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金正恩が65時間の鉄道旅行を選んだワケ

プレジデントオンライン / 2019年3月7日 15時15分

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は、緑色の特別列車で、2回目の米朝会談が行われたベトナムに入った。中越国境にあるドンダン駅を経由するルートで、写真は今年1月に同駅で中国共産党の幹部と会談したときの様子(写真=AFP/時事通信フォト)

■会談は「世界最大の政治ショー」となった

ベトナムの首都ハノイで行われた2回目の米朝首脳会談は、物別れに終わった。突然、予定されていた昼食会と共同声明の署名式典がなくなり、アメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が予定を繰り上げて帰国してしまった。

何かと物議を醸し、国際社会から嫌われるこの2人。それだけに会談は世界最大の政治ショーでもあり、沙鴎一歩はもう少し楽しみたかった。残念である。

それにしても首脳会談で驚かされたのが、正恩氏のプロパガンダのうまさ、アピール力のすごさである。

正恩氏は2月23日の夕方、特別列車に乗って北朝鮮の平壌(ピョンヤン)を出発して26日午前8時(日本時間午前10時)過ぎに中国との国境に近いベトナムのドンダン駅に到着した。約65時間という長い鉄路の旅だった。

これまで正恩氏は中国やシンガポールを公式訪問してきたが、これだけの長い移動は初めてだろう。

■なぜ専用機ではなく列車でベトナムまで向かったのか

正恩氏はなぜ、航空機ではなく列車を選んだのか。

テレビや新聞はその理由を正恩氏の性格や北朝鮮の国情を分析したうえで、こう報じている。

祖父の金日成(キム・イルソン)主席の足跡をたどることで、自らの権威を国内外に示したかった。1958年に日成氏が初めてベトナムを訪問したとき、平壌から中国・北京まで特別列車で移動した。ベトナムで出迎えたのがベトナム建国の父といわれるあのホー・チ・ミン主席だった。

もちろん正恩氏は専用機を持っているが、老朽化が進んで性能がかなり落ちている。昨年6月の1回目の米朝首脳会談でシンガポールに行ったときと同じように中国の特別機を使わせてもらう方法もあったが、正恩氏の体面がそれを許さなかったらしい。

航空機と違って、列車と車(ドンダン駅からハノイまで黒塗りの車両)の旅は、中国やベトナムの町や村を車窓からじっくり見ることができるという利点もある。北朝鮮にとってベトナムはモデル国でもあり、正恩氏は直接自分の目で経済的に発展した様子を見たかったのだろう。

それに北朝鮮とベトナムはベトナム戦争でアメリカと戦った戦友国でもある。

■窓には防弾ガラス、軍用装甲車並の防御

沙鴎一歩もこうした解説を否定はしない。ただ特別列車は、政治ショーを盛り上げる演出の大道具だったとはいえないだろうか。

65時間という長さだ。この長さを使わない手はない。アメリカ、北朝鮮、ベトナム、中国など直接関係する国だけでなく、世界中の国々が特別列車の模様を報道する。日本のテレビを見ていればそれはよく分かる。特別列車によるベトナム訪問は最高の宣伝だった。

特別列車の窓には防弾ガラスが取り付けられ、軍用装甲車並の防御がなされ、武器類も配備されているだろう。それでも移動時間と距離が長い分、狙われやすい。沿線の厳重な警備が必要である。

ルートの大半が中国国内だ。中国が警備に全面的に協力したというが、約4000キロもの沿線をどうやって警備したのだろうか。費用も人力も相当かかる。一党独裁国家という中央政権が巨大な力を持つ中国だからこそ、できたのだろうと思う。

とにかくすごいのはその中国をも後ろ楯にしてしまう正恩氏のしたたかさである。

■妹を最初に降ろす正恩氏の計算力の高さ

濃い緑色に塗られた特別列車がベトナム・ドンダン駅に到着したとき、最初に姿を現したのが正恩氏の妹、金与正(キム・ヨジョン)氏だった。彼女は正恩氏とともにスイスに留学した経験があり、頭が良くて数カ国語に堪能だ。しかも行動力があり、正恩氏から一番信頼されている。

正恩氏は計算があって与正氏を先に降ろしたのだと思う。待ち構えるテレビカメラの前に自分のかわいい妹を出す。その姿は世界中に報じられる。与正氏はシンガポールの会談でも、こまめに動くその姿が何度もテレビに映っていた。だれもが兄思いの妹だと感心するはずだ。しかも女性であることがちょっとした色を添える。巧みな演出である。

