本業よりも筋トレを優先する落語家の信念
プレジデントオンライン / 2019年1月21日 9時15分
「筋トレは裏切らない」。トレーニングの愛好家はこぞってそう話す。きちんと栄養を取り、適切な負荷をかければ、だれでも確実に「数値」が向上するからだ。落語家・立川談慶さんは「本業よりも筋トレのほうが優先順位が高い」とまでいう。その真意とは――。
■ベンチプレスは120キロ、胸囲は100センチ超
みなさん、こんにちわ。落語立川流真打ち、立川談慶です。私、落語家になってこの4月で丸28年です。近頃では出版依頼が相次ぎ、今年1月に出る『老後は非マジメのすすめ』(春陽堂書店)でちょうど10冊目の本になります。おかげさまで各方面から本格派ならぬ「本書く派」などとも称され、講演などの要望もどんどん増えています。
主として「落語コミュニケーション論」を唱え、そこが私の居場所ともなっていますが、さて、今回はそんな私の別の顔をご紹介させていただくことにします。
私、何を隠そう、実は筋トレマニア、肉体おたくなのであります。
筋トレを始めて今年6月で丸12年。ジムに週3~4回通っており、53歳の現在、ベンチプレスは120キロを上げ、胸囲もゆうに100センチを超えるまでになりました。数年前には人気番組『アウトデラックス』にも「本業よりも筋トレを優先する落語家」として出演させていただいたりしました。
なんでこんなに筋トレにハマってしまったのでしょうか。
■なぜ「接待ゴルフ」という言葉があるのか
例えば同じスポーツでしたら、ゴルフと比較してみると、その特性がより対照的でわかりやすいかと存じます。
とはいえ私、ゴルフは打ちっぱなしに2回行っただけで、ラウンドを回ったことがない素人同然の立場です。これから申し上げることは、もしかしたら、愛好家のみなさんにとっては失礼に当たることがあるかもしれません。あらかじめお詫びを申し上げます(こう言っておくとどんなことでも言えちゃう。これもコミュニケーションの一つですな)。
ずばり言って、「ゴルフはスポーツというよりコミュニケーションツール」ではないでしょうか? 無論極論です。
接待ゴルフという言葉があります。これは不思議ですよね。接待麻雀はありますが、接待フルマラソンというのもなければ、接待近代五種も、接待古式泳法もありません(あたり前ですな)。
ゴルフとは、まずは近づきたい人や、より仲良くしたい人とのつながりありきで、競技自体よりも、その場にいる人たちとのコミュニケーションや商談などを円滑にするためのツールとしてのスポーツではないかと思うのです(あ、もちろんプロやら純粋に競技として優劣を競う方々は別です)。
■向き合うべきは他人ではなく自分
そんな印象をゴルフに対して持っている私は、一時期一瞬ですが真剣にやろうと思ったことがありました。それでゴルフ好きの兄弟子・談春兄さんにその旨を打ち明けてみると、こう言われたのです。
「お前がやれば、気遣いし過ぎて参っちまうぞ」と。さすがゴルフの本質と、私のキャラを看破した人の言葉です。
「自分よりは他人を第一に考える」のがコミュニケーションの基本ならば、まさにゴルフはその意味で合目的的(ごうもくてきてき)なスポーツです。
そしてなにより、ゴルフには爽快感があります。晴天に恵まれた「軽井沢72」などのコースできれいなフォームでスカッとドライバーを打ち込むのは、気持ちの良さと共に若干のブルジョア感も想像できて、憧れるところがあります。
それに対して筋トレ。
ゴルフとはすべてがシンメトリーを描くほど正反対です。ゴルフで必要とされるような他者とのコミュニケーション能力はまったく問われません。基本すべて一人で取り組むジャンルのスポーツです。コミュニケーションは、ジムで同じマシンを使っている人がいたとしたら、せいぜい軽くあいさつをするくらいでしょう。
向き合うべきは他人ではなく自分です。
■筋トレは、談志の教えそのものだった
そして一番違うところとしては、ゴルフのような爽快感ではなく、苦痛しかないという点です。筋トレにはスクワットという種目があります。重いバーベルを肩にかけて、屈伸運動するという実に単純なものですが、血圧が300近くにもなるほどの息苦しさと倒れ込みそうになるほどの酸欠感しかありません。あえて言えば達成感だけは得られるのでしょうが、それとて自分がひそかに設定したメニューをこなしただけという自己満足的なもので、いいショットをお互いに褒めたたえ合えるゴルフのような共感性は皆無です。
ではなぜこんなつらさしか味わえないスポーツを私は長いこと続けて来られたのでしょうか。
さあ、ここで、筋トレと談志との共通項が浮かび上がってきます。
実は筋トレこそ談志の教えそのものだと、つくづく思うのです。
え、何を言い出したかって? これより3つの共通項を説明していきましょう。
■談志が本当に伝えたかったこと
▼筋トレと談志の共通項1 :「むちゃぶり」
筋トレは「むちゃぶり」が基本です。冒頭で私はベンチプレス120キロを上げると申しましたが、スタートは20キロからの重さからでした。今持ち上げられる6分の1の重さですが、最初の頃は翌日胸に筋肉痛が起こったものです。
しかし次第に重さに慣れていくので、25キロ、30キロ、35キロとどんどん重さを増やしていき、身体に「むちゃぶり」していくのです。自分の成長ぶりが重さという形で数値化されるのは、ものすごい励みになります。数値化は客観化でもあり、60キロのベンチプレスが精いっぱいの人にしてみれば、80キロ上げる人は憧れであり、100キロ上げる人はさらにまぶしく見えるものです。
