中国人が日本でワクチンを大量接種する訳
プレジデントオンライン / 2019年3月12日 9時15分
■子宮頸がんの9割をカバーするワクチン
ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染を予防する「ガーダシル」というワクチンがある。HPVは子宮頸がんをひき起こすとされるウイルスだ。海外では、9つの型のHPV感染を抑える9価(※)のガーダシル(ガーダシル9)が世界標準となっているが、日本にはいまだ4価のガーダシルしか導入されていない。
※編集部注:病原体に複数の型がある場合、それぞれに応じた抗原を含むようにワクチンが作られる。9価であれば9種類、4価であれば4種類の抗原を含む
4価のワクチンはHPV‐6,‐11,‐16,‐18の感染を抑えることで子宮頸がん全体の7割をカバーしていた。それに加えてHPV‐31,‐33,‐45,‐52,‐58も抑える9価だと、子宮頸がんの原因となる抗原の9割をカバーする。子宮頸がんの発生率を大幅に減らせると期待できる。
■日本だけが世界標準の情報から切り離されている
ナビタスクリニック新宿では、2017年12月から9価のガーダシルを海外から個人輸入し、希望者への予防接種を行っている。
では、どんな人が接種を希望するのだろう。意外かもしれないが中国人だ。2018年10月までの接種者440人のうち289人は中国籍であった。大半は日本に住む20代の留学生だが、予防接種目的で来日する人もいた。一方、日本人は151人と半数以下、しかも男性や30代女性も含む人数であり、肝心の20代女性はさらに少なかった。
この関心の差はなんだろう。日本では、ガーダシル9についての情報がきちんと伝わっていない。日本だけが世界標準の情報から切り離されているため、日本人と中国人との関心度に違いが出てしまったのではないだろうか。
■子宮頸がんの予防方法として十分に期待できる
ここで、ガーダシルについて紹介しておきたい。
ガーダシルが子宮頸がんの前がん病変である高度異形成を抑制することは医学的なコンセンサスがあるといっていい。オーストラリアの研究者たちから、2011年6月に英国の医学誌『ランセット』と、2014年3月に英国の医学誌『British Medical Journal』に報告が出されており、同様の報告はカナダなど他の国からも出ている。
子宮頸がんの予防効果についてコンセンサスはないはまだないが、フィンランドの研究者が、14~19歳の約2万7,000人に対し7年間追跡調査を行い、子宮頸がんの発症率はワクチン非接種群で10万人あたり6.4人だったが、接種群では0だったと2018年1月に『International Journal of Cancer誌』に報告している。つまりガーダシルは、若い女性に多い子宮頸がんの発症を減らす予防方法として十分に期待できるのである。
■英国政府は女児の定期接種にガーダシルを選択
当初、HPVワクチンは米メルク社のガーダシル(4価)と英グラクソ・スミスクライン社のサーバリックス(2価)が存在した。2009年には日本でも承認され、2010年には公費接種の対象に加えられた。2013年の予防接種法改正では法定接種に追加され、小学6年生~高校1年生相当の女子を対象にHPVワクチンの定期接種が始められた。
ところが、接種後に疼痛などの訴えが続発し、2013年3月には全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会が組織され、厚労省は6月に「積極的な接種勧奨を差し控え」を通達した。2016年には集団訴訟が提訴された。
現在、厚生労働省は禁止もしないが積極的に勧めもしない。さらに対象年齢以外の女性に対しては放置したも同然の状態が続いている。
一方、英国政府は、2011年11月に12~13歳の女児の定期接種に用いるHPVワクチンを、英国の企業が販売するサーバリックスからガーダシル4に変更すると発表した。
さらに米国では、2014年12月に米国食品医薬品局(FDA)が9価のガーダシルを承認し、2015年3月に米国疾病管理予防センター(CDC)の諮問委員会がガーダシル9の使用を推奨。2016年10月にはグラクソ・スミスクラインが米国でのサーバリックスの販売を停止した。2018年には米国食品医薬品局(FDA)が9価のガーダシルの接種対象を9~45歳の男女に拡大している。
■自費で接種すると10万円近くかかる
このように海外ではすでに9価のガーダシルが推奨されているが、日本国内では4価のガーダシルまでしか承認されていない。ガーダシル9は世界標準のHPVワクチンとしての評価を確立しているが、日本では未承認であり、その情報も国民にきちんと伝わっていない。
当院のガーダシル9は、もともと知人を介して「20代女性でもHPVワクチンを接種したい希望者はいる。自費で接種するのであれば、効果の高いとされる9価で接種したい」という声が届けられて導入した。医療関係の仕事につく彼女の周囲では少なからぬ人数がそのような考えを持っていることがわかったからだ。
ガーダシル9は原価が高いため個人輸入しても1回につき3万円以上の費用となり、さらに3回の接種が必要なため自費で接種するには10万円近くかかる。それでも、「日本国内で定期接種の対象から外れてしまっているけれども、HPV感染によるリスクを少しでも減らしたいと思っている人たちがいるならば」と、始めたことだった。