仮に最初に姿を見せたのがふてぶてしい顔つきの正恩氏本人や男の側近だったとしたら、これから始まる政治ショーは盛り上らないと判断したのだろう。

■正恩氏とトランプ氏の表情が対照的だった理由

テレビを見ていると、正恩氏はよく笑顔を見せていた。それに比べトランプ氏の表情は固かった。米朝首脳会談は2月27日と28日の両日に行われたが、とくに28日の表情は一段と厳しかった。28日は昼食がキャンセルされ、共同声明の署名式も行われなかったあの物別れの日である。

トランプ氏は記者会見で「北朝鮮が一部の核施設の廃棄を行う見返りに制裁の全面解除を求めてきたが、それには応じられなかった」と話した後、28日午後3時前(現地時間)、予定よりかなり早く帰国の途に着いた。

トランプ氏の表情を厳しくさせたのは、あのロシア疑惑のせいだろう。トランプ氏の元顧問弁護士マイケル・コーエン氏が27日の米下院監督・政府改革委員会の公聴会で、ロシアが大統領選に干渉したとされる問題について触れ、「トランプ氏は事前に干渉を知っていた」と証言した。この証言でロシアとトランプ氏の結び付きが濃厚になった。

ロシア疑惑は、2016年7月に内部告発サイト、ウィキリークスによって民主党クリントン氏陣営に大打撃を与える大量のメールが暴露されたのが発端だった。これまでトランプ氏は「事前には知らなかった」と説明してきた。

■米朝の「物別れ」はロシア疑惑のたまものだ

公聴会では、コーエン氏はトランプ氏の不倫問題をめぐって「嘘をつくよう指示された」とも明らかにした。

米朝首脳会談でハノイにいたトランプ氏は、この公聴会をテレビ中継で見ていたようだ。翌28日午後の記者会見では「彼は公聴会でたくさんの嘘をついた。非常に恥ずかしい」とコーエン氏を激しい口調で批判した。

コーエン氏の公聴会の日程は、下院で多数を占める民主党がトランプ氏の足を引っ張るために首脳会談と同じ日にぶつけてきたといわれる。結果的に球は良い方向に転がった。なぜなら懸念されていた安易な妥協をランプ氏がしなかったからだ。ねじれ議会のたまものだ。政治にはこうした予期せぬたまものが必要なのである。

数の力に頼って驕る安倍晋三首相はこの現象をどう思っただろうか。

■あれほど楽観していた大統領の言葉は何だったのか

事実上の決裂に終わった米朝首脳会談を受け、新聞各紙は3月1日付の社説で一斉に取り上げた。しかしその大半は肩肘張っていて、斬新さに欠け、主張自体がマンネリ化している。たとえば朝日新聞の社説はその中盤でこう主張する。

「だが、もはや後戻りはできない。トランプ氏と金正恩・朝鮮労働党委員長は前回、『朝鮮半島の永続的な平和体制』づくりを誓った責任がある。今度こそ事務方の協議を重ね、仕切り直しをめざすほかあるまい」

見出しも「実質交渉を仕切り直せ」である。

だれが見ても、仕切り直しは当然のことである。トランプ氏本人も正恩氏に交渉の継続を約束している。もしトランプ氏がこの朝日社説を読んだら、「当たり前のことを主張するな」と怒り出すかもしれない。

朝日社説の書き出しは「今度こそは、という国際社会の期待に大きく背く再会だったといわざるをえない」で、これに「あれほど楽観していたトランプ大統領の言葉は何だったのか、空しさが漂う」と続く。

朝日社説らしい皮肉を込めた書きぶりではあるが、果たして国際社会は朝日社説が指摘するようにそこまで2人の会談に期待していたのだろうか。

■ロシア疑惑でお尻に火が付いているトランプ氏

国際原子力機関(IAEA)の核査察や関係各国の6カ国会議など、国際社会はこれまで何度も、北朝鮮に核・ミサイル開発の中止を求めてきた。しかし北朝鮮はあの手この手で開発を続け、いまや核保有国の仲間入りを成し遂げようとしている。トランプ氏が交渉したところで、正恩氏の態度が急変することはない。国際社会はそう自覚し、交渉の難しさを十分に理解している。

朝日社説はこうも指摘する。

「トランプ氏が過剰な譲歩を控えたのは正しいとしても、そもそも溝が深すぎる。事前の準備の乏しさは否めない」
「国同士の問題の解決は本来、事務方の地道な交渉の積み重ねを要する。それを経ずにいきなり首脳会談に踏み切ったトランプ流の外交を本紙社説は『賭けに近い実験』と評した」

