JAXA「デザイン思考」導入の全プロセス
プレジデントオンライン / 2019年2月15日 15時15分
■なぜJAXAの未来に「デザイン思考」が必要だったのか
画期的なアイデアが生まれない。出てくるのは既存路線の焼き直しばかり。多くの企業で聞かれる悩みだ。
JAXA(ジャクサ:宇宙航空研究開発機構)航空技術部門事業推進部の保江かな子は、あるひとことで、自分たちの研究開発を振り返るきっかけを与えられた。
「JAXAでは『おっ!』と言われるような研究はしていないんですか?」
【JAXA保江】「これは、研究所を見学にいらした方をご案内している時に問いかけられた言葉です。私は研究職で入社しましたが、JAXAには最先端の研究も多いし、面白さもやりがいも感じています。けれども、外の方にJAXAの研究がどう見えているかという視点で、ものごとを考えたことは一度もありませんでした。
一般の方が『おっ!』と思うような研究って何だろう。それは『こういう体験がしてみたい!』『これが欲しかったんだ!』と言われるものを作ることなのかも。そう考え始めていろいろ調べたことが、『デザイン思考』の概念に出会うきっかけになりました。」
保江が「新たな領域開発にチャレンジしたい」と、真っ先に相談したのが、同じ事業推進部で隣り合わせに座る岡本太陽だ。
■「技術」ではなく「人間」を中心に発想する
【JAXA岡本】「JAXAには着実な研究開発を進めて、5年、10年のスパンで産業界に技術移転するというミッションがあります。
その一方、もっと先の未来に対する弾込(たまご)めも必要ではないかと議論されてきたのが、ここ数年のこと。新分野開拓研究に予算を出す制度も立ち上がりました。
しかし、“技術主導”の発想では、どうしても既存分野の延長線上の発想になりやすい。どうすればもっとドラスティックにものの見方や発想を変えられるんだろう。僕自身もそう考えていたので、保江の課題意識には共感しました。」
保江と岡本は、研究すべき新分野そのものを考えたい。そのプロジェクトに予算をつけてほしいと上司に打診。並行してIDEO(アイディオ)のもとを訪ねる。IDEOはデザイン思考の生みの親として知られ、ティム・ブラウンCEOが率いるグローバルなデザイン・コンサルティング企業だ。
【JAXA保江】「私が手にとった本では、デザイン思考は、『技術』ありきではなく、『人間』を中心に発想をしてアイデアを生み出すと書かれていました。この方法で何か新しく、わくわくするような研究を生み出すことができないかと考えたのです。」
研究開発の現場としてコンサルティング会社を採用して進めるプロジェクトはJAXAとしてはじめての挑戦だった。
前例のない外部コンサルティングとの提携であったため、岡本と保江は、正式なプロジェクトのスタート以前に、IDEO Tokyo(以下IDEO)のディレクター野々村健一と4回の事前ミーティングを重ねている。
■「誰のための技術なのか」
【IDEO野々村】「最初、JAXAがデザイン思考で研究開発のヒントを得たいとおっしゃった時は、正直なところ、意外な気がしました。けれども話を聞くうちに、その課題意識は、研究技術の最先端をいく全世界の企業に共通する課題でもあると感じたんです。」
共通の課題――。それは、技術が先行して、「誰のための技術なのか」といった「人」へのフォーカスがされていないこと。このような課題は、まさにデザイン思考のアプローチが有効だ。
【JAXA保江】「『デザイン思考』を知らない人たちが社内にいるなか、IDEOとパートナーシップを組めることになったのは、いただいた提案書が圧倒的に魅力的だったからだと思います。」
結果的に、(1)エンドユーザーの潜在ニーズの抽出と分析を行い、(2)JAXAが取り組む価値のある新たな方向性、テーマ、コンセプトを可視化することがこのプロジェクトのゴールとなった。
2017年10月、数カ月の時間を経て、社内業務の一環としてIDEOとの共創が認められた。「圧倒的に魅力的だった」と保江がいうIDEOからの提案書も、社内の意思決定を後押しした。
デザイン思考の導入・その1:まず「問いかけ」から考える
ここで「デザイン思考」について説明しよう。
