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青木宣親がメジャーで学んだ虚勢の張り方

プレジデントオンライン / 2019年2月20日 9時15分

東京ヤクルトスワローズの青木宣親選手(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右)

海外で活躍する日本のスポーツ選手は英語とどう向き合っているのか。メジャーリーグ6年間で7球団をわたり歩いたヤクルトスワローズ・青木宣親氏は「英語は打率よりも打席に立つことだ」という。イーオンの三宅義和社長が、青木氏にそのわけを聞いた――。

■37歳にして野球熱は最高潮

【三宅義和氏(イーオン社長)】メジャーリーグを経験される前後でどのような変化を感じていらっしゃいますか。

【青木宣親氏(プロ野球選手)】ヤクルトにいた最後の2年ぐらいは正直、モチベーションが少し落ちそうだったんです。そのような中でアメリカに行ったわけですけど、メジャーにはもともと行きたかったというのもありながら、「環境を一度変えて自分をもっと高めたい」という気持ちもあったんですね。その点、今は野球熱がまたすごく出ています。37歳になりましたが今までにないぐらいやる気になっていますし、野球を楽しくできています。

それと同時に、向こうでいろいろな経験をさせてもらい、立場も変わって帰ってきているので、今までやってきたことをもとに若い選手たちをうまく引っ張っていければと思っています。

【三宅】なるほど。私は大の野球ファンなので期待しております。青木選手の英語との出会いは、やはり中学校ですか?

【青木】そうですね。ただ、野球ばかりしていたので特に英語が好きだったというわけではなく……。もしあのときからメジャーを志していれば、もっと真面目に勉強していたかもしれませんね。

■メジャーリーグと英語学習の相関関係

【三宅】メジャーリーグを意識されたのはいつごろですか?

【青木】大学4年生のときです。日米大学野球の日本代表としてアメリカに初めて行き、ニューヨークのシェイ・スタジアムとロサンゼルスのドジャー・スタジアムの2カ所でメジャーの試合を観ました。そのときに「いつかはこの舞台に立ちたい」という思いを持ったんです。

【三宅】英語の勉強を一生懸命されたのは、アメリカに行くことが決まってからですか?

【青木】はい。でも、本当に少しですよ。アメリカに行って自然と学んだことがほとんどです。

【三宅】アメリカに行かれる前は自信と不安のどちらが強かったですか?

【青木】野球のほうは、日本の「野球」とアメリカの「ベースボール」の違いはあるものの、基本的には同じですよね。そのため、そこはアジャストしていければいいと思っていました。でも、私生活に関しては正直、不安だらけでした。コミュニケーションもそうですし、食べ物や文化も違うし、性格も根本的に違うので。

【三宅】われわれのスクールにもスポーツが得意な小中学生で、将来海外で活躍するために英会話を習っている子どもさんがたくさんいます。英語ができたほうが生活のストレスは減りますか?

【青木】それは間違いないですね。自分ももっと英語がしゃべれていたら、いろいろとラクだったろうなと今でも思います。

■多様な人種と打ち解けるには?

青木「英語はしゃべれなくても、ジェスチャーを交えながら積極的にコミュニケーションしていました」

【三宅】実際に戸惑われたことで印象的だったことはありますか?

【青木】はじめてメジャーの春のキャンプに合流したときの話なんですが、選手たちが食事をする場所が、なんとなく人種で分かれていたんですよ。そこにきて自分は日本人なので、どこに座ればいいのかという問題があって。

【三宅】どうされたんですか?

【青木】自分のロッカーに近いテーブルに、誰がいても座るようにしたんです。そして自分から話しかけるようにしましたね。結果的にみんなとすぐに打ち解けられてよかったんですけど。

【三宅】それはすごいですね! そういう積極性は日本人の弱いところです。

【青木】僕もそう思います。もちろん、英語は全然しゃべれなかったので、ジェスチャーを交えながら自分の興味があることとか知りたいことを無理やりにでも話す、という感じでしたけどね。

一応、通訳はいたんです。でも、通訳を介するよりダイレクトに話すほうが相手への伝わり方が全然違うんですよね。あるとき、少し気になって同僚に「通訳を介した会話ってどうなの?」と聞いたことがあるんです。そうしたら「ダイレクトで話すほうが断然いい」と。当時の僕の英語は全然ダメだったはずなのに、「お前はちゃんとコミュニケーションがとれている」と言われて、「そういうものなのかな」と思ったんですね。

もちろん文法などがしっかりしていたほうが間違いなく伝わると思いますけど、まずは自分から話しかけるとか、そういう積極性がコミュニケーションにおいてものすごく大切なんだなというのを感じましたね。

■英語を話すには「少し違う自分」を演出する

【三宅】積極的に話しかけようと思ったのは、もともとのご性格ですか? それとも意識的に行ったのですか?