「溝が深い」「賭けに近い実験」。こう書くところを見ると、朝日社説も北朝鮮を相手にする難しさは理解しているようだ。ならば次はどう対処するかだ。

朝日社説はまず北朝鮮に「いずれ北朝鮮は米国批判を強めるかもしれないが、自らの態度を変えねば、孤立から抜け出せないことを悟るべきだ」と訴え、アメリカにはこう求める。

「朝鮮半島を緊張局面に戻すことは避けねばならない。そのためにも米国は迅速に米朝交渉を立て直す必要がある」

正論だが、ロシア疑惑でお尻に火が付いているトランプ氏にその余裕があるだろうか。まずはロシア疑惑の今後の展開を見届ける必要がある。

■「北朝鮮が示した非核化措置は極めて不十分だった」

「もの言う新聞」と自ら宣伝する産経新聞の社説(主張)はどうだろうか。朝日社説と違って大きな1本社説だ。見出しは「最大限圧力の原点に戻れ」「トランプ氏の退席は妥当だ」である。

産経社説は「北朝鮮が示した非核化措置は極めて不十分だったということだ。米国が制裁の完全解除要求をのまなかったのは当然である」と書き出し、次のように指摘する。

「浮き彫りになったのは、微笑を前面に『非核化する』と言いながら、実際には核・弾道ミサイル戦力の保有にこだわり続ける北朝鮮の頑なな姿勢である」

まさに産経社説のこの指摘の通りである。北朝鮮はどこまでもしたたかなのである。それゆえ扱い方が難しいのだ。

■間違いなく正恩氏はさらに足下を見てくる

さらに産経社説は書く。

「今回の首脳会談に対する大きな不安の一つは、最小限の措置を小出しにして、米国から最大限の譲歩を引き出そうとする、北朝鮮得意の『サラミ戦術』にトランプ氏が取り込まれることだった。そこに至らなかったのは幸いだ」

サラミ戦術とは敵を少しずつ懐柔しながら思い通りに操っていく戦法のことだ。前述したが、アメリカの民主党の思惑が、思わぬたまものとなって北朝鮮のサラミ戦法から世界を救ったのだ。実に興味深い現象である。

ところがトランプ氏は3月2日にアメリカと韓国が毎年春に実施している大規模な合同軍事演習の中止を決めた。トランプ政権が非核化の米朝交渉を継続する意思があることを北朝鮮側に具体的に示したものとみられるが、これでまた正恩氏は「してやったり」と思うはずだ。正恩氏はさらにトランプ氏の足下を見て突いてくる。

■なぜトランプ氏は事前に褒めちぎっていたか

産経社説でとりわけ気になったのは、次の指摘である。

「2日間の首脳会談を通じ、トランプ氏は『金委員長はすばらしいことをしようと思っている』などと、しきりに持ち上げた。北朝鮮が核実験とミサイル発射を中止したことに感謝の意を伝えた。物別れに終わった会談後の会見でも、金委員長を信頼していると繰り返し表明した」

確かにトランプ氏は正恩氏を褒めちぎった。それは目に余るぐらいテレビでも放映された。トランプ氏はどうしてあそこまで褒めそやして何度も「信頼している」と語ったのだろうか。

「ブタもおだてりゃ木に登る」ということわざがある。人は褒めて機嫌を取ればその気になって動き出すという意味だが、トランプ氏はこれを狙ったのだろう。正恩氏もおだてれば核・ミサイルを放棄する。トランプ氏は名うての商売人だ。褒めそやすことぐらい朝飯前の芸当だ。

■トランプ氏は正面から謝罪をしたわけではない

それを産経社説はストレートにこう批判する。

「北朝鮮の核・ミサイルは、国際社会の平和と安全への重大な脅威である。放棄の要求は、安保理決議に込められた国際社会の総意であり、謝辞は適切ではない」

「謝辞は適切ではない」。トランプ氏は正恩氏に感謝し、褒め言葉を使ってはいたが、謝ったり、正面からお礼を述べたりはしていない。

トランプ氏の言葉の行間を見抜いてほしい。書き手の論説委員が肩肘を張っているから「謝辞は適切ではない」などという陳腐な指摘になってしまうのだろう。斬新な主張が売り物の産経社説だけに残念でならない。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩 写真=AFP/時事通信フォト)

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