スティーブ・ジョブズの「顧客は自分たちが欲しいものは知らない」という言葉は有名だが、デザイン思考は、ユーザーの本質的な課題やニーズを可視化し、アイデアを創出(実装)する。このアプローチで大事なのは、答えを求めることではなく、良い問いを立てることだと野々村は言う。
JAXAのケースでいえば、「航空業界で新分野の研究を創造したい」という課題に対し、「空を飛ぶとはどういうことか?」「そもそも航空機とは何だろう?」「空が生活空間になったら何ができる?」といった、可能性を拡げる問いからスタートする。
今回のプロジェクトでは、たとえば戦時中戦闘機のコックピット設計にインスピレーションを与えたと言われる「茶室」を見学したほか、地上から高いビルの写真を撮り続ける高層ビルマニア、元オリンピック選手の柔道家など、様々な視点や経験を持つ人たちにインタビューを重ねた。これは、IDEOでは「デザインリサーチ」と呼ばれるフェーズの一環だ。
一見、航空業界の新分野開発には直結しなさそうだが、この「多様な視点」から得られるインサイトが、新しいアイデアを発想する上で重要だという。
【JAXA 岡本】「戦闘機のパイロットや柔道選手などの話を聞いて、速いスピードで動くと『空』はどう感じられるのか。体の角度が変わった時に『空』はどう見えるのか。どのようにして、『フローステート』と呼ばれる最大限の集中状態に入るのか。視点を変えた時に『空』がどう見えるかなどを聞きました。そこで感じたことを言葉にする経験は貴重でした。」
デザイン思考の導入・その2:客観ではなく主観で話す
【JAXA保江】「IDEOの方々に何度も『主観で話をしていいんですよ』と言われました。研究職の私は、普段は技術をベースにした客観的アプローチをします。けれども、デザインリサーチでは、何を感じたか、そのまま口に出していい。それが楽しかったし、自由に発想ができた理由のひとつだったと思います。」
【JAXA岡本】「主観にフォーカスして話をしたり聞いたりすると、尖った意見が出てきやすいですよね。その尖った部分に焦点を当てると、より人間の本質が見えてくるのかなと感じました。」
そうして生まれた大量のアイデアの断片は、組み合わせたり解体されたりし、最後はJAXAの思いに合っているか、という軸で集約されていった。
【IDEO堤】「アイデアを収束させていく段階では、JAXAのミッションがより色濃く浮き彫りになったと感じました。それは例えば、環境に対しての強い責任感や、防災に対する想いなどです。
デザイン思考は『人間中心の発想法』ですが、JAXAには、『人間目線』だけではなく、『地球目線』とも言えるような視点があると感じました。」
■「会社のメッセージ」のつくり方
【JAXA岡本】「僕が印象的だったのは、50代後半の上司の言葉です。このプロジェクトの企画書を持って行ったとき、『科学の情緒性が伝えられるといいよね』と言われたんです。
『飛行機は金属の塊だし、鋭利でしゅっとしていてスマートだけれど、生活者を支えるものだと考えたら、今の形があるべき姿の最終形かというと、僕は必ずしもそうじゃないと思っている。もっと人を包み込むような優しさがあってもいいよね』って。
そういうことを言うタイプには見えなかったので、すごく驚いたのを覚えています。これもこの上司の『主観』ですが、この仕事に対する『想い』を感じました。」
このような「主観の集合体」が、会社のメッセージになっていく。例えば、上司が話した「包み込むような優しさ」は、イラストの柔らかいタッチにも現れている。
【JAXA保江】「ポジティブで自由な発想ができたのは、デザイン思考の手法にくわえて、IDEOのミーティングの進め方や人間関係の構築にもあった気がします。
IDEOのみなさんは、絶対に否定的な言い方をしないんですよね。それは反対意見を言わないということではありません。違和感があっても、それをより良くするためにどうすればよいか? という観点でポジティブに発言をすることが、チームの人間関係を良くする。その姿勢が自分自身の創造性も高めるし、アウトプットの質も高める。これは、今回のプロジェクトを通して学んだ非常に大きな気づきでした。」
しかし、もちろん良いことばかりではない。企業がデザイン思考を取り入れた時には、必ずいくつかの壁に当たる。
デザイン思考の導入・その3:きちんと「モヤモヤ」しているか?
