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なぜゴーン氏は変装劇の失敗を許したのか

プレジデントオンライン / 2019年3月9日 11時15分

3月6日午後8時すぎ、東京・秋葉原の事務所で弁護士との打ち合わせを終え、クルマに乗って現場を離れるゴーン氏(中央)。多数の報道陣が殺到し、現場は混乱していた(撮影=安井孝之)

■ゴーン氏が頼ったのは秋葉原の弁護士事務所

元日産自動車会長のカルロス・ゴーン氏は3月9日、65歳の誕生日を何とか娑婆で過ごすことができた。

20年前の春、東京に日産再建のための乗り込んできたゴーン氏だったが、20年後は「作業服姿」で拘置所を出て、東京・秋葉原の弁護士事務所に逃げ込んできた。私はその姿からゴーン氏の反撃へのパッションを見た。

秋葉原の小さな事務所で作業をしていた6日午後5時半ごろ。上空をホバリングする複数のヘリコプターの騒音が大きくなった。作業服姿に変装し、東京拘置所からスズキの軽自動車で出たゴーン氏を追っているヘリコプターであることは推測できたが、まさか事務所から100メートルも離れていないビルにゴーン氏が駆け込むとは思いもつかなかった。

事務所の近辺は秋葉原とはいえ、電気街からは離れ、メイドカフェもほとんどない下町の面影が残る神田佐久間町の一角である。神田佐久間町と隣の神田和泉町は江戸時代から何度も大火を経験し、町全体の防火意識が高まったといわれる地域で住民や商店の横の連帯感がまだ残っている。「強欲グローバル経営者」のレッテルを張られたゴーン氏のイメージとはおよそかけ離れた街である。だからこそ一介のフリー記者でも借りられる古くて小さな安い事務所があったのだ。

■確かに「変装劇」は失敗に終わった

私にとって今回の「保釈劇」は信じられないほどのギャップだらけだった。グローバル経営者と作業服、軽自動車、下町の弁護士事務所での打ち合わせ……。このギャップをゴーン氏が日産にやってきた20年間を振り返り、どう理解したらいいのかを考えた。

なぜ作業服に変装したのだろうか。

ゴーン氏の弁護団の高野隆弁護士は8日付けのブログで「『変装劇』は私が計画して実行したものです」と明らかにし、「釈放後速やかにかつ安全に依頼人を『制限住居』に届ける」ために、メディアの追走を防ぐことが目的だったことを説明した。だがその計画は失敗し、「私の未熟な計画のために彼が生涯をかけて築き上げてきた名声に泥を塗る結果となってしまいました」とわびた。

確かにこの計画は失敗だった。拘置所の玄関口から出た直後はカメラマンも不意打ちを食らい戸惑ったが、すぐにヘリとオートバイが軽自動車を追いかけ、弁護士事務所に入るゴーン氏を確認した。弁護士事務所での2時間ほどの打ち合わせの間、カメラマンややじ馬は増え続けた。ゴーン氏を乗せた車が駐車場から出るのに20分以上もかかるほどの混乱が起きる。私もその中で取材し、写真を撮ったが、ピント外れのゴーン氏の目が映った写真が撮れただけだった。

■なぜ「高級車で帰らせてくれ」と言わなかったのか

高野弁護士がブログでわびたように「変装劇」は「泥を塗る結果」となった。

だがむしろ私は高野弁護士の提案した計画にゴーン氏が乗ったことに驚く。108日ぶりに拘留を解かれたのに、ゴーン氏はなぜ「背広を着て、高級車で帰らせてくれ」と言わなかったのだろうか。

同じくゴーン弁護団の弘中惇一郎弁護士がメディアに語ったところによるとゴーン氏は変装を楽しんでいたという。計画は失敗に終わったが、ゴーン氏が高野弁護士事務所を離れる直前に高野氏と笑みをたたえて話している様子が見えた。

3月6日午後8時すぎ、ゴーン氏を乗せたクルマを多数の報道陣がクルマを取り囲んだ。駐車場から出るのに20分以上もかかり、警察官が駆けつけるなど、現場は混乱していた(撮影=安井孝之)

ゴーン氏は高野弁護士の提案を「メディアの追走を防ぐことができるならチャレンジしよう」とポジティブに受け止めたのだろう。だから「変装劇」が失敗に終わっても、高野氏との関係が決定的に崩れなかったのではないか。

チャレンジには100%の成功はなく、失敗がつきものだ。それを認めたうえで提案者の意見を聞く姿勢がゴーン氏にまだ残っていると考えれば、今回の「変装劇」は理解しやすくなる。

■どんな策でも「乗ってみよう」と考える現実主義者

2000年、ゴーン氏が日産に来て2年目のことだ。すでに「コストカッター」という称号を得て、収益性の低い事業をバッタバッタと切っていた。そんな時、現在は慶應義塾大学特任教授の堀江英明氏(2018年3年に日産を退職)は、日産の電気自動車(EV)に使うリチウムイオン電池の開発責任者としてゴーン氏にプレゼンテーションをした。

堀江氏は「電池はパワーの源泉だ」とEV用電池開発の継続を訴えた。まだリチウムイオン電池が車載用として使えるかどうかが半信半疑のころだった。日産社内には開発継続には懐疑的な見方が多かった。28分間のプレゼンの過程で堀江氏はゴーン氏の変化を感じたという。「研究を続けろ」。ゴーン氏の結論だった。

