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東大文学部卒がブランド日本酒作れたワケ

プレジデントオンライン / 2019年2月19日 9時15分

新政酒造 佐藤祐輔社長

現在、入手困難な日本酒のひとつといわれる新政酒造の「No.6(ナンバーシックス)」。前編ではジャーナリストだった佐藤祐輔社長が地元秋田に帰り、1億5000万円の赤字経営から積極投資して業績回復するに至った「第二創業」ストーリーを紹介した。後編では人気ブランドがどのように生まれ、またその先に見据える佐藤さんの壮大な将来ビジョンに迫る。
▼KEYWORD 第二創業

佐藤さんは2007年、32歳で実家の新政酒造に専務として戻ります。このとき佐藤さんにはすでに造りたい酒のイメージはあり、そこから人生を懸けて赤字だった経営の立て直しに奮闘します。

まず取り組んだのが2億円規模の大型投資でした。余剰金を担保に、一部銀行からも資金を借り入れ、純米酒などの高級酒を造るために必要な新型のタンクを導入。さらに新しい杜氏(とうじ)も正社員として採用します。

一方で佐藤さんは、新政酒造に戻る前に、後に代名詞となる「No.6」の名前の由来となった「6号酵母」と出合っていました。日本酒造りには、糖を発酵させてアルコールを作るための「酵母」が欠かせません。酵母は自然界には無数の種類が存在しますが、そのなかから日本酒を造るのに適したものを採取して、純粋培養したものを財団法人「日本醸造協会」が製造・販売しています。

現在、日本で販売される十数種類の酵母のなかで最も古いものが「6号酵母」。これが採取されたのは1930年。そして、これはなんと、佐藤さんの曾祖父、五代目佐藤卯兵衛が造っていた新政のもろみから生まれたものだったのです。

■教科書で再会した、曾祖父の見つけた酵母

佐藤さんは、ひょんなことから、新政酒造の原点に「再会」します。「広島で日本酒造りを学んでいたときに、教科書の冒頭に僕のひいおじいちゃんが出てきたんです。その事実を学んで初めて、『うちの蔵って実は凄いんだ』と気づいたんです。それまで、そういえば母親が6号がどうのとか言っていたな、という程度だった」と佐藤さんは回想します。この再会が、新政に戻った佐藤さんを「秋田県産米を使い、6号酵母で発酵させて日本酒を造る」というビジョンに導くのです。結果的に帰郷から3年目のシーズンに、酵母は6号だけしか使用しないという決断をしています。

徹底される造り手の意思●マイナス5度以下で管理された純米の生酒は酸化を極力減らすため、ほとんどが4合瓶(740ml)にて販売されている。写真は「NO.6」最上級モデルのX-Type(エックスタイプ)。

私は、この点は非常に重要なポイントだと考えています。経営学では、事業を行ううえで最も重要なことの1つは、経営者の掲げる「ビジョン」だと言われます。そしてその重要さを説明するのに、センスメイキング理論があります。センスメイキングとは「腹落ち」のことで、リーダーはフォロワーに腹落ちするストーリーを語る必要があるのです。しかし、創業者ではない経営者がビジョンを掲げても、なかなか周囲に腹落ち感を与えられない。

ここで重要なのが、「創業者・中興の祖の掲げていたビジョンへの原点回帰」です。多くの歴史ある企業では、創業者や中興の祖の掲げたビジョンが、歴史とともに風化してしまっていることが多い。しかし、それは「そもそもこの会社は何のためにあるのか」という会社のDNAそのものであり、それを咀嚼して現代風に蘇らせれば、周囲に「腹落ち感」を与え、組織やステーク・ホルダーからの求心力が高まるのです。

その点で、6号酵母ほど格好なものはなかったでしょう。結果、「自社蔵で誕生した6号酵母を使用し、地産地消で秋田産米のみを使い、添加物を一切使わず、手間暇がかかる昔ながらの製法で造った純米酒」というビジョンに、多くの人が腹落ちし、共感が高まったのです。

さらに新政酒造は、この「添加物を使わない」「地産地消」「なるべく自然に」というビジョンをベースに画期的な改革を進めます。たとえば、10年前に導入した仕込みタンクを、杉の木桶に切り替え始めました。木桶は大阪府堺市の職人が製造していますが、いずれは自社で木桶作りの技術を持ち、秋田杉を使って自社で作るつもりだと言います。日本で、これほど積極的に木桶仕込みを行う酒蔵はありません。新政のNo.6は、日本酒を知らない女性も虜にすると言われるそうです。それはその美味しさもさることながら、こうしたストーリーに多くの人が腹落ちし、惹きつけられるからでしょう。

■地元のモノだけで造る日本酒へのこだわり

実はこの佐藤さんのビジョンは、現在さらに新しいステージへと進んでいます。今回私は佐藤さんとの対談の後で、秋田市中心部から東へ20キロメートルほどのところにある「鵜養(うやしない)」という集落を、佐藤さんに案内してもらいました。2本の川に挟まれた谷あいにある集落。山の湧き水がそのまま流れ込んだ清流は澄み切っていて、この水を田んぼに引き込んでいます。これを使って日本酒を造ろうというのです。

秋田の「木」「米」「水」で日本酒を造る●秋田で作った米で、地元の水を使い、秋田杉で作った木樽での日本酒造りに挑戦する。

新政酒造はこの地に農業法人をつくり、17年度から2ヘクタールの田んぼを借りました。16年まで杜氏をしていた社員がこの村に住み、無農薬栽培で酒米作りを行っているのです。

「素晴らしい場所でしょう。いずれここに酒蔵と、木桶の工場をつくって、農家の茅葺屋根の補修をして、この農村を『日本酒のテーマパーク』にしたいんですよ。酒蔵と田んぼの見学をして、農作業の手伝いをして、農家レストランで地元の食材を楽しんでもらい、お酒を飲んで、茅葺屋根の家に宿泊する――そんな世界をつくりたいんです」

佐藤さんはいたって本気。これはじつは世界中で流行しているワインツーリズムに近い発想です。近年、世界のワイン通は、「テロワール(生育地)」に対する興味を深めています。どんな地形で、どんな気候で、どんな土から、この美味しいワインの原料であるブドウが育まれるのか、その場所を訪問し、ブドウが生育している風景を眺めながら、ワインを楽しむのです。

カリフォルニアワインのナパバレーのワイナリーツアーは世界的に有名。佐藤さんは現在、秋田の山間部に日本酒ツーリズムを花開かせることで、集落の景観を保全し、地域を復活させようという壮大な計画まで持っているのです。これも、佐藤さんのビジョンと、6号酵母という原点回帰がもたらした新しい事業展開なのです。

秋田に帰って気づいた地元の「宝」
●本社所在地:秋田県秋田市
●従業員数:18名
●社長:佐藤祐輔(1974年生まれ。東京大学文学部卒業後、編集プロダクションなどを経てフリーのジャーナリストに。2007年に同社へ入社。12年に8代目社長に就任。秋田県内の若手蔵元4人と「NEXT5」を結成し、イベントなどを精力的に行う)
●沿革:1852年に初代佐藤卯兵衛が佐竹藩城下町の酒蔵として創業。

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入山章栄
早稲田大学ビジネススクール准教授
三菱総合研究所を経て、米ピッツバーグ大学経営大学院でPh.D.取得。2008年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールの助教授を務め、13年より現職。専門は経営戦略論および国際経営論。著書に『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』など。

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(早稲田大学大学院経営管理研究科教授 入山 章栄 構成=嶺 竜一 撮影=奥山淳志)

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