、Technology、Engineering、Mathematics)を学んだ人の平均給与は高いとされ、理系教育に注目が集まっていますが、実は母集団を高年収者に絞ると人文科学を学んだ人がマジョリティになっているのです。
極論すると、「支配者になる人間は人文科学を学び、奴隷として優秀な人間はSTEMを学んでいる」ということですから、これはショッキングな事実と言えるでしょう。
■CEOに必要なのは「サイエンス」ではなく「アート」
奴隷と支配者を現代のビジネス環境に当てはめて段階をつけると、LABOR(レイバー、労働者)、PLAYER(プレイヤー)、MANAGER(マネジャー)、EXECTIVE(エグゼクティブ)、CEOに分けられます。ここでポイントとなるのは、LABORからCEOに近づくにつれ、仕事で解決すべき課題が変化し、求められるアプローチも変わってくるということです。
![](https://president.jp/mwimgs/0/a/-/img_0a7dfcc8ac030b8a193c9ef66b58dc4e414784.jpg)
課題を解くアプローチとして、私が考えているのが、「サイエンス」「クラフト」「アート」の3つです。サイエンス、つまり科学的アプローチで解決できるのは、いわゆるマニュアル業務でしょう。LABORの場合、既存のマニュアルに頼れば一定の仕事の成果を上げることができます。
ところがCEOに近づくほど、サイエンスでは解けない問題が増えていきます。ここで次に頼るのが「クラフト」です。これはいわば経験や勘によるアプローチ。マニュアルに書かれていない課題にぶつかったとき、クラフトが活きてくる場面は少なくないでしょう。
ところが、現代のように変化が早い時代に入ると、クラフトを使っても対応できない課題が増えてしまう。過去の成功体験のとおりやってみても、前提となる社会環境が変わってしまっているため、うまくいかないのです。
サイエンスで解けず、クラフトも効かない――。そんなとき最後に頼るアプローチが、内在的に「真・善・美」を判断する美意識による「アート思考」です。今、世界のエリートたちが早朝のギャラリートークに参加して美意識を鍛えているのも、単に教養を身につける目的ではなく、ビジネス上の極めて功利的な目的によるものなのです。
日本のCEOのなかには、課題をサイエンスだけで解決しようとする人が少なくありません。しかし、サイエンス的なアプローチだけに頼っていては、導き出される答えも他社と似通ったものとなり、差別化の消失につながってしまいます。
CEOが本来やるべきことは、「自ら問いを立てること」です。問いとは、言い換えると「現状とあるべき姿のギャップ」にほかなりません。つまり、CEOは現状把握だけでなく、あるべき姿も描けなくてはならない。ここを突き詰めるには、「人はどう生きるのか」、「社会はどうあるべきか」といった人文科学的なリテラシーが求められます。
■“良い問題”を設定できる人がイノベーションを生み出す
問いを立てることを日本人が苦手とするのは、教育の影響も大きいと思っています。誰もが100点を目指し、それが良いという価値観がありますね。そこには日本社会が抱える根深い幻想があると思っています。
空気を読めないことをタブーとし、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの絵に「おかしい」と言うと、「それはダメだ」と矯正されてしまう。そんな教育を多くの日本人が受けており、自分の頭で考える習慣が身についていません。
自分で問題設定できないことは、日本からイノベーションが生まれない理由のひとつでもあります。一時期、外部のリソースと連携してイノベーションを起こす「オープンイノベーション」という手法に注目が集まりましたが、日本ではそれほどうまくいっていないようです。
オープンイノベーションとは、設定した問題に対して、外部からソリューションを求めることで生まれます。したがって、そもそも問題設定ができていないのに外部と連携してみたところでイノベーションが生まれるはずがありません。日本では、イノベーションごっこをずっと続けているのが現状なのです。
古い話になりますが、ポラロイドカメラも、「どうして撮影した写真をその場で見られないの?」という問題設定から生まれたイノベーションです。この疑問は、ポラロイド社の創業者であるエドウィン・ハーバード・ランド氏が当時3歳の娘から投げかけられたものですが、この疑問に答えようとするなかでポラロイドカメラは生まれました。
日本に目を向けても、過去にそうした事例はあります。ウォークマンは、ソニーの名誉会長であった井深大氏が、「旅客機内で優れた音質で音楽を聴くには?」という問題設定をしたことから生まれました。このように、いい問題設定ができれば、そこからイノベーションが起きてくるものなのです。
■モーツァルトの交響曲が、“負けない”プレゼンのヒントに
![](https://president.jp/mwimgs/5/d/-/img_5d197111c0b7f6676cb8480a66ce21a525583.jpg)
CEOの意思決定の場面に限らず、人文科学の知見やアートで得たセンスをビジネスパーソンが活かせる場面は少なくありません。私の場合、音楽が好きで作曲をすることもあるのですが、これが仕事にいい影響を与えていると感じています。
これまで私はコンペでプレゼンをする機会が何度もありましたが、実は負けたことはほとんどありません。また、プロジェクトの最終報告で炎上をしたこともない。これは、「どういうプレゼンをすると刺さるか」を押さえた結果だと捉えています。
プレゼンにおいて大切なことは、聞き手のアテンションを維持することにあります。流れをイメージしたときに、聞き手が話にスムーズに入り、「もう1回聞きたい」と思わせる。実はこれは作曲をするときと同じ感覚です。
とくに、30分を越えるプレゼンを構成する際にはクラシック音楽で培った直感が活きてきます。たとえばモーツァルトの交響曲第40番は30分を越える楽曲ですが、全体が“かたまり”として非常に調和が取れています。
■Googleで行われている「エアポート・テスト」の中身
このように、音楽であれ、文学作品や落語であれ、アテンションの維持は必要不可欠なものですが、これはビジネスパーソンにとっても重要な能力ではないでしょうか。採用面接やプレゼン、取引先との交渉など、さまざまな場面で活かせるはずです。
ちなみにGoogleでは「エアポート・テスト」という採用基準があるのをご存じでしょうか。これは「飛行機が欠航になって、空港で求職者と一晩一緒に過ごさなければならないときに、耐えられるか」を面接官が自問自答するというユニークなものですが、ここでもまさにアテンションを維持できるセンスが問われているわけです。
アテンションを維持する力は、STEMばかりを学んでいても身につけることはできません。こうした意味においても、『センスメイキング』で提唱されているような、アートも含む人文科学のリテラシーを高めることは、ビジネスパーソンにとって価値があります。
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コンサルタント
1970年生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループなどを経て、組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループに参画。現在、同社のシニア・クライアント・パートナー。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)などがある。
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(コンサルタント 山口 周 構成=小林義崇 撮影=山本祐之 写真=iStock.com)
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