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すべてのパンを国産小麦で作るチェーン店

プレジデントオンライン / 2019年2月14日 9時15分

満寿屋商店の店内(撮影=岡村隆広)

すべてのパンを「十勝産小麦」で作るチェーン店がある。北海道帯広市を中心に7店舗を構える満寿屋商店だ。パン用小麦における国内産の割合は3%という状況の中、なぜ十勝産小麦100%を実現できたのか。現地を訪れたノンフィクション作家の野地秩嘉氏は「独自のカイゼンを繰り返しているのが強みだ」と分析する――。

■すべてのパンを十勝産小麦で作るチェーン

日本全国にパン屋は約1万店ある。加えて、コンビニ、スーパーにも必ずパン売り場がある。店舗を持たずにネット上で販売している人もいる。

それらのパンのなかで、原料が国内産小麦だけというのはまずない。パン用小麦における国内産の割合は3%。あとはすべて輸入小麦に頼っている。

そのような状態にもかかわらず、販売しているすべてのパンを国内産、それも地元の十勝産小麦で作っているチェーンがある。北海道帯広市にある満寿屋(ますや)商店がそれだ。同チェーンは帯広市内に6店舗、東京の都立大学駅近くに1店舗の計7店舗を展開し、年商は約10億円。従業員は160名(2018年12月現在)。

平均的なベーカリー1店舗あたりの年商は約5000万円とされているから、満寿屋は平均の3倍弱を売り上げる優良ベーカリー・チェーンなのである。

なぜ国内産の小麦はパンに使われていないのか。それは日本で栽培されている小麦は昔も今もうどん用が大半だからだ。

■うどん用の小麦でパンを焼いてもおいしくならない

弥生時代から国内の冷涼な土地では麦が育てられていたが、それは麦切り用、つまり、うどん用だった。幕末にパンの製法が国外より入ってきてパン作りが始まる。当時の製造業者は、うどんを作るための小麦をパンに転用してみた。しかし、うどん用小麦には粘り気があって、餅のような食感になってしまう。麦の性質が違うから、うどん用でパンを焼いても、おいしくはならなかった。

また、パンの製造レシピの問題もある。幕末から始まったパンの製造はカナダもしくはアメリカから輸入された小麦が原料だった。加水料、発酵時間などの製造レシピは北米産パン用小麦を基準としたものだったので、製造業者はそれに従うしかなかった。

しかし、満寿屋は四半世紀をかけて、輸入小麦を使うことをやめて、国内産小麦に切り替えた。

それはどうしてなのだろうか。

社長の杉山雅則はこんな説明をする。

「亡くなった父が『地元にはいい小麦がある。これを使ってパンを焼こう』と決めたのです。品質がいいだけではなく、体にもいい。だから、十勝産の小麦にするんだ、と。

以来、地元である十勝の畑に小麦を植えるところから始めて、すべてのパンを国産にするまでに25年、かかりました。

当社のパンは小麦だけでなく、副原料も十勝産もしくは北海道産です。水は大雪山系の雪解け水、牛乳、バター、チーズ、砂糖、玉子、小豆、じゃがいも、すべて地元で穫れたものばかりを使っています」

■業界では革命的なことだった

満寿屋商店 杉山雅則社長(撮影=岡村隆広)

地元産小麦で商品すべてを作ったというのは業界では革命的なことだった。達成した年、帯広の地方紙、十勝毎日新聞は次のように報じている。

「パン製造販売の満寿屋商店は(2012年10月)28日、全6店(当時)で使用する原料の小麦を全て十勝産にする。今年産から栽培が増えた超強力小麦『ゆめちから』と同品種を混ぜてパン向けの小麦粉にするための他品種の作柄が良く、小麦粉を確保するめどが立った。同社の小麦粉使用量は小麦生産量換算で年700~800トンあり、地場産小麦を地元で消費する地産地消の好例として注目される。

同社は1990年に十勝産をわずかに含む北海道産小麦の使用を開始。2005年に十勝産に取り組み、麦音店と芽室店では十勝産100パーセントを達成した。

ただ、全店での使用はパンに合う原料の確保が難しく、小麦粉の品質がパンの色や膨らみに反応しやすい食パンが最後まで残り、カナダ産『1CW』を使用していた」

記事にあるように、2012年以後、同社のパン原料、副原料は酵母まで含め、すべてが十勝産となっている。

■「子どもには国産の食品を食べさせたい」

そして、パンを売っている現場のうち、もっとも規模が大きい店舗が帯広市の郊外の稲田町にある「麦音(むぎおと)」だ。

麦音は従来のパン屋のイメージとはまったく違う。敷地は1万1000平方メートル。東京ドームのグラウンド面積に迫る広さだ。敷地面積の広さではおそらく世界一だろう。売場面積は88平方メートルで、イートインスペースは57平方メートル、50席。屋外にもテーブル席100席がある。

