日産が19年間もゴーン圧政に耐えたワケ

プレジデントオンライン / 2018年12月28日 15時15分

2018年12月17日、記者会見する日産自動車の西川広人社長(左端)。西川社長は「ゴーンチルドレン」と呼ばれてきた。(写真=時事通信フォト)

■“ゴーン君臨”の背景となった「もう一つの統合構想」

カルロス・ゴーン氏と日産自動車の経営陣が抜き差しならぬ関係になったのは今年の春以降だった。ゴーン氏がルノーとの統合に傾き始め、9月の取締役会で「今後のアライアンスを深める議論を進めたい」と統合に動き出したことがダメ押しとなった。

だがゴーン氏の「圧政」は最近始まったわけではない。なぜ19年という長きにわたり、ゴーン氏は日産に君臨できたのか。もう一つの統合構想を糸口にひもといてみたい。

ゴーン氏が日産に送り込まれた1999年春から1年ほど過ぎた2000年。エグゼクティブコミッティー(経営会議)の席上で、社長に昇格していたゴーン氏からこんな問いかけがあった。

「シュバイツァーさん(当時のルノー会長兼CEO)から日産との統合を打診されました。皆さんはどう思いますか」

■事実上、ゴーン氏がルノーとの統合の防波堤に

ルノーとの提携交渉をまとめた塙義一会長(2015年に死去)は統合案に前向きだったという。副社長や他の役員も何人かが「3年後をめどに検討してもいい」などと発言した。その場にいた元役員は「ゴーン氏は自分の考えは一切言わなかった。複数の役員が統合に賛成意見を述べた」と言う。

それ以降、ゴーン氏は経営会議で統合案を持ち出さなかった。数か月後、ゴーン氏はこう言った。「統合案はなくなった。シュバイツァーさんも納得した」

元役員は当時を振り返る。「ゴーン氏がルノー側の立場で日産の経営を見ているのか、日産の立場で見ているのか最初は疑心暗鬼だった。だが統合案が持ち出され、その後、なくなった一件以降、ゴーン氏は日産側の立場で経営を考えていると分かったのです。それ以降、日産とゴーン氏の利害は一致した」

当時のゴーン氏の考えや日産経営陣らの振る舞いを理解するには少し説明が必要だ。

■「日産のほうが企業規模も技術力も格上」

日産経営陣は提携合意前から日産の方が企業規模も技術力もルノーを上回っていると考えていた。資金繰りに苦しみ、ルノーから6430億円の出資をうけたが、自動車メーカーとしては「格が上」と日産側は受け止めていた。従って、ルノーが資本提携からさらに統合へと舵を切ることにはもともと警戒感があった。

しかし、ゴーン氏が日産にやってきて次々と改革を進め、会社が大きく変わり始めていた。ルノーとの統合案についても検討ぐらいはしてもいいのではないかと思っても不思議ではない。

一方のゴーン氏は経営会議で統合案にやや前向きな役員らの発言を聞き、だんまりを決め込んだ。ゴーン氏は日産に赴任し、生産現場や開発部門などと議論し、その実態を見て回った。その過程で日産の実力はルノーを上回っていると思うようになった。工場現場をみてもほとんど注文はなかったという。ルノーの工場よりも効率が良かったからである。

ゴーン氏も次第に日産の強みを伸ばし、ルノーと日産が対等な形で提携している方が良い、と考えるようになったに違いない。ゴーン氏はシュバイツァー氏に統合は時期尚早だと説得し、統合案をひとまず封印した、という見方ができるのである。

■「日産独自性を維持する」という点で一致

シュバイツァー氏からの全幅の信頼を得ているゴーン氏は対ルノーの防波堤になり得る、と日産の経営陣が思うようになるまでに時間はかからなかった。ルノーとの関係に限れば、ゴーン氏と日産経営陣とが「ルノーとのシナジー効果は高めるが、一定の距離を保ち、日産独自性を維持する」という点で一致できたのだ。

高額報酬を求めていたゴーン氏にとってもルノーと日産のアライアンスにおいて日産の独自性を維持することは重要だった。フランス企業の場合、日本と同様に経営者の高額報酬には批判が起きやすい。日産がルノーと統合されてしまってはルノーからのガバナンスが厳しくなり、ゴーン氏の自由度も狭まってしまう。

