「ゲロ臭い車両」が嘔吐を誘発する仕組み
プレジデントオンライン / 2019年1月10日 9時15分
■乗り合わせた車両で突然の嘔吐
昨年末のある朝、担当編集者が血相を変えてオフィスに飛び込んできた。朝の通勤電車で近くにいた人が突然、噴水のように嘔吐したという。とっさに避けたものの、飛沫(しぶき)がはねた可能性はある。「こっちに近づくなよ~」と同僚たちはからかい口調だが、本人は「ノロ(の嘔吐)だったら、まずいですよね」と不安な表情を隠せない。
嘔吐、下痢を主症状とする消化器の感染症は、大きく細菌性とウイルス性に分けられる。毎年、冬に流行するのはウイルス性で、代表格は二枚貝や生がきに潜む「ノロウイルス」だ。年末年始の宴会や家族が集まった時の食事会などで食べる機会が多く、感染数のピークは毎年11月~翌年2月まで。
電車で遭遇した嘔吐からノロウイルスに感染するリスクはじゅうぶんにある。笑い話では済まされない。内科、消化器科を専門とする鳥居内科クリニック(東京都・世田谷区)の鳥居明院長は「ノロ感染による嘔吐は、本人も予期しない時に突然生じるので、車両内で遭遇する可能性は十分に考えられます。吐いた方がノロ感染者だと仮定すると、嘔吐物の臭いを感じる範囲は感染リスクがあると考えたほうがいいでしょう」という。
■飛沫が飛び散る範囲は半径2メートル
東京都健康安全研究センター「ノロウイルス対策緊急タスクフォース」報告書(2010年)によれば、嘔吐物が床に衝突する衝撃で発生する飛沫が飛び散る範囲は、半径2メートル、高さ1.6メートルの範囲におよぶという。また、湿度などの条件によっては嘔吐物が落下してから1~3時間を経過した後も、空気中に病原体が滞留していることが判明している。
したがって万が一、そうした場面に遭遇した場合は、手術前の外科医になったつもりで手や指の股、爪の間を石けんと流水で20~30秒間ゴシゴシ洗い、手指を経由してウイルスを飲み込まないよう、汚染を物理的に除去することが肝心だ。
また、運悪く嘔吐物をかぶってしまった服はいったん、ビニール袋に“隔離”したうえで、家庭で洗うか、消毒が必要な洗濯物のクリーニングを行う「指定洗濯物取扱施設」に持ち込むしかない。安易に一般のクリーニング店に出すと、店舗の従業員を介して感染を広げることになりかねないので止めておこう。
家庭で洗濯する際の手順と留意点は東京都福祉保健局発行の「家庭や施設における二次感染予防ガイドブック」に詳しい。ポイントは汚れた衣類とそうでない衣類をわけて洗うこと、また洗濯の前に塩素系消毒薬(次亜塩素酸ナトリウム)に30~60分ほどつけることだという。
■「空気感染」はなぜ起こる
ノロウイルスの感染ルートは口から体内に入る「経口感染」だが、2006年12月に発生した東京都・豊島区Mホテルの集団ノロ感染を機に、「空気感染」が注目されるようになった。
空気感染は、乾燥した状態でふわふわ空気中を漂う病原体の微粒子を直接、吸い込む、あるいは食品に落下、付着した病原体を食べることで生じる。乾燥したノロウイルスは、20度の室温で3~4週間、4度程度の低温状態では2カ月以上生存するといわれている。
鳥居院長は「Mホテルのケースはカーペットに付着した嘔吐物の処理が不十分で、乾燥したウイルスが舞い上がり、汚染から数日間たっても換気口を介して感染が拡大したと推測されます」。つまり、嘔吐物を適切に処理しておかないと感染リスクが長期間残り、感染が広がる可能性があるわけだ。
■JRでは吐瀉物の処理・凝固剤を使用
このためMホテルの一件以降、大勢の人が利用する公共施設や交通機関では吐瀉物を介した感染リスクを踏まえた清掃を徹底するようになった。
JR東日本では、冒頭のようなアクシデントで運行車両や乗客から連絡があった場合、運行を管理する部署を通じて付近の駅に連絡が入り、近くの駅に停車して速やかに清掃が行われる。
手順としては、まず処理剤で固まった嘔吐物をほうきで集めた後、床面を雑巾で拭き取る。さらにノロウイルスに有効な濃度の次亜塩素酸ナトリウムをしみこませたタオルで、嘔吐物が付着した床面とその付近、および嘔吐した人が触ったと見なされる範囲の拭き取りを行うという。
「かつては『おがくず』で嘔吐物を覆い、処理していましたが、最近は除菌・消臭成分を配合した嘔吐物の処理・凝固剤を使用しています。この時期は各駅などで対応方法を再度周知して、適切に処理できるようにしています」(JR東日本・広報部)
■感染したら「脱水症状」に注意
もし感染したらどうなるか。ノロウイルスの場合、感染からウイルスが体内で増殖し、症状がでるまでの潜伏期間は2、3日。この間、かぜの引き始めのような軽い不調を感じることもあるが、大きな影響はない。しかしその後、突然の嘔吐や水のような激しい下痢が出現し、トイレにこもりっきりという状態になる。
前述の鳥居院長は「感染したときは、脱水症状に陥らないよう経口補水液などで水分をこまめにとり、安静にしていましょう」と話す。
「発症からウイルスに対する抗体ができるまで、さらに2、3日かかります。その間はつらいですが、ウイルスを体外に排出してしまえば回復は早く、後遺症もありません。ただ、あまりに症状がひどい場合は、かかりつけ医を受診してください。対症療法として吐き気止めや整腸剤などで吐き気や下痢を抑えることができます。その際、ノロ感染かどうか判断をするために2、3日前の食事の内容を思い出して伝えるようにしてください」
■家庭での二次感染対策
家庭で療養しているときに気をつけたいのは家族への二次感染だ。
調理器具は90度以上の熱湯で1分以上煮沸消毒するか、200ppm(0.02%)の次亜塩素酸ナトリウム(塩素系漂白剤)で消毒する。次亜塩素酸ナトリウムを含有した消毒スプレーも市販されているが、家庭用の漂白剤(5~6%濃度)の場合、500mL入りのペットボトルに水を入れ、ペットボトルのキャップ半分の漂白剤を入れると適度な濃度の消毒液ができる。調理器具やシンク周りの消毒のほか、ドアノブなど家族が頻繁に触る家具・備品の表面も拭いておく。
また、家庭内での二次感染源は吐瀉物の汚染によるものが多い。特に吐瀉物がついた寝間着やシーツなどを予洗いせずに、洗濯機に放り込むとかえって汚染が拡がる。塩素系漂白剤に30~60分漬けた後、他の家族のものとは分別して洗濯する。前述の東京都福祉保健局のガイドブックが役に立つ。ぜひ一読してほしい。
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医療ジャーナリスト
NPO法人日本医学ジャーナリスト協会正会員。証券、IT関連の業界紙編集記者を経て、ナラティブ(物語)とサイエンスの融合をこころざし、2006年よりフリーランス。一般向けではネット媒体、週刊/月刊誌、そのほか医療者向け媒体にて執筆中。
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(医療ジャーナリスト 井手 ゆきえ 写真=iStock.com)
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