もしもこの時、堀江氏がリチウムイオン電池開発の継続を一心に説かなかったら、今の電気自動車「リーフ」(2010年発売)はない。堀江氏は「ゴーンさんは人が何を言おうとしているのか、何を考えているのかをちゃんと受け止める人でした」と振り返る。

今回の高野弁護士と東京拘置所内での会話も同じようなものではなかったか。高野弁護士のアイデアが自分と家族の身を守る策になるならば「乗ってみよう」と考えたに違いない。グローバル経営者としてのメンツなどは二の次だったのだろう。

■108日間の拘留を経て、20年前のゴーン氏に戻った

日産の西川廣人社長はゴーン氏が逮捕された昨年11月19日の記者会見で、「ゴーン氏が日産とルノーのCEOになった2005年が分岐点だった」と振り返った。ゴーン氏に権力が集中し、独断専行が目立つようになったという見立てである。東京地検特捜部や日産自動車の関係者らからもたらされる情報が正しければ、ゴーン氏はどこかで大きく変わってしまったのかもしれない。

だが少なくとも今回の変装劇をみると、ゴーン氏の行動原理は20年前とまったく変わっていないとも見える。西川氏が言うようにいったんは変わったかもしれないが、108日間の拘留を経て、再び20年前のゴーン氏に戻ったとも言えるのだ。いずれにしろ現時点のゴーン氏は、さまざまな専門家の意見を聞き、自分が受け入れられるものは受け入れるという現実的な行動をとる人物だと見るべきである。

異国の地で捕らわれ、裁判が始まっても国外に出ることは難しい。日本の裁判所でしばらく闘わなければならない。そのためには日本の現実を知り、現場で考えてくれる専門家の助けを得なければならない。「無罪請負人」と言われる弘中弁護士や高野弁護士らとの連携の意味はそこにあり、まずは彼らの意見を聞かねばならない。

■日産がV字回復を成し遂げる前と同じような心境か

それは20年前に日産に来て「3か月の間に、数百の施設を訪問し、数千もの人に会いました」(『カルロス・ゴーン 経営を語る』日本経済新聞社、214ページ)という努力をしたのと同じことである。

異質な存在として異国に住み、そこで生きていくことをゴーン氏は何度も経験している。ブラジルでレバノンからの移民の子供として生まれ、幼少期から高校まではレバノンに移り、大学はフランス。ミシュラン時代は米国でも暮らした。そのたびに異国をまず理解しなければならなかった。

異国で闘うには専門家らの意見を聞き、現実的な解を探り、パッションを持って実行していくしかない。今ゴーン氏は日本という異国の司法制度の下で、刑事裁判という初めての経験を積み重ね始めた。ゴーン氏にとっては日産がV字回復を成し遂げる前と同じような心境に至っているのではなかろうか。

■日産やルノーの取締役会に出席すれば影響大

独断専行型の人物から再び多くの人の意見を聞き、具体的な解決策を探ろうとする人物に再びゴーン氏が戻ったとしたら、今後の裁判の行方も日産やルノーの経営陣との折衝は予期せぬ展開が待っている。

ゴーン氏の記者会見は11日以降に開かれる見通しだ。ゴーン氏や弁護団は1週間程度、会見での発言内容を吟味する構えだ。取締役として残っている日産やルノー、三菱自動車の取締役会への出席も裁判所が許可すれば可能である。

日産役員は「経営者として信頼をなくしている。出席したとしてもゴーン氏の発言を誰も聞かないだろう」と話すが、現実にゴーン氏が出席すればその影響は小さくはない。会社側の調査で不正が発覚しても、本人の弁明なしに処分されることは一般の社員でもあまり例のないことである。今回のゴーン氏の会長職などの解任は本人の弁明なしに行われたもので、ゴーン氏側の反論の余地はある。

■19年前の「日本で過ごした誕生日」にゴーン氏が語ったこと

3月9日はゴーン氏が久々に日本で過ごす誕生日である。この20年間で、日本で過ごした誕生日は少なくとも一度ある。

2000年3月6日。日産の取引金融機関だった日本興業銀行(現みずほ銀行)の西村正雄頭取らと東京・丸の内の東京會舘でフランス料理とワインを楽しんだ。日産とルノーの提携から1年たち、コストカッターと言われた剛腕で日産を切り刻むのではないかと心配していた西村氏がゴーン氏の誕生日を祝う形で、ゴーン氏の真意を探ったのだ。

「やみくもにコスト削減はしない。日産の生産システムはルノーよりもすばらしい。守っていく」。ゴーン氏の答えに西村氏はほっと安心した。それが19年前の誕生日だった。

2005年以降はルノーのCEOを兼任したので日本滞在時間は減った。日本で誕生日を過ごすことも少なくなったはずだ。保釈中のゴーン氏にとって、今年にとどまらず、来年も日本で誕生日を過ごすことになる可能性が高い。

異国で妻と娘と誕生日を過ごし、来週からの闘いに向けてゴーン氏は策を練っているに違いない。

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安井 孝之(やすい・たかゆき)
Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト
1957年生まれ。早稲田大学理工学部卒業、東京工業大学大学院修了。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京経済部次長を経て、2005年編集委員。17年Gemba Lab株式会社を設立。日本記者クラブ企画委員。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。

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(Gemba Lab代表、経済ジャーナリスト 安井 孝之)

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