「原発凍結」で日立の株価が上がった理由
プレジデントオンライン / 2019年1月29日 9時15分
■最終黒字を維持できるうちに、リスク事業を見切り
1月17日、電機大手の株式会社日立製作所(日立)が英国アングルシー島における原子力発電所の建設プロジェクトを凍結すると発表した。これに伴い、2019年3月期に日立は約3000億円の特別損失を計上する。親会社の株主に帰属する当期利益は、これまでの予想の4000億円から1000億円に減少する見通しだ。
先行きは不確実であり、3000億円の特別損失計上のマグニチュードは無視できない。同時に、長期的な事業戦略への影響を考えると、最終損益が黒字を維持できるうちに同社がリスクの高まった事業に見切りをつけたことが重要だ。
今回の発表の背景には、日立がエネルギー関連事業のビジネスモデルの変革に取り組んでいることがある。それができるのは、同社の経営陣が冷静に自社の経営環境を見極め、リスクと収益のチャンスを長期的な視点で分析してきたからだ。英原子力発電所建設プロジェクトの凍結は、英断といってよい。
実際、英原子力発電所プロジェクトの凍結期待から、日立の株価は上昇してきた。今後、日立がどのように海外におけるエネルギーやインフラ関連の事業を進め、安定した収益基盤を獲得していくかは、他の企業の経営にも参考になるだろう。
■「社長直轄の案件だから、失敗はできない」
英国における原子力発電所建設事業の凍結を日立が発表したことは、経営者の役割を考える良いケーススタディーだ。経営者の役割とは、企業(組織)全体の進むべき方向を示し、経営資源の再配分を行うことだ。そのためには、個々人のこだわりや思い入れなどの主観を排し、客観的かつ長期的な目線で将来の展開を見通すことが求められる。まず、この問題を抑える必要がある。
これが口で言うほど容易なことではない。なぜなら、多くの場合、私たちの意思決定は自分自身の“コミットメント”に大きく影響されるからだ。コミットメントとは、責任をもってプロジェクトなどに取り組むことだ。責任を果たすために、わたしたちは入念に準備(プロジェクトの収益性のシミュレーションや市場・経済動向のリサーチ)などを行う。準備に手間をかければかけるほど、プロジェクトへの思い入れは強くなる。
特に、意思決定権をもつ人物が強く関与している場合、組織全体でそのプロジェクトへのコミットメントは強くなりやすい。「社長直轄の案件だから、失敗はできない」という思い入れは、よい例である。
実際、日立は原子力発電事業にコミットしてきた。その背景には2つの要因がある。まず、リーマンショック後、同社は重電分野を重視した。その中で、新興国などでの需要を取り込むために原子力発電事業が重視された。つまり、原子力発電事業は日立が構造改革を進め、世界的に競争力あるインフラ企業としての事業基盤を整備するために重要だったのである。
■日本政府は「原発輸出」を重視してきたが……
もう一つの要因が、わが国の政策との関係性だ。リーマンショック後、政府は経済成長率を引き上げるためにインフラ技術の輸出を重視した。中でも、原子力発電に関する技術は新興国からの需要を取り込むために重要な要素であるとされてきたのである。
しかし、東日本大震災による原子力発電所事故に加え再生可能エネルギーの活用が増えた結果、世界的に原子力離れが進んだ。これは日立にとって逆風が強まってきたことを意味する。
その中でアングルシー島における原子力発電所の建設プロジェクトを日立が重視してきた背景には、それなりの理由がある。
まず、英国は先進国であり、政治・経済の基盤が相対的に安定してきた。2012年11月に日立が英国での原子力事業に着手した時点で、今後も安定した政治・経済の環境が続くとの見方に疑いの余地はなかっただろう。
■プロジェクトの継続を正当化することは難しくなった
新興国では政権交代によって経済運営の方針が大きく変わることも頻繁にある。それに比べると、英国で原子力発電所の建設に取り組む意義は大きかったのだ。これは、事業環境の先行きを見通し、リスク(不確実性、予想と異なる結果)を管理するために欠かせない条件である。
加えて、事業規模も大きかった。英国での原発建設事業の総額は3兆円に達する。うち2兆円を英国政府が融資する計画だった。日立にとって、他の企業の参画を取り付けつつ、建設プロジェクトを進めることは、インフラ企業としての経営基盤を強化するために重要だったのである。最後まで日立は国内企業に出資を呼びかけつつ、英国に支援強化を求めた背景には相応の根拠があった。
問題は、当初の前提条件が大きく変化したことだ。特に、2016年の国民投票によって英国のEU離脱(ブレグジット)が選択されたことは決定的だった。英国内、および英・EU間におけるブレグジット交渉がどう進むかは、きわめて見通しづらい。そのため、日立のプロジェクト・パートナーにも、手を引くものが出始めた。
目先、英国政府がさらなる支援強化に動くことは想定しづらい。世界的な原子力発電離れの影響などもあり日立の出資呼びかけに応じる国内企業が増えるとも考えづらい。これは、英国の原子力発電所建設のリスクが上昇していることと言い換えられる。
プロジェクトを継続し続けると、想定外の建設の遅延、為替リスクなど、日立が負担するリスクは高まる可能性がある。その中で日立がプロジェクトの継続を正当化し、ステークホルダー(株主、従業員、社会)の納得を得ることは難しい。
■景気が安定しているうちに収益の持続性を高めるべき
突き詰めて言えば、日立は今後の世界経済の展開を念頭に置き、エネルギー関連事業のビジネスモデルの変革・再構築に着手したと考えられる。ポイントは、リスクを抑えつつ、収益獲得の持続性と収益の安定性を高めることだ。
今後の世界経済の展開を考えると、2019年前半は米国経済が支えとなり、世界経済は安定感を維持するだろう。しかし、未来永劫、景気回復は続かない。2019年後半から2020年にかけて、米国経済の減速が鮮明化し、状況によっては失速する可能性がある。それは世界経済の成長鈍化につながるだろう。
企業の経営者に求められることは、景気が安定しているうちに収益の持続性を高めることだ。そのためには、コスト水準、事業リスク、市場シェアなどの点で収益獲得が見通しづらい事業を見直すことが求められる。同時に、安定して収益が得られるメンテナンス事業などを強化することも必要だ。
■「風力発電機生産」からも撤退を決めた背景
1月25日、日立は風力発電機の生産から撤退すると発表した。その上で、同社は風力発電機の世界大手である独エネルコン社との提携を強化し、インフラの保守などに関するソリューション分野に注力する。
景気の不透明感が高まる中、資本支出を伴う再生エネルギー発電施設の需要は低下するだろう。加えて、風力発電機市場では、欧州や中国企業のシェアが大きい。短期間に日立がシェアを高めることは容易ではない。
それよりも、インフラ分野でのイノベーションを重視して日立がコミットしてきたIoT(モノのインターネット化)などの技術を生かして、インフラのメンテナンス事業を強化することは、経営資源の効率的な運用と安定した収益基盤の獲得につながるだろう。日立によるスイス重電大手ABBのパワーグリッド(送配電)事業買収の背景にも、収益基盤の安定性と持続性を高める狙いがある。
原子力発電所建設プロジェクトの凍結は、日立のビジネスモデルのリスク・リターンのプロファイル(特性)を向上させることにつながると思料する。同社が、海外企業とのアライアンスなどを強化し、一段と強固な収益基盤の獲得を目指すことを期待したい。
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法政大学大学院 教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授などを経て、2017年4月から現職。
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(法政大学大学院 教授 真壁 昭夫 写真=AFP/時事通信フォト)
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