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橋下徹「堺屋さんがいたからできたこと」

プレジデントオンライン / 2019年2月13日 11時15分

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/FilippoBacci)

作家で元経済企画庁長官、大阪府と大阪市の特別顧問でもあった堺屋太一さんが2月8日に亡くなった。2008年の大阪府知事選出馬以来、関わりの深かった橋下徹氏が堺屋さんとの思い出を綴る。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(2月12日配信)から抜粋記事をお届けします――。

■「とにかく実行して結果を出す。その情熱を、大阪の政治に向けてほしい」

「橋下さんの人生の一部を大阪に使ってくれないかな」

2007年の11月頃、大阪の帝国ホテルの会議室で、テーブルの上のコーヒーを挟みながら、堺屋太一さんにそう言われたのが、僕が政治家人生を歩むきっかけだった。

メガネの奥の優しい眼は、その時から最後にお会いした時までずっと変わらなかった。眼は優しいんだけど、堺屋さんの大阪再生についての話は、水蒸気が沸き立つほど、魂のこもった熱いものだった。

(略)

当時、僕はテレビ出演の仕事もしており、適当なアンちゃん(兄ちゃん)スタイルでやっていた。堺屋さんの世代には眉をひそめられることが多かったと思う。そのスタイルを基に、僕の弁護士活動も適当なものだと評する人たちが結構いた。

しかし堺屋さんは違う。どこでどのように調べられたのか分からないが、僕が弁護士活動で最も重視している点を的確に指摘された。

「橋下さんは、グダグダ考えて何もしないよりも、とにかく実行することを重視していますよね。そして結果を出すためには、従来の考え方、業界の考え方、世間の考え方に囚われない奇想天外な方法も気にせず採る。それは、依頼者の利益になる結果を必ず出すという情熱、パッション、執念に基づいている。それを大阪の政治でそのままやってもらいたい」

(略)

■背後に堺屋さんがいてくれたから、インテリ層からの徹底攻撃がなかった

そのときの僕の選挙相手は、元大阪大学大学院教授の熊谷貞俊氏。その実兄は大阪大学総長でもあった熊谷信昭氏。この熊谷ファミリーは関西財界とも非常に親しい間柄で、バリバリのインテリグループ。

関西財界はもちろん、今では大阪維新の会の吉村洋文大阪市長とがっちりタッグを組んでいる建築家の安藤忠雄さんも、当時はもちろん熊谷ファミリー支援者。まあこれは、人間関係の積み重ねによることだから仕方がないんだけどね。僕は、それまで関西財界や安藤さんたちと何の人間関係もなかったんだから。

堺屋さんの立ち位置からすれば、当然、熊谷さんを応援するものだと大阪の誰もが思っていた。ところが堺屋さんは、僕のようなアンちゃんを応援する。ここが堺屋さんらしいよね。

そして関西財界、安藤さんたちのグループが、熊谷さんを応援するにしても、堺屋さんの顔をつぶさないように、僕に対する徹底攻撃は回避したんだと思う。

(略)

僕は大阪都構想を実現するために、大阪維新の会を結成し、その後国政政党日本維新の会を作った。メディアを通じて、適当な学者連中は好き勝手に批判してくれたが、堺屋さんは目的達成のための手段としてしっかり理解して下さった。

「そんなことをやろうなんて、普通はバカにされるだろうね。でもそれくらいのことをやらないと、今の大阪は変わらないね」

誰かがやったことを、後からあーだこーだと批評することは誰にでもできる。また、単なるアイデアを披露することも誰にでもできる。しかし正解が分からない中で、自分で道を切り開き、実行していくということがどれだけ大変なことか。やってみなければ分からない。失敗する可能性もある。それでもやらなければ何も動かない。

1970年大阪万博を、苦労に苦労を重ねて実行した堺屋さんだからこそ、僕の考えを理解して下さったんだと思う。

■通天閣を背に都構想を訴え。大阪の堺屋太一、ここにあり!

(略)

それと同時に、僕が政治家としての全エネルギーを注ぎ込んだ、2015年5月17日の大阪都構想の住民投票。この住民投票運動においても、堺屋さんは全力で応援して下さった。堺屋さんが興奮していたのはこちらにも伝わってきた。

「大阪の住民投票がここまで日本中の騒ぎになっている。結果がどうであれ、この大阪の民のエネルギーが大阪に必要だったんだよね」

通天閣の真下で、堺屋さんが選挙カーの上でマイクを握って大阪都構想の必要性を訴えて下さっていた。堺屋さんの演説が終われば、次は僕の出番。僕が選挙カーの上に昇ろうと上を見上げた時、堺屋さんが浪花の新世界のど真ん中で、カラフルな広告ネオンが灯き始めた通天閣を背負っていた。

大阪の堺屋太一、ここにあり。

大阪都構想は皆さんご存知のとおり、僅差で否決。堺屋さんは泣いて下さった。

「でも次があるよ。これからだよ。明治維新だって、戦後の復興だって、そのときの苦労はこんなもんじゃなかったんだよ」

(略)

2025年大阪万博に向けて、大阪は動き出している。松井さん、吉村市長、府市の職員、関西の経済界、関西府県民が一致団結して動き出した。日本政府などの応援もある。

堺屋さんが成功を収め、日本の成長を確たるものとした1970年大阪万博に負けない万博にしようと皆、頑張っている。

堺屋先生、先生の熱意で大阪は動いています。最初は夢物語だった二度目の大阪万博が、本当に実現しようとしています。

僕に政治家という第二の人生を与えて下さり、世間からどれだけ批判を受けてもそれを乗り越える根性を付けて下さり、大阪都構想・大阪改革という目標めがけて命を賭けて挑戦するという人生最高の機会を与えて下さり、目標のためにはあの手この手を尽くして前に進んでいく粘り強さを付けて下さった。そして大阪に、僕の子供たちの世代に、夢を与えて下さった。堺屋先生、本当にありがとうございました。

僕も、2025年大阪万博に行きます。一緒に楽しみましょう!

(略)

(ここまでリード文を除き約2200字、メールマガジン全文は約1万2000字です)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.139(2月12日配信)を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【追悼・堺屋太一さん】「もう一度大阪を輝かせてほしい」堺屋さんの情熱が政治家・橋下徹の原点だった》特集です。

(元大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹 写真=iStock.com)

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