1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「絶望」と嘆く人は、まだ絶望していない

プレジデントオンライン / 2019年3月31日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/selimaksan)

■そして孤独な哲学者たちは、王を倒し、神を葬った。

真理を追い求める西洋の哲人たちは積極的に孤独を愛した。そして、孤独のなかで社会の常識を覆す新しい思想を紡ぎだした。

知の格闘家ともいえる哲学者は孤独をいかにとらえていたのか。そしてその生き様とは? 哲学に造詣の深い日比野敦さんに話をうかがった。

「哲学者には孤独について多く語ったタイプと、たいして語らなかったタイプがいます。孤独について語らなかったタイプは、むしろ議論や対話について多く触れています。ソクラテスはずっと問答していますし、弟子のプラトンも同じタイプです。

で、対話(dialogue)から生まれたのが弁証法(dialectic)です。意見の異なる人と議論することで新しい何かが見つかる。いわゆるアウフヘーベン、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」ですね。だから、ヘーゲルにしてもマルクスにしても、弁証法的に考える人は孤独についてあまり語っていないとも言えます」(日比野さん、以下同)

弁証法を通じて人類は様々な問題を解決し、やがて真理に到達して究極の理想社会をつくる。議論を闘わせることこそが真理に到達する方法であると考えたのがヘーゲル。時代はまさにフランス革命直後、王制から民主制への転換期。明日はきっともっとよくなるというヘーゲル哲学は大流行。

ところが、いつ到達するかわからない真理なんて、今、悩んでいる人間には何の意味もないと批判する哲学者が登場した。キルケゴールである。

セーレン・キルケゴール(1813-55)
デンマークの哲学者。観念論を批判し、「単独者」「主体性」などの概念を中心に自己の純粋な生き方を追求し、思索を展開。のちの実存主義哲学に大きな影響を与える。

「『死に至る病』で単独者という概念を提示しています。ご存じのように、死に至る病とは『絶望』のことです」

ただ、この場合の絶望は普段、私たちが使っている絶望とは少し異なる。

「『人が文字通りこの病によって死ぬこと、言い換えれば、この病が肉体的な死で終わることは到底あり得ないだろう』。要するに死に至る病とは単に肉体が滅びることではない。苦しみながら、生きる希望があるわけでもないのに死ぬことすらできない状態」と日比野さんは続ける。

「絶望と嘆く人はまだ本当に絶望していないということはシェークスピアやドストエフスキーも言っていますが、人は『絶望した』と弱音を吐いても、やがて、周りを見回して、まあ、仕方がないかとあきらめ、世界を受け入れ、立ち直りますよね。

でも、この“あきらめた状態を受け入れること”こそが絶望であり、死に至る病なのだ。受け入れてはダメだ、とキルケゴールは説くのです。この本は真のキリスト者になるために書かれた本で、標的はデンマーク国教会です。大衆に迎合し、形式主義に堕落した教会を批判し、そんなものを受け入れることは死に至る病であると。それに対して『単独者』という概念を掲げたのです」

己を見つめ、神と対峙せよ。常識に囚われず、風潮と妥協せず、自己のあり方を、自らの意思で主体的に選ぶ生き方ができる人=単独者であれ。

「ですから、彼は実存主義の先駆者と呼ばれるわけです。ソクラテスもプラトンもキケロも『哲学とは死ぬ練習である』と言っていますが、孤独になるということは死と対峙することでもあるわけです」

死と対峙するといっても、実際に死は体験できないが、死にそうな目にあった哲学者がいる。キルケゴールよりも約80年前に生まれたジャン=ジャック・ルソーである。

ジャン=ジャック・ルソー(1712-78)
フランスで活躍した哲学者。『社会契約論』は社会秩序を乱すと逮捕状が出されたために逃亡。放浪生活を送る。「むすんでひらいて」の原曲は彼の作品。

「ルソーは大きな犬に襲われ大けがをし、臨死体験をしています。で、死に直面するような事態にあったとき、非常に安らいだ気持ちがした。でも、治っていろんな人間が集まってくると嫌な感じがしたと『孤独な散歩者の夢想』に書いています」