ゴーン氏は当時、多数のストックオプションを保有していた。「ゴーン氏にはたくさんのストックオプションを与えてくれ」とシュバイツァー氏が塙氏に頼んでいたからだ。ゴーン氏が社長になり、当初はV字改革を果たし、日産の株価は上昇した。多数のストックオプションを持っていたゴーン氏の懐は膨らんでいった。

ルノーとの統合などに取り組むよりも日産の経営をまず再建し、株価を上げて自らの報酬を増やす方がゴーン氏にとっては得策だっただろう。日産経営陣にとっても日産の経営を最優先させるゴーン氏の判断は願ったりかなったりであった。

■ゴーン氏「仏の出来事は日産に何ら影響を与えてはならない」

その後もルノーからは日産に関係強化を求める動きが続いた。そのたびにゴーン氏は防波堤となってくれた。長期保有の株主に2倍の議決権を与える「フロランジュ法」(2014年春施行)で、フランス政府がルノー、そして日産への発言力を高めようとしたときにもゴーン氏は日産側に立った。

ゴーン氏は2017年1月に日経新聞で掲載された「私の履歴書」に「フランスの出来事は日産に何ら影響を与えてはならない」という固い信念があったと書いた。この思いはゴーン氏以外の日産の経営陣も同じだった。

日産の西川広人社長はゴーン氏が逮捕された時の会見で、ゴーン氏が日産とルノーの経営トップとなった2005年が大きな分岐点だったと振り返った。名実ともに権力がゴーン氏に集中し、ゴーン氏の圧政が強まった。社内の不満も徐々に膨らんで行ったが、表ざたになることはなかったし、西川氏も「ゴーンチルドレン」としてゴーン氏に従った。

■もはや「圧政」を我慢する理由はなくなった

その理由はゴーン氏がルノーやフランス政府の利益を最優先していなかったからだ。依然として日産をゴーン氏の「独立王国」としてルノー、フランス政府とは一線を画している方がゴーン氏は経済的利益を得られた。その立場をゴーン氏が取っている限り、日産経営陣にとっても好都合だったと言える。

その関係が崩れたのは今年の春以降だった。ゴーン氏のルノーCEOの任期切れを前にしてマクロン大統領がゴーン氏に圧力をかけた。そこでゴーン氏のCEOの任期を2018年から2022年まで延期する見返りに、ゴーン氏は日産とルノーとの統合案を飲んだからだ。

その時点でルノーと一定の距離を置くという一点で一致していた利害は崩れてしまった。日産経営陣が、踏まれても踏まれても下駄にくっ付いている「下駄の雪」のように、ゴーン氏の圧政を我慢する理由はなくなったのだ。

19年間にわたって一致していたゴーン氏と日産経営陣の利害関係もゴーン氏のこの春からの心変わりで崩れてしまったのだが、現場レベルでも我慢の限界点に達しつつあったようだ。

■「このままでは技術で優位性がなくなってしまう」

2014年1月に日産とルノーは購買、研究・開発、生産・物流、人事の4分野でシナジー効果を高めるために人事交流などを進めていくことを決めた。それまでは経営層における交流が主だったが、徐々に現場レベルに落ちてきた。日産の研究拠点である厚木のテクニカルセンターなどにもルノー社員が常駐するようになってきた。「一緒に研究していると能力が分かります。能力のないルノー出身の上司の指示にはもう従えない」という不満が研究現場にはたまっていたようだ。

日産関係者は「『技術の日産』と言われてきたが、このままでは技術で優位性がなくなってしまう危機感があった。これ以上ルノーとの関係を深めることには現場レベルでも異論が出始めていた」と言う。

今回のゴーン氏の逮捕がなかったとしても、日産とルノーのアライアンスの見直しは必要だったろう。だが捜査当局と司法取引までして、ゴーン氏を追い落としたことで、ルノーとの交渉がより難しくなってきた面は否めない。

仮にゴーン氏が年明けに釈放され、ルノー会長ないしは取締役として名実ともにルノーの立場で行動し始めたならば、日産経営陣の苦悩は計り知れない。

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安井 孝之(やすい・たかゆき)
Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト
1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京経済部次長を経て、2005年編集委員。17年Gemba Lab株式会社を設立。日本記者クラブ企画委員。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。

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(Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之 写真=時事通信フォト)

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