哲学で証明「ゾゾ1億円ばら撒きはダメ」
プレジデントオンライン / 2019年1月22日 9時15分
■「善悪とは何なのか」という難問
今世の中はますます複雑になってきています。テクノロジーの進化もあって、どんどん新しいことが出てくるからです。そのなかで私たちはどう判断するべきか、日々悩まされています。とくに善悪が絡む問題はかんたんに答えが出るわけではないので、とてもやっかいです。
投資の判断から画像の診断まで、なんでもAIの指示に従うようにはなってきていますが、善悪の判断だけは、そう簡単にはいきません。自動運転の技術の進化と比べて、事故の責任をどうするかという問題については、まだ議論が紛糾しているのがその証拠です。
この判断が難しいのは、そもそも「善悪とは何なのか」という問題に関係しています。私たちは子どものころから、人様に迷惑をかけてはいけませんと教わってきました。たしかに悪いとされる行為は、常に誰かに迷惑をかける結果になっています。人を傷つける、人を困らせるといった行為です。
ただ、同じ行為でも、人によって迷惑だと思ったり、そうは思わなかったりすることがあります。だから自分はいいと思ってやっても、それは悪い行為だといわれて困惑することがあるのです。これは善悪という概念が相対的であることを物語っています。
■共同体の中で一緒に生きていくために
セクハラなどはそうですよね。本人はこれくらい大丈夫と思っても、相手が不快に思ったらもうだめなのです。あるいは、企業の不祥事でも、「よかれと思ってやったのですが」などという言い訳がよく聞かれます。本人は本当にそう思っていたのでしょう。
よく考えてみれば、善悪の境目があいまいなだけでなく、悪などというものが実は存在するのかどうかが問題なのです。というのも、ある行為が時代や文化の違いによって犯罪になったり、ならなかったりしています。殺人でさえそうです。死刑だってそうですよね。
人を殺すことでさえ、絶対的な悪だとはいえないのです。それは人間社会の中で禁じられているだけのことです。なぜか? 自由に人間を殺していいということになると、共同体が成立しなくなるからです。逆に、日本のように死刑が認められている国があるのは、そうでないと共同体が成立しないと考えているからでしょう。人を何人も殺したような人間が、仲間として同じ共同体に生きているのはおかしい。そう考えるからなのです。
つまり、善悪の概念自体は相対的なものですが、共同体の中で何が善悪なのかを決めることは可能だということです。それに、そうしないと共同体の中で一緒に生きていくことができないということです。
■【義務論:おぼれている人を助けるのは正しい】
そこで、私たちはいくつかの基準を生み出し、その基準に照らして個々の行為が善なのか悪なのか決めています。さらにはどれくらい悪いかで、与える罰の程度を決めているのです。それが法律であり、倫理というルールにほかなりません。
私たちが採用している主な善悪の基準は、「義務論」「功利主義」「徳倫理」の三つです。これは長らく哲学や倫理学の世界で形成されてきたもので、法律を作ったり、倫理規定を作ったりする際のベースになっています。
まず義務論とは、ごく簡単にいうと、まともな人間なら合意するであろうことを正しさの基準にします。しかもその正しさは、状況によって変わるものであってはならないといいます。これはドイツの哲学者・カントがつくった基準なのですが、非常に明快ながらもなかなか厳しいものだといえます。
たとえば、おぼれている人を助けるのは、まともな人間なら正しい行為だと思うでしょう。でも、自分も泳ぎが苦手でおぼれてしまうかもしれない場合はどうでしょう? しかも自分には幼い子どもが3人もいるようなら、さすがに躊躇するのではないでしょうか。
■【功利主義:おぼれている人を3人助けられるならば正しい】
これに対して、功利主義とは、効用つまり善や快楽を最大化するのが正しいとする基準です。「最大多数の最大幸福」のスローガンで知られる、イギリスの思想家・ベンサムがつくったものです。こちらはある意味で簡単です。なぜなら、効用を最大化するための計算をすればいいだけだからです。
おぼれている人を助けるほうが効用が大きければ、助けることになるでしょう。単純にいうと、たとえ自分一人が犠牲になったとしても、仮におぼれている人を3人助けることができるなら、その方が数が多いので正しいということになるわけです。
しかし、自分の子どもはどうなるのかという心配はありますよね。親がいなくなると困るでしょう。なんだかしっくりきません。そこで三つめの徳倫理を見てみましょう。正しさとは、その人の徳、つまりその人の性質によって決まるというものです。もともとは古代ギリシアの哲学者・アリストテレスが唱えた基準です。
■【倫理観:自分に幼児がいる場合、おぼれている人を助けるのは正しいとはいえない】
わかりやすくいうと、その人がどういう人かによって、正しさが変わるということです。たしかに、一般にその行いは善だとか悪だとかいえないケースがあります。先ほどのおぼれている人を助けるケースもその一つです。自分に小さな子どもがいるのに、あえて命を捨てる覚悟で見知らぬ人を助けるのは絶対正しいとはいえないはずです。もしその人がライフセイバーか何かで、それを仕事としているなら話は別ですが。あるいは、自分の子どもがおぼれているなら、当然助けるべきでしょう。
■3つの基準からグレーな問題を考察する
この基準が一番現実的な感じがしますが、反対にいうと、基準が不明確になるということでもあります。だからどの基準がベストだとは一概にいえないのです。理想は、どの基準に照らしても正しいとされることを善、そうでないことを悪とするやり方だと思います。この世にはまともな人間の考えを重視する人、効用を重視する人、その人の立場を考慮する人など、様々な価値観を持った人がいますから、そうして総合的に判断するのが一番なのではないでしょうか。
