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畳屋が"24時間営業"で大儲けできる理由

プレジデントオンライン / 2019年3月11日 9時15分

通常1人で完結させる作業を、役割を分担し複数人による流れ作業で行う。辻野社長は自身の経験から、職人の技術を効率よく身につけられるカリキュラムも作成した。

事業承継者がおらず廃業する中小企業が後を絶たない。一方、息子・娘などの後継者への代替わりを機に、化学変化が起きたようにビジネス・組織を革新的に変化させ、大きな飛躍を遂げる中小企業もある。そんな企業を「第二創業」と名付け紹介する。

今回は畳製造を手掛ける兵庫県伊丹市のTTNコーポレーション。フローリングの住居が増え、畳表の市場は1993年の4500万畳から1500万畳へと、25年で3分の1に減少している。厳しい市場のなかでも同社は売り上げを伸ばし、4代目の辻野福三郎氏が社長に就任してわずか9年で売上高65億円、全国に12拠点を展開する国内シェア日本一の企業に成長した。

急成長の裏側にはなにがあったのか。早稲田大学の入山章栄准教授が経営学の視点で紐解く。

■ビジネスを拡大させた、新社長の「知の探索」

最初のキーワードは「知の探索」です。革新を起こすには、自分の眼の前のことよりも少し離れたところのことを幅広く知ろうとする好奇心の強さが重要だ、という理論です。

実際、辻野さんは「知の探索」の塊のような方です。辻野さんが子供の頃、家は1階が作業場で2階が住居。商店街のはずれで父、母、祖母の3人で細々と営む、いわゆる街の畳屋さんでした。小学生の頃にはカブトムシやクワガタを700~800匹も育てるほど、探究心旺盛な子供だったそうです。

「6年生の夏祭りの日、父親が僕に商売の楽しさを教えようとしたのか、『おまえのカブトムシ、売ったらええ』って言うので、軒先で売ったんです。少しだけど買ってくれる人がいて、鮮明に記憶に残っています」

さらに辻野さんはカブトムシを売るだけでなく、育成にも興味を持ちます。巨大なカブトムシが育つのではないかと思い、幼虫がいる土にプロテインを大量に混ぜ、全滅させてしまったこともあるのだとか。

このような「実験好き」に見られる探究心は、まさに「知の探索」を持つ方の特徴です。たとえばアマゾンCEOのジェフ・ベゾス氏は、幼少期に住んでいた祖父の家の車庫を実験室に改造し、科学実験に熱中していたそうです。「実験好き」はイノベーターの共通項かもしれません。

辻野さんの転機は1995年の阪神・淡路大震災にありました。多くの家が倒壊し、新築ラッシュが起こり、畳の需要は急増。高校を中退していた辻野さんは家業の畳作りを手伝い始めます。「畳張りの仕事があまりにも面白く、畳屋を継ごうと心に決めました。それに根拠はないけどなぜかこのとき僕は、日本一の畳屋になれると思ったんです」。

■カナダで身につけた自己効力感

畳職人になる気満々の辻野さんに対し、母親は意外なことを言い渡します。「簡単にうちで働けるとは思わんといて。海外に行ってきなさい」と。そして、辻野さんはカナダ・バンクーバーに3年間、留学することになります。

4代目 辻野福三郎(辻野佳秀)代表取締役社長

ここで登場するのが経営学の2つ目のキーワード「自己効力感(Self-esteem)」です。経営学では、さまざまな心理実験などを用いて、人が「自分でもできるのではないか」という自信を持つことが、その人のモチベーションを高め、組織を強くするうえで非常に重要といわれています。実際、辻野さんがカナダで身につけたのは、この自己効力感だったようです。「それまではちょっと嫌なことがあったら逃げる性格だったんです。でもカナダでは、そのままでは何もできなかった。言葉が全く通じない環境で、日常生活を送るのにも挫折の連続でした。カナダでの3年間の経験が、『何でも乗り越えられる。何とかなる』という強い心をつくってくれたんです」。

3年間の留学を終えた辻野さんは社会人経験を積みたいと、1度は台湾の商社に就職を決めます。しかし、そのことを親に話すと「すぐにでも家業を手伝ってくれ」と言われます。