わたしは雪が降る冬に行った。戸外の客席はクローズしていたが、店内とそして、ビニールハウスに使う透明フィルムで覆ったテラス席は平日でも満席だった。

店内のレジ前には行列ができ、奥のキッチンではパン職人が額から汗を流してパンを焼いていた。陳列台にパンが出てくると、あっという間に手が伸びてなくなってしまう。

「帯広では飢餓が進行しているのか」と思ってしまうくらい、すさまじいエネルギーが渦巻く買い物現場だった。

客の過半は女子。それも子どもを連れたママが多い。彼女たちは「子どもには国産の食品を食べさせたい」と口々に言った。

海外から輸入する小麦は輸送途中にポストハーベストという農薬を噴霧する。一方、国産小麦は船で輸送したとしても、ポストハーベストをかけることはない。そうした事実を知っているママたちは少し価格が高くても、子どものために国産小麦のパンを買うのである。

満寿屋は他店に先駆けて国産小麦を使用したために、ママたちがやってくるようになり、また世間に広まっていった。

■店舗周辺で穫れた小麦でパンを作る

パンを窯で焼く燃料には地元の間伐材を使う(撮影=岡村隆広)

また、麦音はそうした満寿屋の食の安全を追求する思想だけでなく、環境への配慮を優先した店舗でもある。

たとえば、広大な敷地面積の大半を使って、小麦を栽培している。収穫したら製粉して自社で売るパンにする。店舗を取り巻く畑で穫れた小麦でパンを作っているわけだ。ただし、目の前の畑で収穫した小麦だけでは足りないので、他の地元産小麦も使用している。

同社専務の杉山勝彦(雅則社長の弟)は「畑のそばに環境に配慮する店を作りたかったんです」と言った。

「麦音には小麦粉を挽くための風車も備えています。また、パンやピザを窯で焼くときの燃料は地元の間伐材で作った木材ペレットです。地元産の材料を使うだけでなく、環境問題についてもちゃんと考えています。これは今の社長だけでなく、亡くなった父親の理想でもあるんです」

■通常は「パンの廃棄はゼロ」

満寿屋の本店は帯広駅から歩いて約7分。1950年の創業以来、帯広、十勝の人々にあんパン、クリームパン、食パンといったものを売ってきた。見かけは日本のどこの町にもある、ごく普通のパン屋さんだ。

ただし、ここもまたチャレンジングな取り組みを行っている。彼らが取り組んでいるのは「食品廃棄」の問題解決である。

日本国内で廃棄されている食料は膨大な量になる。コンビニ、スーパーをはじめ、カウントできるだけで1日に300万人分の食料が捨てられている。一方、世界では8億人以上の人間が飢えている。そして、その数倍の人が栄養不良になっている。

そういったことを意識しているのが満寿屋の経営陣だ。経営陣とはいっても、実際はお母さん(輝子・会長)、長男(雅則・社長)、次男(勝彦・専務)の家族経営なのだが……。

輝子会長は教えてくれた。

「うちは帯広市内の他店で売れ残ったパンをすべて本店に集めて、売れるまで店を開けておきます。通常はパンの廃棄はゼロです。帯広の人は飲んだ後にラーメンでなく、パンを食べる人がいるのよ。また、明日の朝ごはんにと買っていく。ですから、だいたい、毎日、売り切ります。ただ、雪が降ったりすると町に人が出てこないからパンが残るんです。廃棄せざるをえません。今はそれがいちばん気になります。それをなくしていくことを考えています」

普通の町のパン屋の目標は「おいしいパンを作ること」だ。満寿屋だって、それは変わらない。しかし、彼らは地元産小麦にチャレンジしたり、小麦を自家栽培したり、環境問題に配慮したりしている。常に、新たな課題を見つけ、それに向かって邁進している。独自のカイゼンをくり返しているのが満寿屋であり、そこが彼らの強みだ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉 撮影=岡村隆広)

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