前職を見切り"シニア起業"のタネ探す方法
プレジデントオンライン / 2019年3月9日 11時15分
■50歳で考え始めた定年後の生活
56歳のとき、荒木正人氏は会社を早期退職した。今から15年前、2004年のことだ。理由は「すぐにでもやりたいと思う仕事が見つかった」からだ。その2年後、「サン・ゴールド介護タクシー」を個人で開業した。
「50歳のころに、定年後の生活を考え始めたのがきっかけでした。定年間際になってから考えたのでは遅いと思ったのです」(荒木氏、以下同)
荒木氏は当時、大手IТ企業に勤めるシステムエンジニア(SE)だった。勤続年数は31年。福祉事業とも、はたまたタクシー運転手とも、まったく畑違いの世界である。しかし荒木氏は、「逆にそれがよかったのだと思います」と振り返る。
前職では30代後半で課長に昇進。しかし、それ以上の出世は見込めないとわかっていた。管理職になると、現場の仕事からは外れる。さらに50代になると、部長付の肩書で閑職に回された。
荒木氏がSEの仕事に就いた1970年代は、まだコンピュータの黎明期。その後、インターネットの登場と普及により、IТ技術は急速な進化を遂げていく。
「その目まぐるしい変化を思うと、私の世代の知識や技能では、とてもこの先の変化に追いつけない。だから、定年後に何か仕事をするにしても、同じ業種ではやっていけないだろうとは考えていました」
そこで荒木氏は、とりあえず何か資格を取っておこうと考え、50歳のときに、シニアライフアドバイザー(SLA)の講習を受けた。
SLAは、中高齢者の生活支援をするボランティアのための認証制度。有償で事業を行うための資格ではない。定年後に「多少は生活の足しになる程度の収入を」と考えていた荒木氏。これは少々当て外れだったが、SLAの勉強会で介護タクシーという業種と出会うことになる。
「当時はまだ、介護タクシーではなく、福祉有償運送と呼ばれていました。話を聞き、すぐさま講師に頼み込んで、開業するための条件や手続きなどを教えてもらいました」
荒木氏は、若いころから車好き。要介護者や障害者の通院や外出を助ける介護タクシーは、社会のためにもなる仕事だ。しかも、収入が得られる。「これだ!」と思った。
「55歳まで勤めれば、退職金は満額もらえましたし、早期退職なら上乗せもありました。それまでに、介護タクシーの開業準備をしようと考えたのです」
■在職中に資格を取得し、開業の準備
介護タクシーの営業に必要な普通自動車二種免許は、会社に在職中、週末を利用して取得し、ついでに大型二種免許も取った。早期退職したのとほぼ同時に次男が大学を卒業し就職、2人の息子はともに親の手を離れた。その後にホームヘルパー2級(訪問介護員)と、福祉住環境コーディネーター2級の資格も取得。そして2年後、58歳で再スタートを迎えた。
初めはポツリポツリだった送迎依頼が、半年後には日に数件に増えた。月収は10万円ほど。「儲けようと始めたわけではない。小遣い稼ぎ程度で十分」と当初は考えていた。
やがて人工透析の医院と契約して患者の送迎サービスを始め、さらにそれらの医院へ運転手を派遣する業務も手掛けた。起業して7年目には事業を法人化して、車両も運転手も増やした。
「多いときで4台の車両を、運転手12~13人で回していました。競合相手が少ないころでしたから、儲かりましたね。2年続けて、年間の消費税額が1000万円を超えました」
だが、好事魔多し。契約先の医院から受託料を大幅に値切られたうえ、派遣していた運転手を引き抜かれてしまった。これではとても採算がとれないと事業を縮小。車両は3台に、運転手は自身を含めて3人に絞った。その体制のまま、介護タクシーを今も続けている。
■会社でのキャリアにこだわらない
事業の拡張には失敗した。そのときの借金は、今も残っている。介護タクシーは制約が多く、一般のタクシーのように街を流して客を拾うことができず、病院前や駅前に車両を待機させることもできない。
「基本的にはお客様の予約が頼み。『待ちの商売』です。同業者が増えた今では、儲かる商売ではないし、楽な仕事でもない。家内には『死ぬまで働け』って言われてる」
そう苦笑する荒木氏はしかし、定年を前に会社を辞めて起業したことをまったく悔いてはいない。むしろ、得たもののほうが多かったという。
「在職中に、ボランティア活動に関わったことが大きかったですね。SLAのメンバーには退職者が多かったのですが、さまざまな職種を経験してきた方々がいました。それまで私は、社内や同業の人しか知りませんでしたから、それがとても新鮮で、たくさんいい刺激を受けました」
介護タクシーとの出会いも、その場がもたらしたものであるし、多様な業種の人と交流することが、起業する意欲にもつながった。
無口だったという荒木氏も、「こんな性格じゃなかったと思うくらい、よくしゃべるようになった」。今では自社の運転手に「お客様とは、まず天気のことから話せ」などとアドバイスするまでに変わったという。
「会社の枠組みから一歩離れて、多様な人と出会える場をつくることが大切」だと、荒木氏は強調する。
「個人的に関心のある分野やテーマの勉強会や講習会などに参加してみる。それだけでも、視野が広がっていくはずです」
定年後の仕事を考えるとき、荒木氏は自身の経験から「会社で積んできたキャリアに、あまりこだわらないほうがいい」とも言う。
「転職でも、定年後の再就職でも、多くの方はそれまでのキャリアを生かしたいと考えます。でも、極論すれば会社での実績は、会社の看板があるからできていたにすぎません」
荒木氏が定年後の生活を考え始めた時期は、介護保険制度が施行されて間もないころだ。高齢者対策は、すでに大きな社会課題となっていた。新たなビジネスが生まれてくる分野だろうと荒木氏は予想し、高齢者支援に関係する資格の取得に目を向けた。介護タクシーを始めたときは、「先見の明がある」と人に言われた。
「むしろキャリアにこだわらず、大手の企業が手を出さないような、ニッチな市場を狙って事業を起こすほうが面白いと思いますよ。よほど手持ちのお金がない限り、ローリスク・ローリターンのものが望ましい」
介護タクシーを始めたころ、「ありがとう。またお願いします」「気をつけて帰ってください」と、お客様から感謝やねぎらいの言葉をかけられたときの感激が、今も仕事を続ける強いモチベーションになっているという荒木氏。今、70歳という年齢で仕事を持ち、忙しく働けることに、生きがいを感じている。
●今の職場の枠を離れよう
●情報収集は不可欠
●キャリアにこだわらない
●ローリスク・ローリターン
●ニッチ市場を狙え
開業前後の荒木さん
退職時(56歳)の状況
●妻(共働き)、長男は社会人、次男がこの年に独立
●預貯金2000万円台前半
●都内に持ち家(駐車場付)
初期投資
●250万円(専用車1台)
取得資格
●在職中:大型二種運転免許、シニアライフアドバイザー
●退職後:ホームヘルパー2級、福祉住環境コーディネーター2級
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サン・ゴールド介護タクシー代表
1948年生まれ。71年日本大学商学部卒業。自動車販売ディーラーを経て住商情報システム入社。2004年早期退職、06年介護タクシー業を起業。13年サン・ゴールドケアブレーン株式会社設立。
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(ライター 高橋 盛男 撮影=永井 浩)
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