ルソーは『新エロイーズ』でも「本当の情熱は孤独から生まれる」と書いている。彼にとって孤独とは、社会を拒絶し世捨て人として生きることではない。国とは、文明とは、教育とは、と考えに考えた。死と対峙するときだけでなく、社会と対峙するときも人は孤独なのだ。そして、

「人間は本来自由な存在であるのに、多くの人が奴隷状態にあるのはおかしいではないか。国家が不当な暴力を振るうのであれば、市民は新たな社会をつくり、新たな契約を結ぶべきではないのか、と大多数に幸福をもたらさない特権政治や教会を否定し、革命せよ! と唱えたのです」

もちろん当時では過激な危険思想。迫害を受けるが、孤独が生んだ新しい思想は、やがてフランス革命の理論的支柱となる。

「というと格好いいのですが、ルソーは40歳くらいまでほぼ無職。ミュージシャンを目指し、放浪とヒモ生活を繰り返した性的倒錯者(露出狂)。5人の子どもをすべて孤児院送りにしたひどい男でもあります」

そんなどうしようもない男が、孤独をパワーに書いた『社会契約論』がフランス革命の原動力となったのだから、孤独の力、恐るべしである。

■孤独を愛する人間は幸福か、不幸か?

フランス革命のバスティーユ襲撃の前年に生まれたショーペンハウエルも孤独を礼賛している。

「彼は『孤独と人生』(『幸福について』)のなかで孤独であることはよいことだと繰り返し述べています。『孤独は知的水準の高い人たちにとって二重の利点がある。第一の利点は、自分自身のみを相手にしていること。第二の利点は、他人と一緒にいないことだ』というわけです。とにかく彼は社交というものを非常に嫌った。今の時代に生きていたらツイッターなどのSNSは絶対ノーでしょうね。

彼の言う孤独は、孤高であれということ。『私は友達が少ないが、それはとてもよいことだ』と自負しています。同じ気持ちだったのでしょう、この台詞を『本当の天才の言葉だ』と絶賛したのがトルストイ。若いときにショーペンハウエルを愛読したのが、実存主義の代表的思想家ニーチェです」

失恋、病気の発作、母や妹との不仲、売れない本。孤独なニーチェが苦悩から逃れるために10日間で書き上げたのが『ツァラトゥストラはかく語りき』だ。「その内容は聖書のまったく逆をいくもので、聖職者や学者のような既成価値の擁護者を嘲笑し、国家の虚妄を暴き、女性や子どもなどの弱者を擁護する思想を容赦なく叩くものでした」

神が死んだ世界がやってくる。そんな世界で人はどう生きるべきかをニーチェは説いた。超人思想である。

「人は力強く孤独であるべきで、人に情けをかけるのは諸悪の根源であるとまで言うわけです。とはいえ、彼は鞭打たれる馬を見て、もうやめてくれ~、と馬にしがみついてかばい、そのまま狂ってしまうのですが」

偉大な哲学者は孤独のなかから、革命的な思想を生み出し、世の中に大きな影響を与えた。しかし、相思相愛の恋人に一方的に婚約破棄を告げたキルケゴール。ヴォルテールをはじめとする多くの人から嫌われる人生を歩んだルソー。狂人となったニーチェ。孤独であることが幸福であるようには、とても見えないのだが……。

「多くの哲学者が孤独は幸福に通じると言っていますが、その幸福は他人から幸福に見えるわけではありません。でも、自分は満足している。それでいい。他人の目を意識した生き方は、キルケゴール風に言えば、自らの意思で主体的に選ぶ生き方ではない。つまり、死に至る病、絶望に囚われてしまっていることにほかならないのです」

流されるままに楽な方向に生きている自分を見つめるのは辛いもの。孤独と向き合うには覚悟が必要なのだ。

----------

日比野 敦(ひびの・あつし)
1962年生まれ。中央大学文学部卒業。書店勤務を経て「古書 比良木屋」を開業。著書に『古書店のオヤジが教える 絶対面白い世界の名著70冊』『90分で読む! 超訳「罪と罰」』。

----------

(日比野 敦 写真=iStock.com)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください