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母が認知症になって脳科学者が考えたこと

プレジデントオンライン / 2019年3月16日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Xesai)

もし家族が認知症になったら。それは誰もが「恐れている」ことだろう。しかしそれは、本当に怖いことなのか。脳科学者の恩蔵絢子氏は、自身の母親が認知症になった経験を『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)にまとめた。恩蔵氏が考える「認知症の家族にできること」とは――。

■「認知症かも」でも、見て見ぬふりをした理由

アルツハイマー型認知症になることには、多くの人が恐怖を抱いています。自分が今まで簡単にできていたことができなくなってしまうのは嫌だし、大切な家族のことまで忘れてしまうなんて冗談じゃない、と。小説やドラマを見て、「こんなふうになるのだけはいやだ」と私の母親も常々言っていたものです。

その母親が、2015年秋にアルツハイマー型認知症と診断されました。私にとって、それは大変なショックでした。なぜなら私は、2002年から茂木健一郎氏のもとで脳科学を学んできた脳科学者だったからです。しかし、母親を病院に連れて行くまでに10カ月もかかってしまいました。

脳の専門家だから、母親が変わった振る舞いをするたびに「アルツハイマー病かもしれない」とは予想していました。ですが、この病気にはまだ有効な薬がない。診断されたところで困るだけだと思っていました。それで10カ月もの間、毎日の症状を見てみないフリしたのです。

しかしながら、ひとたび病院に行ってみると、状況は変わりました。病気と実際に向き合ってみると、それは事前の想像とは全然違っていました。病気自体を「治す」ことはできなくても、「やれる」ことはたくさんあることに、私は気が付いていったのです。

■アルツハイマー型認知症にできること

病院に行ったら、具体的に脳のどの部位が萎縮し、活動が落ちているかがわかりました。

母親の場合、記憶の中枢である海馬の萎縮が大きかった。

海馬が萎縮すると、既に蓄えていた古い記憶には問題がありませんが、新しいことを覚えることが難しくなります。だから、さっき言ったばかりのことをまた聞くし、やると言っていたことをやらずにおいてしまいます。

それから、その人が得意だったことができなくなってしまいます。私の母親は、今まで手際よくやっていた料理をしようとしなくなっていました。

それはこのように起こります。

おみそ汁を作ろうとして、水をいれた鍋をコンロに置く。そして大根を刻み始める。すると大根を刻んでいる間に、おみそ汁を作ろうとしていたことを忘れてしまうのです。なんのために自分が大根を切っているのかがわからなくなるので、作業を目的通りに遂行することができなくなるのです。

当然、本人は、「私はなにをしようとしていたのだろう」「私はなぜここにいるのだろう」と不安になります。そんな不安は感じたくないから、自分の得意だった作業からも遠ざかってしまうのです。

■「目的」を思い出してもらう

母親があまりにも簡単なことで失敗したり、勘違いしたりすると、慣れないうちは、家族も「なんでこんなことができないの?」と思ってしまいました。そのような発言や、まなざしは、すでに十分不安になっている当人を傷つけました。母親は、青白い顔をして、ソファに座ってばかりいるようになりました。

簡単なことが覚えられなくなったり、得意だった作業ができなくなったりしたのは、海馬が萎縮したためです。それをはっきり認識したら、対策がわかりました。

例えば私が、台所で母親の横に立てば良いのです。おみそ汁を作っているという目的を忘れてしまうなら、そのたびに母親に言って、思い出してもらう。母親は、包丁を使う技術を失ったわけではない。ただ「目的を覚えておく」ことができなくなったのです。

実際、「これはなんで切っているんだっけ?」と聞かれるたびに、「おみそ汁のためだよ」と言って、思い出してもらうことを続けたら、母親は、やる気を取り戻してくれました。

■「治す」ことはできなくても「やれる」ことはたくさんある

アルツハイマー病は、何十年という時間を掛けて、ゆっくり進行する病気です。一朝一夕に、全ての能力を失ったりはしません。料理をする能力を失ったのではなくて、目的を覚えておくことができないから、しなくなっただけなのです。

そのように細かく、母親の抱えた問題を明らかにしていくことによって、対策がわかり、母親の生活、家族の生活に活気が取り戻されていきました。「治す」ことはできなくても、「やれる」ことはたくさんあったのです。

私は、細かく日常の中で起こった、母親の問題、家族の問題について日記を付け、科学的に分析をしていきました。

もう一つ例を挙げれば、次のような特徴的な症状がありました。

食卓に着いていると、母親が突然、「あれ? ちびちゃんはどこへ行ったの?」と言うのです。

わが家には、小さな子供はいません。しかし、かなり頻繁に、母親は「ちびちゃん」の存在を気にします。

このようなとっぴな発言に、最初は家族もぎょっとしていました。

先に書いたように、海馬は新しい記憶を固定することに使われる重要な組織です。それゆえに海馬が萎縮すると、新しいことは覚えられなくなりますが、昔の記憶には問題がないことが多い。

言い換えれば、アルツハイマー型認知症を持つ人々の中では、「現在」はぼんやりしてしまうけれども、「過去」ははっきりしているのです(アルツハイマー病は進行性の病気なので、いずれは脳全体が萎縮をしてしまいます。しかし、少なくとも海馬が萎縮しただけの初期の時点では、「過去」ははっきりしています)。

■古い記憶を忘れていないように見える理由

この症状は、母親にとっては、娘である私が小さかったときの、つまり「ちびちゃん」だったときの記憶が鮮明だということです。それは逆に考えれば、それだけ娘は大事な存在だということを示しているのです。

それに「あの人は、もう帰ったの?」と言うことも多い。「誰?」と聞くと、名前は言いませんが、「人がいたじゃない。もう帰ったの?」と言います。

母親自身が幼かった頃、母親の実家には常に、近所の大人や子供が集まっていたと聞いたことがあります。家族だけで夕飯をとることはほとんどなく、家族以外の人が常にいた、田舎のにぎやかな家でした。

母親の中には、その昔の印象が強く残っていて、現在、母親と父親と私という3人だけの食卓をさびしく感じるのかもしれません。

このように、慣れていなかったら、また、記憶のメカニズムを知らなかったら、ぎょっとしてしまうような振る舞いが、日常的に起こります。しかしよく分析してみれば、理解できることばかりなのです。

■「能力」だけがその人を作っているのか?

はじめアルツハイマー型認知症は、母親の人格を変えてしまう、怖い病気だと思っていました。しかし、診断から3年がたった現在は、そういう病気ではないと感じていて、安心して暮らしています。

『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子著・河出書房新社刊)

当初、母親を病院に連れて行くのに10カ月もかかってしまったのは、できていたことができなくなる、記憶を失っていくと、母親が母親でなくなる気がしていたからです。「母親が母親でなくなってしまうかもしれない」それが私にとっての一番の恐怖でした。

しかし考えてみると、なにかができる/できないということ、つまり「能力」だけが、「その人」を作っているのでしょうか? また、記憶を失ったら、その人は「その人」でなくなってしまうのでしょうか?

アルツハイマー型認知症を母親が患って、私は人間の根本を問うことになりました。「その人らしさとは何なのか」医学では問われることのない脳科学の問題に、私は挑むことになったのです。

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恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)
脳科学者
1979年神奈川県生まれ。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める。

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(脳科学者 恩蔵 絢子 写真=iStock.com)

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