「デザイン思考」を実践する際、困難に感じやすいことのひとつは、着地が見えないこと。とくにデザイン思考の実践経験が少ない企業にとっては、プロジェクトへの不安につながりやすい。
【JAXA保江】「一番大変だったのは、先が見えなかったことです。計画を立て、社内で共感を得て予算を獲得しなくてはならないのに、未定事項が多い。『これで予算申請をして本当に大丈夫だろうか』と、不安ばかり募りモヤモヤした時期もありました。でも、IDEOには、その『モヤモヤ』が大事だと言われて。」
IDEOの野々村曰く、これはデザイン思考を取り入れはじめた企業が、必ず苦労することだという。社内の理解を得られず、IDEOに相談に来るケースも少なくない。
しかし、最初から落とし所が見えているのであれば、デザイン思考は必要はないとも言える。
【IDEO 野々村】「デザイン思考では、『どうなるかわからないモヤモヤ』のような、不確実性を前向きに捉えてチャンスに変える『発想の転換』が必要です。
といっても、僕も、言うほど簡単じゃないことはわかっています。ただ、こういった『結果を焦らず、不確実な状況を楽しみながら新しいものを生み出していこう』とするチェンジリーダーは、これから増えていくはずです。」
さらに、アイデアの種が可視化されたあとの実現のフェーズにも、ハードルがある。プロジェクトを牽引してきたJAXAの岡本は「この壁はまだ、超えられていない」と語る。
【JAXA岡本】「コンセプトサイトがオープンする際、社内に取り組みのプロセスも含めて、発信をしました。役員や研究者の一部には響いたという実感もあります。
しかし、ほとんどの人は、僕たちが経験したようなデザイン思考のプロセスに噛んでいない。否定はしないけれど、傍観している人たちに対して、なにかひとつでも具体的な研究開発につながるような働きかけをしていくことが、今後の課題です。」
■社内全員から共感を得ようとしてはいけない
デザイン思考で得られたアウトプットが、絵に描いた餅では意味がないのではないか。そのような意見を、IDEOはどう考えるのか。
【IDEO野々村】「JAXAに限らず、これまでにないアプローチで描いた新しいコンセプトに対して、社内全員が共感するのは無理だと思っています。そもそも、全体救済が目的ではないんです。」
見える化されたコンセプトをきっかけに、『自分も新しいことをしたい』『違うアプローチはどうだろう』と考える、チェンジリーダーが出てくるのが真の目的です。」
野々村は、このような動きは、世界中の組織で起こりはじめている変化だという。
組織は、チェンジリーダーたちに引っ張られる形で変わっていく。まずはプロジェクトを牽引したメンバーから。そして、その強い想いが伝播した仲間たちから。
【JAXA保江】「有志の取り組みでスタートしたプロジェクトですが、私自身は、なんとかこの連携で生まれたアイデアの種を、自分の研究につなげたいと思っています。
私の研究分野は、基礎・基盤研究です。人が実際に手にするプロダクトやサービス等とは遠いところにあったり、プロダクトを構成するごくごく一部分だったりします。
でも、このプロジェクトで出たアイデアを基礎・基盤の研究につなげられないと、IDEOと共創した『未来の空』を実現することはできない。だから、なんとか自分の研究につなげたいと思うんです。」
保江の決意は固い。
■「JAXAに対するイメージが変わった」
それだけではない。外部にメッセージを発信することによって、民間企業との共創が生まれる可能性もある。社内だけではなく、社外からの期待が高まることによる相互作用も重要だ。
今回、このサイトのコピーライティングを担当したのは、IDEOの森智也。IDEOに入社する前は、月面資源開発に関わっていた。前社の社員たちの間でも、このJAXAの発信は話題になっていたという。
【IDEO森】「悲観的なニュースが多い中、明るい未来を描くことは、本来、国がやるべき最も重要なミッションだと僕は思います。だから、これを公的機関であるJAXAが提示されたことに、重みがあると感じました。
JAXAのメッセージを見た民間企業の中で、「この分野で協業したい」といった会話が生まれるきっかけになったら嬉しい。」
現在、このプロジェクトには、こんな一般の人たちの声が寄せられている。
「日本を代表する機関がこういうことをやっているのは素晴らしい」
「日本から世界に、こういう面白いアイデアがあるんだぞ、と発信してほしい」
JAXAに対するイメージが変わった、応援したい、という声も多い。
そして、岡本や保江が描いた「未来の空」は、新しい世代にも受け継がれていく。
■「小さな一歩」から、未来はつくられていく
【IDEO野々村】「このプロジェクトの最中、僕たちはある高校で『どうすれば空を活用して、天候や災害に影響されない畑が作れるだろうか』と問いかけてみました。高校生の柔軟な発想を知りたかったからです。
高校生は、短い時間でいろんな素晴らしいアイデアを出してくれました。でも残念だったのは『だけど、日本の会社はどうせやらないよね』と諦めのような言葉を漏らす子がいたことです。中には、『グーグルだったらやってくれるかもしれないな』と言った子もいました。
僕はそんな彼らに『実は今、日本のJAXAの研究者の方々もみんなと同じようなことを考えているんだよ』と伝えました。その瞬間の彼らの驚きと喜びの歓声は、今でも忘れられません。彼らの輝いた顔は今でも目に焼き付いています。
技術よりも人にフォーカスして出されたアウトプットは、一朝一夕に実現するものではないかもしれません。でも、想いを言語化して視覚化することは、必ずその実現へのファーストステップになると信じています。」
月面着陸に成功したアームストロングは、「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」と語った。
若手有志からスタートしたプロジェクト「Future Blue Sky(フューチャーブルースカイ)」。この小さな一歩も、未来に続く大切な一歩となるに違いない。
(書籍ライター 佐藤 友美 撮影=宇佐美雅浩)
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