"星のや"が客のワガママに即答できる理由
プレジデントオンライン / 2019年1月22日 9時15分
■スリッパ、室内履きは用意されていない
星野リゾートが運営する「星のや」と名の付いた施設は6つ。
軽井沢、京都の嵐山、竹富島、富士河口湖、インドネシアのバリ島、そして、都心の大手町にある。いずれも高級リゾートで、グランピング施設もあれば日本旅館もある。
大手町にある「星のや東京」は進化した形の日本旅館だ。星野リゾートの施設を代表する、おもてなしの現場である。
星のや東京は通常の旅館のような木造平屋建てではない。2016年に竣工した地下2階地上17階の独立した建物で、全84室。スタッフは約150名(18年10月現在)。最上階には露天風呂付きの天然温泉がある。
1階の入り口は玄関と呼ぶ。エントランスではない。青森産ヒバ材の大きな扉を抜けると、三和土と上がり框(かまち)があり、そこで靴を脱ぐ。素早く下足番が出てきて、靴を下駄箱に収納してくれる。スリッパ、室内履きは用意されていない。畳の感触を足の裏で感じるためだろう。そうして歩いていき、フロントまでのエレベーターに乗る。エレベーターの床面もまた畳敷きだ。エレベーターを降りると、フロントまでは畳もしくは栗材でできた白木の床を歩いて行く。部屋までのアプローチも畳だ。
■部屋にあるのは浴衣ではなく着物
部屋に入ると、畳の上に低床のベッドと座卓がある。窓にカーテンはなく、和紙の障子が外の景色の影を淡く映し出す。壁紙はやわらかな鳥取和紙だ。つまり、全体は和室そのものである。
ただ、水回り部分は機能的な洋風の造りだ。浴槽、シャワーブース、ウオッシュルームはガラス張りの空間となっている。和室のなかに洋風の水回り設備があるのだが、ちぐはぐな和洋折衷ではない。あくまで和の美意識で統一してある。
時計はなく、生花や絵は飾っていない。室内に置いてあるのは浴衣ではなく着物だ。外国人でも着崩れすることなく、簡単に着られるもので、大手町を歩いても無作法になるものではない。むろん、館内はどこでも着物姿で歩いていい。天然温泉にも行けるし、ダイニングにも入っていくことができる。
■「日本に来たから日本旅館」ではない
西洋型ホテルであれば部屋を一歩出ればそこは公道だ。廊下でも靴を履かなければならないし、女性のゲストは廊下に出るだけのために化粧をしなければならない。しかし、同館はあくまで旅館だから、自分の家にいるのと同じようにすっぴん、着物姿、素足で廊下を歩いたり、お茶の間ラウンジで過ごすことができる。
同社代表の星野佳路は星のや東京を「進化した日本旅館」をめざしたと言っている。
「私たちはホテルの一つのスタイルとして日本旅館を位置付けていきたいと考えています。日本に来たから日本旅館なのではなく、快適でサービスが素晴らしいから日本旅館に泊まるという市場を創造していく。その先には必ず日本旅館が海外の大都市に出ていくチャンスがあるはずです。ニューヨークの道路に日本車が走り、パリの街角に寿司屋があるように、世界の大都市に日本旅館があってもいい時代を創っていきたいという夢を持っています」
■旅館独自の企画「めざめの朝稽古」
星のや東京の総支配人・澤田裕一はサービスの特徴について、話してくれた。
「代表の星野は一貫して同じメッセージを伝え続けています。フラットな組織文化、フラットなコミュニケーション、そして、マルチタスクを重要視していることです」
フラットな組織文化とは組織のなかで自由な発想、発言、行動が許容されることをいう。具体的に説明すると、誰もが言いたいことを、言いたい人に、言いたいときに言えることだ。これは簡単なようで、難しい。古い企業、硬直した組織で会議をやるとする。会議では肩書が上の者は自由にしゃべることができるが、新人はただただ拝聴するか、指名してもらうまでは黙って待つしかない。
星のや東京はそういった硬直化した組織ではない。会議では誰もが自由に発言をするし、旅館独自のアクティビティ企画を提案する。たとえば、「めざめの朝稽古」という参加費無料のアクティビティがある。朝の7時になると、フロントと同じ階のスペースで開催されるものだが、参加者は短い木刀を持ち、刀を振りながら呼吸を整える。外国人ゲストだけでなく、日本人にとっても新鮮な体験だ。このほか、お茶を点てる体験などのさまざまなアクティビティはいずれもスタッフが自由に発想して、立案、実施したものだ。
■スタッフの半分は「釜炊きご飯」も炊ける
そして、フラットなコミュニケーション、組織文化の背景ともなっているのは、スタッフがマルチタスクを行っていること。
澤田総支配人は言う。
「従来、旅館には女中さんがいます。彼女が部屋付きとなって、お客さまの食事を提供したり、お茶を出したりしました。サッカーで言えばマンツーマンディフェンスですね。しかし、当館はゾーンディフェンスのようなイメージ。お客さまにはチームでサービスします。サービスチームが食事を部屋に持っていくし、部屋の清掃もやります。また、フロント業務も担当します。調理もします。スタッフの半分くらいは釜炊きご飯だって炊けますよ」
ホテル、旅館のサービスはタテ割りだ。料理人は料理しかやらないし、フロントはフロント業務しか担当しない。布団の上げ下ろしをする人間はそれだけをやる。
ところが星のや東京のスタッフは誰でもすべての業務をこなすことができる。そのため、夕食の給仕中に「明日の朝のごはん、お粥と漬物だけがいいな」といった要望が出たとしても、彼もしくは彼女は即答できる。
「はい、大丈夫です。おいしいお粥をご用意します」
これがもし、タテ割り業務の組織だと、「すみません、ただいま料理長に確認してまいります」と言い残したまま、30分くらい、戻ってこないといった事態もある。
部屋でサービスをしている人間が調理場の事情もわかっているから、作ることのできる料理を瞬時に判断することができる。また、フラットな組織文化が根づいているから、その場で料理長に代わって判断しても問題はない。
客はお粥ができるのか、できないのかをいらいらしながら待たなくともいい。
■「真実の瞬間」をスタッフがこなせる組織に
「サービス産業の特徴は消費の即時性です。スタッフが接客した瞬間に消費が完結するので、お客さまとスタッフの接触の瞬間に経営者、総支配人は関与できません。スタッフ一人ひとりの判断が大切ですし、しかも、瞬時に行うことが必要なんです」(澤田総支配人)
星野リゾートの特質は施設やデザインの現代性、機能性で語られることが多い。しかし、同社の本当の特質とはサービスにある。全員で客をもてなそうという意識が独特のサービスに表れている。
「顧客から要望を受けたときに、それを受けるのか、断るのか、それとも代替案を提供するのか、その経営判断は接客する社員一人ひとりが瞬時に行うことができる必要があります。これは『真実の瞬間』と呼ばれ、ホスピタリティー・マネジメントのアカデミックな分野で著名なケーススタディとなっています」
星野リゾートの星野代表は著書のなかで、フラットなコミュニケーションを徹底し、またマルチタスクのサービスを行うことで、「真実の瞬間」を見事にこなす組織をつくりあげたいと願っている。
私たち客が「真実の瞬間」を体験するには星野リゾートのどこかに泊まってみるしかない。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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