談志もまさに「むちゃぶり理論」を実践している人でした。弟子には「踊りを五曲覚えろ」「歌を十曲覚えろ」とむちゃぶりをします。しかも、それをそのまま「はい、踊りを五曲覚えました」「歌を十曲身につけました」と弟子が返しているうちは、永久に昇進させないのです。
■ダンベルの重さに筋肉が追いつくように生きる
これは「『いろは』を覚えて来いと言って、『いろは』と言ってどうするんだ」というのと同じです。談志が言いたかったのは「『いろは』の先にはまだいろいろあるだろう。『いろはにほへとちりぬるを』と。その先が見えないうちは、認めない」ということでした。
前座の頃、ここでつまづいた私は、ある日「倍返し」を思いつきました。
「踊りを五曲」と言われたら十曲を、「歌を十曲」と言われたら二十曲をと、談志のリターンに対してリターンエースを、むちゃぶりに対してむちゃぶり返しを試みたのです。すると、向こうは私に対するそれまでの評価を変えてくれたのでした。「やっとお前も俺と同じ価値観になったな」と。師匠はダンベルの重さに筋肉が追いつくように、私がむちゃぶりに追い付くのをずっと待ってくれていたのです。
■目指すべきは、筋トレに励む普通の日々
▼筋トレと談志の共通項2 :「到達点で満足するな」と言う
そんな感じで談志のむちゃぶりに応じていた私は、9年半もの長い時間をかけて、二つ目というランクに昇進しました。そのお披露目の翌日でした。師匠宅にあいさつに行くと、二つ目としては壮大に催したパーティをほめてくれるのかと思いきや、「二、三年で真打ちになれ」とさらにハッパをかけてきたのです。
そして、手ぶりを交えて「いいか、(てっぺんを指して)ここに来るのを目標にするなよ。(ちまちまと積み上げるような手ぶりで)こういう日々を目標にしてみろ。(再びてっぺんを指して)ここに来るのを目標にしちまうと、ここに来た時点で人格が瓦解(がかい)する。目標を失った人間ほど切ないものはない。◯◯(実在する落語家の名前)みたいになるなよ」と言うのです。
「到達点で満足するな」とは筋トレの眼目(がんもく)でもあります。筋肉は負荷に応じて成長するので、ベンチプレス100キロを目標にトレーニングを開始して、いざそれが達成されたら、次は110キロを目標にしていかないとなりません。「100キロのベンチプレスを上げられる筋肉」が身についただけで満足していたら、その先には現状維持か筋量低下しかありません。もっといえば、ベンチプレスに終わりはないですから、筋トレに励む日々そのものを目標でなければならないのです。
■やるべきことは、いつだってシンプル
▼筋トレと談志の共通項3:「公平」
入門時に学歴やら出自が問われないのがこの世界の公平さでもあります。名門の出でなくても、話芸のスキルとキャラクターとそれらを差配する頭脳があれば、誰もが世に出るチャンスがあるという意味では、快哉(かいさい)を叫びたいほどです。立川流の昇進もいま振り返っても厳しいものでした。しかし談志は「お前がどんなに俺が嫌いな奴だったとしても、俺の基準さえ満たせば、俺は二つ目、そして真打ちにもする覚悟だ」と言い切っていました。「俺がお前にしてやる最高の親切は情けをかけないことだ」とこれまたよく言われたセリフとあわせて読むと、より談志の公平さはより浮かび上がってきます。
翻って筋トレ。果たしてこれほど公平なスポーツがあるでしょうか。球技をやる際に問われる運動神経やら持って生まれたセンスなどは基本問われません。ただ目の前のダンベルやバーベルを上げるかどうかというだけのものです。ゆえに身体の小さいひとでも不利にはなりません。また飛んだり跳ねたりする必要もありませんので、ご高齢の方でも「やる気」があれば取り組むことができます。
■大成するのに必要なのは「継続性」と「忍耐力」
上記3つを吟味し、いざ自分に身に付いた感覚を改めて問うてみると、共通するのは「継続性」と「忍耐力」でしょうか。人生で大切な「続けることと我慢すること」は、間違いなく談志と筋トレから教わりました。
ですから私は、談志亡き後、筋トレを師匠として仰ぐような日々を送っているのです。
さ、今年は、そんな継続性と忍耐力から身に付けることができたパワーを活かして、ゴルフに挑んでみたいと思います。めざせ、ドライバー300ヤード!(←結局ゴルフかい!?)。
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落語家
1965年、長野県上田市(旧丸子町)生まれ。座右の銘は「筋肉の鎧は心の鎧になる」。2019年1月現在、ベンチプレス120キロ。週3~4回のジム通いで、身体の部位ごとにいかに負荷をかけられるかを日々模索する。慶應義塾大学経済学部卒業後、ワコールに入社。3年間のサラリーマン時代を経て、1991年立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二つ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。2005年真打ち昇進。著書に『「また会いたい」と思わせる気づかい』(WAVE出版)『老後は非マジメのすすめ』(春陽堂書店)など。
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(落語家 立川 談慶)
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