■ワクチンで将来の安心、安全を買う
最初の3カ月は月に20人程度の申し込みで、20~30代女性や、男性からの申し込みもあった。2018年3月頃から急に申込数が増え始め、半数以上を中国籍の方がしめるようになった。大半が留学中や就労で日本に暮らす20代の中国人女性だった。
診察のときに「なぜ、今回ガーダシル9を接種することにしたの?」と尋ねてみた。「中国でも接種しているけれど、私は今、日本に住んでいるから」「親から日本で接種してこいと言われた」「中国のワクチンはちょっと心配」「中国だと数が足りてなくて、日本のほうが早く予約ができた」「26歳を超えてしまったので中国では接種してもらえなくて」などなど。
なかには「日本国内で4価は止まっているけれども、9価は世界でメインですよね? 問題ないわよね?」という質問をしてくる方もいたが、日本で騒がれたような副作用を懸念する発言はあまり来ない。
むしろ「3回の接種が終わるまでセックスしないほうがいいのか」「途中で妊娠したときには接種スケジュールはどうしたらいいのか」という質問を積極的にしてくる。私が「日本だとあまりみんな接種してなくてね」というと「いや、接種するものでしょ。周りもみんな接種しているわよ」みたいな顔をされた。
そもそも接種する意志のある方々ばかりだからとも言えるが、少なくとも、中国人女性たちが当然のようにガーダシル9に関心を寄せ、積極的に接種しようとしていることがうかがえる。彼女たちにとっては、ワクチンは接種して当然。
それによって将来の安心、安全を買おうとしているのだ。
■HPVが原因のがんは男性にもある
HPVワクチンの研究が進んでいるのは子宮頸がんだけではない。肛門がん、陰茎がん、膣がん、外陰がん、頭頸部がんの一部はHPVが原因であることがわかっており、このようながんに対しても研究が進んでいる。これらは男性にも多いがんである。HPVワクチンについて知ることは、女性だけでなく男性のがん予防にもつながる可能性がある。しかし、そのことですら国内の一部の人にしか伝わっていない。
このような研究成果を世界の医学界は積極的に社会に訴えているし、一部は政策にも反映されている。アメリカやオーストラリアでは男女ともに接種することが推奨されている。集団免疫効果により全体の感染率を下げることが狙いだ。そういえば、海外留学予定の学生が、留学先から指定されたワクチンリストを持って私のクリニックを受診しているのだが、HPVワクチンも推奨リストに記載されていることが多い。学生に対し、何がリスクになりえるかということを示唆している分かりやすい例だと思う。
副作用についても多くの研究がなされているが、2013年7月にWHOの諮問機関である「ワクチンの安全性に関する諮問委員会」は「HPVワクチンは世界で1億7,000万回超が販売されており、多くの国で接種されている。市販製品の安全性に懸念はないことを再確認した」と総括している。
また2012年11月には、欧州医薬品庁(EMA)が、HPVワクチンは安全であるとの声明を出している。WHOは日本でのワクチン騒動を意識して、それを否定する声明を発表したが、日本のメディアでは取り上げられていない。
■海外と日本の「医療の情報格差」
ガーダシル9は世界標準のHPVワクチンとしての評価を確立しているが、日本では未承認であり、その情報もあまり伝わっていないと感じる。この理由には言語の壁もあると思う。
世界的な医学情報のほとんどは英語で共有されている。たいていは誰でもアクセスできるものだが、日本国内でひろく情報が共有されるには日本語でたやすく読める情報も必要だろう。医療関係者からの発信はあるものの、まだまだ十分に伝わっているとは言いがたい。
情報が少ないことは新聞報道の数からもよく分かる。ガーダシル副反応が話題となった2013年にくらべると、最近では「HPVワクチン」か「子宮頸がんワクチン」を含む記事はごくわずかである。これではガーダシル9の存在が一般市民の目に触れる機会はほとんど失われてしまう。
今回、当院でのガーダシル9の接種者の内訳から、「医療の情報格差」について考えさせられた。国内でも情報格差は存在するが、これは海外と日本との間の国際的な情報格差の話である。
日本でのみ重大な副作用がおきた可能性は否定できないし、そこを無視することもできないだろう。しかしガーダシル9の効果について知らないふりを続けるわけにはいかないのだ。そのほうがよっぽどたちが悪い。
接種するかしないかは、効果と副作用を天秤にかけ、本人が判断すればいいことである。しかし判断材料となる正しい情報が手に入らなければ、損をするのは日本人、それも若い世代の人たちなのである。
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医療法人社団鉄医会ナビタスクリニック新宿 院長
北海道大学医学部卒業。日本内科学会認定内科医、日本血液学会認定血液専門医。専門分野は、内科・血液内科・旅行医学。2006年4月より現職。生活動線上にある駅ナカクリニックでは貧血内科や女性内科などで女性の健康をサポート中。
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(医療法人社団鉄医会ナビタスクリニック新宿 院長 濱木 珠恵 写真=iStock.com)
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