【青木】完全に意識的に行っていました。実はメジャーのなかでも英語がしゃべれない人もけっこういるんです。南米の選手とかで僕の耳で聞いても「あれ? これって英語になっていないよな」とわかることがあったんです。念のため、通訳に「彼はいま英語をしゃべろうとしているけど、あまりしゃべれてないよね」と聞いたら、「全然しゃべれていないです」と。

そんな場面に遭遇して「英語をしゃべれないのは俺だけじゃないんだ」とちょっと安心したのもあるんですが、少なくともその選手は彼なりにしゃべろうとしていたんですね。それを見て「あ、文法や単語が間違っていてもいいから、とにかくしゃべろうとすれば伝わるんだな」ということを改めて理解して、僕もチームメートに積極的に話しかけるようにしました。

【三宅】英語を話すときは少し違う自分になるということも必要なのかもしれないですね。

【青木】僕はまさにそのパターンでした。英語を話しているときは、なんというかちょっと変に胸を張ってしまうんですよ。野球でも日本の選手はデッドボールが当たるとけっこう痛がるんですけど向こうの選手は痛がる振りをしない。もちろん本当は痛いんですけど、弱いところを見せない。それと一緒かなとちょっと思いました。

■何を言われても英語で返答していた

三宅「外国人教師は日本語ができなくても『できる』と真顔で答えるんです」

【三宅】実は私どもの外国人教師でも「こんにちは」と「おはようございます」しか言えなくても「日本語ができる」と真顔で答える教師が多いんです。その辺のマインドの違いがあるんでしょうね。

【青木】そうだと思います。わからなくてもわかっている振りをするというか、虚勢を張るというか。「いやいや、俺、強いし」みたいな(笑)。

僕が英語を話すときも、ちょっと戦っているぐらいの気持ちで、何を言われてもとりあえず返すようにしていましたね。

【三宅】わからないときは辞書を引いたりしていたのですか?

【青木】それをしていたらもっと英語は上達していたんでしょうけど、実はそういう余裕がないくらい本業に集中していたんです。初めの2カ月くらいは英字新聞を読んだりして、本格的に英語力をあげようと思ったのですけど、いざ向こうに行ってみると野球のことを考えることで頭がパンクしそうになってしまって。

【三宅】本業がおろそかになってはまずいですからね。

【青木】そうなんですよ。メジャーリーグはレベルがどうしても高いので、打席のなかで考えることが日本より多いんです。それこそクラブハウスに行くと初めの1時間は対戦投手の癖を頭に入れるためにパソコンでデータをひたすら見続けるんですね。それくらいしないと対応しきれないので。

■最初は外人はみなカッコよく見えていた

だから僕の場合はまずは野球に集中して、英語に関しては不自由ない程度にできればいいかなと割り切ったんです。そういう感じなので、勉強を本当にしたかと言うと実はしていないんです。

【三宅】でもアメリカの人とのコミュニケーションが常にあるわけなので慣れてきますよね。

【青木】はい。そこは自然と慣れてきますね。日常生活を送るくらいなら全然困らないようになりましたし、チームメートとの会話も、話題が野球のことなど、食事をしているときの雑談のようなことばかりなので、そういうことはなんとなくわかるようになりました。

でも、アメリカ人が2人で会話しているところにパッと入って話を理解して話すというのは、向こうに6年いても難しかったですね。

そういえば、アメリカに行った当初は外国人の顔の見分けもあまりつかなくて、みんなカッコよく見えていたんですけど、今だったら「あ、こいつあまりカッコよくない」とか、わかるようになりましたね。

■英語に耳が慣れても、使わないとゼロになることも

【三宅】今は英語の勉強はされていらっしゃいますか?

三宅 義和『対談(3)!英語は世界を広げる』(プレジデント社)

【青木】してないんですよ。現役を終えたらするかもしれないです。

【三宅】海外である程度耳が慣れるなどしても、英語を使わないでいるとゼロに戻ってしまうことはよくありますからね。

【青木】僕もせっかくアメリカに行って英語がなんとなくは聞けるようになって、友人もできたので、ここで終わらせるのももったいないと思っているんです。

その点、幸いまだ家がロサンゼルスにあるんです。来月(2019年1月)から自主トレでまたロスにいくんですけど、そうやって帰るところがあるというのは良かったなと思っています。家を手放していたら自主トレ先でアメリカを選んでいなかったかもしれないですから。

【三宅】将来的に英語が使えるコーチとか監督になれたらカッコいいじゃないですか。メジャーで日本人初の監督。

【青木】英語がしゃべれないとだめですね。その際はぜひ特別レッスンをお願いします。

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青木宣親(あおき・のりちか)
プロ野球選手
1982年宮崎県生まれ。早稲田大学卒業。2003年ドラフト4位で東京ヤクルトスワローズに入団。最多安打、首位打者、盗塁王、最高出塁率、ゴールデングラブ等、数々のタイトルを獲得。2度のシーズン200安打以上達成は史上初。WBC、五輪など国際大会にも度々選出。12年、米メジャーリーグのミルウォーキー・ブリュワーズと契約。7つの球団で活躍し、18年、東京ヤクルトスワローズに復帰。日本プロ野球通算打率ランキング1位(2018年シーズン終了時点)。
三宅 義和(みやけ・よしかず)
イーオン代表取締役社長
1951年、岡山県生まれ。大阪大学法学部卒業。85年イーオン入社。人事、社員研修、企業研修などに携わる。その後、教育企画部長、総務部長、イーオン・イースト・ジャパン社長を経て、2014年イーオン社長就任。一般社団法人全国外国語教育振興協会元理事、NPO法人小学校英語指導者認定協議会理事。趣味は、読書、英語音読、ピアノ、合氣道。

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(プロ野球選手 青木 宣親、イーオン代表取締役社長 三宅 義和 構成=郷和貴 撮影=原貴彦)

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