具体的にどうすればいいのか、法律や倫理規定ではまだ明確に善悪が定められていないグレーな問題、まだ議論が進んでいない新しい問題について、先ほどの三つの基準に照らして考察してみます。
ウォーミングアップ代わりに、まず最近のニュースからみなさんよくご存じのこのケースを考えてみましょう。
■「ゾゾ前澤社長の1億円ばらまき」の功罪
▼ケース(1)ゾゾの前澤友作社長がツイッターのリツイートをしてくれた人にお年玉として総額1億円をばらまく
このケースは特異かもしれませんが、基本的にお金をばらまく行為自体を不快に思う人がいるのは事実です。義務論からすれば、お金をばらまくという行為以前に、そもそも「○○をしてくれたら××する」というのは、真に正しいことではないとして退けられます。正しいことなら、無条件であるべきだというのです。だから悪なのです。仮にこれが無条件でも、もしお金で人の心を引き付けようというのなら、それは人間の尊厳を傷つけることになるので悪になるように思います。
功利主義なら、前澤さんにとってはいい宣伝になるし、経済効果もある。おまけにお金をもらった人は幸せになるので、文句なしに善ということになるでしょう。
徳倫理なら、前澤さんがどういう状況で、どういう意図でお金をまいたのかが問われてきます。もし本当に、利益の還元で、かつ人々を幸せにしたいと純粋に思っているのなら、善でしょう。そうではなくて、ただの商売上手でうまいこといっているだけなら悪でしょう。
■新卒4年目で転職は非常識なのか
次は、職場でよくあるケースを取り上げましょう。
▼ケース(2)新卒入社4年目、様々な研修の機会をもらい、ようやく一人前になった社員の転職
このケースでは、会社に育ててもらうだけ育ててもらい、これから活躍という時になって辞めてしまう社員の善悪が問題になっています。これもよくある話です。
義務論からすると、育ててもらったのにそれに見合った貢献もなく辞めるのは、まともな人間ならおかしいと思うでしょう。だから悪になりそうです。そこで今だと会社のお金で海外研修に行かせてもらったような場合は、その費用を返す約束をしたりします。功利主義なら、会社にとってはマイナスでしかないので、悪ということになるでしょう。ただ、これが難しいのは、そういう人が別の場所でより活躍できるなら、社会全体としてはプラスになるということです。そのようなケースは多々あります。
徳倫理だと、もっと具体的に、その人がどういう研修を受けたのか、この4年間の仕事への貢献はどうだったのかといったことを考慮する必要が出てきます。別途契約がない限りは、研修も含めて仕事のはずですから。
総合すると、やはり特別な約束でもない限りは、なかなかこのケースを悪とすることはできないように思います。実際、組織が人を縛り付けることはできませんから。
■子どもをパチンコに連れていくべきではない
次に、社会で問題となっているようなケースを取り上げます。
▼ケース(3)小さな子どもを連れてパチンコに行く
パチンコ自体はもちろん悪ではありませんが、どうしても親がパチンコに集中しがちで、長時間子どもをほったらかしにしてしまいます。また、店内の空気が悪かったり、音がうるさかったり、出玉で転びやすいという問題もあるでしょう。そこで善悪が議論になるのです。
義務論だと、小さな子どもへの健康や生育環境への影響ということでいうと、悪になるような気がします。まともな人間なら子どもの健康や生育環境を重視して、そのような行動はとらないと思います。功利主義の観点からすると、親はパチンコで快楽が得られるし、パチンコ屋も儲かるので、子どもにとって多少マイナスであろうが正しいということになりそうです。徳倫理なら、その親がどれほどストレスを抱えているかとか、子どもを預ける場所はないのかといったことを考慮しないと、必ずしも悪とはいえないことになるでしょう。
総合すると、親の置かれた状況にもよりますが、これはやはり悪ということになりそうです。
■不倫は必ずしも悪ではない
▼ケース(4)配偶者も暗黙の了解をしている不倫
不倫は文字通り倫理に悖(もと)るわけですが、犯罪にはなっていません。しかも、配偶者が暗黙の了解をしているとなると、はたして悪なのかどうか。
義務論からは、それでもまともな人間なら、配偶者の尊厳を傷つけるような行為は悪だということになるでしょう。事実、義務論を提唱するカントは、不倫はダメだと断言しています。相手が暗黙の了解をしていても、不倫であることには変わりありません。一夫一妻制の元で結婚している限りは。現代日本社会の基準はこれでしょう。
功利主義からは、みんなが幸せになるなら正しいということになります。配偶者が了解しているなら、何もマイナスはないではないかと。日本ではなかなかこうはなりそうにありませんが、国によってはこういう理屈も通るかもしれません。
徳倫理の場合は、その不倫をしている人がどういう夫婦関係にあるかです。事実上夫婦関係が破綻しており、配偶者が不倫をしてくれた方が気楽だと思っているなどの事情があれば、必ずしも悪にならないように思います。
難しいですが、総合すると、結局人間同士の関係なので、相手がどう思っているかというのは重要なのではないでしょうか。だから現に不倫はなくならないのです。どれだけ社会が非難しようとも、自分の置かれた状況は別だととらえてしまう。一概に悪とはいいきれないのはそのためです。
以上のように、なかなかすっきり善悪を決めるということはなかなかできません。事情によって判断が変わってくるのもたしかです。だからこそ大いに議論をして、事例を積み重ねていくことが必要でしょう。さて、みなさんは4つのケース、どう判断しますか?
(山口大学国際総合科学部教授 小川 仁志 写真=AFP/時事通信フォト)
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