じつは実家の畳店では、大きな変化が起きていました。震災後の特需で売り上げが伸びたため、当時社長だった父親が数億円を投資。300坪ほどの土地に工場を新築していました。しかしほどなく特需が終わり、需要は一気に減少。畳の価格も半値までに下がり、経営は逼迫していたのです。

「でも日本に帰って工場を見たとき、僕は『親父、スゲェ』って感動したんです。それは僕が思い描いていた通りの工業化された工場だった。親父は、僕の知らないうちに日本一の畳屋に向かって、一歩踏み出していたんです」

この父親の事業をさらに飛躍させたいという思いで、辻野さんは帰国し、家業を手伝います。ただ、入社した辻野さんを待ち受けていたのは多くの試練でした。

「畳屋は昔からの職人さんたちの仕事です。そこにカナダ帰りの20歳の息子が入ってくるわけでしょう? 入社の挨拶で僕、『この会社を日本一の畳屋にしたいです』と言ったんです。当然、『なんだあいつ』って感じですよ(笑)。ほとんど無視されて。でも、英語も喋れず、現地の文化もわからず、何の力もないのにカナダに行ったときに比べれば、楽だと感じたんですよね」

入社したての辻野さんが逆境を突破する原動力になったのは、まさにカナダで身につけた自己効力感だったのです。辻野さんは周囲に信頼されるためにも、まずは職人の技を身につけようと、皆が帰った後に父に技術を教わって練習をしました。結果、3カ月で畳作りの基本的な技術を身につけ、徐々に従業員と会話ができるようになっていったといいます。

技術を身につけた辻野さんは、次に組織をどうすれば成長させられるだろうかと考え始めました。松下幸之助などの本を読み漁り、色のついた畳を商品化したり、畳の座布団を作るなど、商品開発も行いました。当時はほとんど売れなかったそうですが、言い出したことを自ら実行して成果を積み重ねていくことで、父親や職人の信頼を勝ち得ていったのです。

■転機となった、ファミレス社員の声

そして入社して5年目。辻野さんが25歳のとき、彼は大きな改革を起こします。その後5年間でTTNコーポレーションを日本一の畳屋に押し上げた、「24時間対応の畳の表替えサービス」です。きっかけは畳を張り替えに行った大手ファミリーレストランチェーンの店舗改装責任者との会話でした。辻野さんは、彼の口からポツリと出た「夜中に畳の張り替えできへんの?」というぼやきが気になります。レストランとしては、貴重な営業日を削って、畳の表替えのためにわざわざお店を休業したくない、というのです。

(写真上)ヒーリング効果のあるい草をつかった商品開発も進める。(下)一点一点サイズを調整しながら仕上げていく。

一方で当時、客のために夜中に作業するという畳屋さんは全国にもありませんでした。もちろん多くの畳屋さんが、ファミリーレストランや居酒屋チェーンが増えるなかで、「深夜操業すれば喜ばれるだろうな」と気づいていた可能性はあるでしょう。しかし、気難しい職人たちの仕事の時間を変える会社はなかったのです。

なぜ畳産業はそんなに前近代的なのか。「大量生産で安いものを作ってパッと入れ替えればいいじゃないか」と思わないでしょうか。それがなかなか難しいのです。辻野さんによると、同じマンションに1000枚の畳があっても全く同じ畳は、1枚もないそうです。なぜなら部屋を寸法通りに作ることはできないから。数ミリのズレでも隙間ができるので、必ず部屋ができあがってから細かく採寸し、畳を作るのだそうです。劣化した畳を直す際には、一枚一枚形も厚みも材質も違う畳を、目を揃えて美しく仕上げる熟練の職人技が必要なのです。

ここで辻野さんは、まさに「知の探索」行動を起こします。大胆にも、深夜の表替えを引き受けたのです。しかし、周囲の職人は誰も手伝ってくれません。そこでなんと1人で24時間勤務を始めたのです。

「1日2回勤務しました。通常の業務時間が終了したら1度家に帰り、食事と風呂と2時間の睡眠を取ってから夜再度出勤。閉店した店舗に行って畳を引き取り、工場に運んで表替えをする。終わったらまた家に帰って2時間の睡眠を取り、オープン前の店舗に畳を運び入れて、それから昼の出勤です」

せめて日中の仕事はほかの職人に任せればよいのですが、当時工場長だった辻野さんはすべてを自分1人でこなしました。結果、夜の注文は評判が上がり、当初は週に1回だった表替えが、週2回になり、やがて週3回になり、2カ月後には毎晩になりました。

「それから2カ月ほどで僕はみるみる痩せていった(笑)。その悲惨な姿を見て、『僕もやりますわ』って、1人また1人と、仲間が夜勤を手伝ってくれたんです。それから交代制のシフトをつくった。あんな無茶はもうできません。本当に死にかけましたよ(笑)」

このように、周りの職人が次々と辻野さんを助けるようになってくれたのは「自己効力感」の効果です。特にこれは、自己効力感の「代理学習」(Vicarious Learning)と呼ばれるもの。人は、自分の経験からだけで自己効力感を高めるのではありません。他人が頑張って成功するのを目の当たりにすると「自分もできるのではないか」と考え、自己効力感が高まるのです。辻野さんが夜勤を始めて受注が増えてきたことを周囲の職人が目の当たりにしたからこそ、彼らも「ああ、俺たちもできるんだ」と自己効力感がチームに伝播したのです。周りの職人にとって当初は“また坊ちゃんが勝手に始めた”「他人事」だったのが、「自分事」に変わった瞬間といえるでしょう。

協力してくれるメンバーが増えてくると今度は徹底的に営業を始めました。年中無休を基本にする飲食店や旅館はなかなか畳を替えられず、困っていました。畳屋さんが24時間対応する画期的なサービスは、社会に強く求められていたのです。おかげで契約は面白いように取れました。そこから同社は急成長を始めます。

24時間営業が成功すると、辻野さんはすぐさま、日本一の畳屋になるための支店展開を始めます。2店舗目となる神戸店をオープンすると、それまで外注していた襖張りの内製化。さらに、コンシューマー向けの小売店「三条たたみ」を立ち上げます。

「BtoCを始めて、お客様と直接会話ができるようになった。ハウスメーカーや工務店や不動産会社の下請けの場合は、とにかく安い畳を入れてくれればいいというのが基本でした。直接販売できめ細かくて美しく、強く、色艶がいい高級畳を販売できるようになった。畳のある暮らしのよさを提案できるようになってきたんです」

24時間営業のスタートから怒涛の1年。私が注目したのは、成長が始まる前、売り上げ4億5000万円の年に辻野さんが、「来季は売上高10億円いくから、そのための体制をつくろう」と宣言したことです。先代社長は、「またアホなことを言い出した」と苦笑いだったそうです。しかし、それまでの辻野さんを見てきた社長は、反対しませんでした。「ようわからんが、頑張りや」と背中を押したのです。宣言通り、翌年売上高10億円を達成しました。

現在、同社はさらなる展開のために、個人経営の畳屋さんと連携し、24時間表替えサービスの全国ネットワークをつくり始めています。衰退する産業で他者を駆逐するのではなく、畳需要の衰退を止めたい。全国に根ざした貴重な職人企業とともに生き、畳の素晴らしさを再び広め、少しずつでも市場を取り返そうとしているのです。

▼第二創業成功のポイント:体を張って困難に挑戦、その成功が「職人」の意識を変えた

会社概要【TTNコーポレーション】
●本社所在地:兵庫県伊丹市北伊丹
●資本金:3000万円
●売上高:65億円(17年2月期グループ合計)
●従業員数:450人
●沿革:1934年「畳福」を創業。93年現社名に変更。2002年の神戸店を皮切りに、08年には東京支店をオープンし、現在は全国に12店舗を展開する。

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入山章栄
早稲田大学ビジネススクール准教授
三菱総合研究所を経て、米ピッツバーグ大学経営大学院でPh.D.取得。2008年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールの助教授を務め、13年より現職。専門は経営戦略論および国際経営論。近著に『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』。
 

4代目 辻野福三郎(辻野佳秀)
TTNコーポレーション 代表取締役社長
1977年、兵庫県生まれ。街の畳屋の長男として生まれる。高校を中退後、カナダへ留学。20歳で帰国し、同社へ入社。24時間営業の畳張り替えサービスを2004年に開始。08年に社長に就任。10年には畳と関連商品の販売をする三条たたみブランドを立ち上げた。尊敬する経営者は松下幸之助。
 

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(早稲田大学大学院経営管理研究科教授 入山 章栄 構成=嶺 竜一 撮影=福森クニヒロ)

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