客観的データで意思決定する社長の末路
プレジデントオンライン / 2019年4月1日 9時15分
■企業でも使える、悪魔の弁護人システム
【菊澤】日本企業はバブル崩壊以降、米国流に株主利益を重視し、経済合理主義を追求するようになりました。その流れに沿うように、大学でも1年生から起業家を目指してファイナンスなど実務の勉強をどんどんするようになっています。
ただ、本当にそれでいいのでしょうか。若いうちにもっとやるべき大事な勉強があるはずです。その意味で、私はやはり価値判断を身に付けることが大切だと思うのです。価値判断とは、好きか嫌いか、良いか悪いか、正しいか正しくないかを判断することです。それなら簡単だと思う人もいるかもしれません。しかし、価値判断は主観的なので、優秀な人ほど避けようとします。ですが、何が儲かるのか、どうすれば儲かるのか、何が売れるのか、損得計算をしても確固たる解答が出るわけではありません。最後は、価値判断なのです。それが今の大学生には欠けているように見えます。
【佐藤】わかります。今、おっしゃったことはすごく重要です。
【菊澤】私たちの世代はドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーに大きな影響を受けてきました。客観性が良しとされ、主観的であること、つまり、価値判断は良くないとされてきました。しかし、もうそこから脱却しなければなりません。主観的であれば、その責任を取ればいいのです。
【佐藤】「主観」は、英語ではサブジェクト、ドイツ語だとズプイェクトですね。「主体」と訳すこともできる。主体的に取り組むと言えば、聞こえ方は全然違ってきます。
【菊澤】そうですね。自由、自律的な感じが伝わりますね。
【佐藤】合理的に判断しているつもりでも、人間はすべての情報を得ているわけではありません。自分では合理性を追求していると思っても、実際には非合理な選択をしてしまうことがある。そのことに気付かなければなりません。
【菊澤】そのとおりなんですよね。
【佐藤】実は、そうした考えがイスラエルの諜報機関モサドにも取り入れられているのです。それが悪魔の弁護人システムと言われるものです。
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イスラエルは1948~67年の3度の中東戦争で圧勝してきました。当時、アラブ連合軍は何度もイスラエルを包囲しますが、これに対し、70年代前半のイスラエルは人口330万人前後の小さな国でしたから、総動員体制をとると、経済が停滞してしまうのです。ですから、本当に攻めてくるかどうかを見極めることは経済政策上、極めて重要だったわけです。
73年の第4次中東戦争では、全情報機関の中で、モサドだけが攻めてくると判断しました。しかし、その情報を役立てなかった。からくも戦争に勝利しましたが、当初はアラブ連合軍の奇襲により、イスラエル軍は大損害を被りました。
その結果、首相も国防省のトップも辞めて、悪魔の弁護人システムを導入しました。すべての人たちが正しいと決めた方向性に対して、4~5人のリタイアした情報機関のプロフェッショナルたちが軍事情報のデータを読み解き、反対のことを書く。その2つの答申書を首相に渡して、首相自身に状況判断させるというシステムです。
【菊澤】それは面白いですね。
■トップに求められる主観的な決断
【佐藤】通常、情報を集めて状況を判断するのは、首相ではなく、情報機関が行います。では、なぜ首相に判断させるのか。その理由をモサドの幹部は私にこう言いました。「資格制度で選んだ役人が判断を間違えて国が滅んでしまったら、悔やんでも悔やみきれない。ところが、直接選挙で選ばれた首相が間違えるならば、それは自業自得だ」と。それだから、究極の判断は首相がするというのです。
【菊澤】日本の企業もそうあってほしいと思います。最近、ある企業の方に、「トップが最後にやるべきことは価値判断でしょう」という話をしたとき、その方は「いや、そうではありません。トップには客観的なデータが上がってくるので、それを見て客観的に意思決定することが重要なのです」と言うんです。
でも、そうならば、そのようなトップの下で働く部下は不安ですね。もしトップが常に客観的に最適なものだけを選択していると思っているならば、トップは責任を取らないでしょう。というのも、客観的だからです。そして、このような思い込みをしていると、意思決定後に部下の提供していたデータに大きな間違いがあれば、自分ではなく、部下だけを責めることになるでしょう。これでは部下は萎縮してしまう。
やはり、トップの決定は部下が間違うことも含めた価値判断でなければならない。そして、その責任を取る覚悟が必要なのです。
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【佐藤】そう思います。客観性について、もう1つ言えるのは、組織において、優れた業績を上げて、周囲から評価される人間に、権威による説得力みたいなものが出てきてしまうことです。問題は、それが合理性と関係のないところで出てきて、意外と客観的なもののように見えてしまうことです。
例えば、80年代、私がモスクワの日本大使館に勤めていた頃、館内は常に盗聴されていましたから、特別会議室という秘密の部屋がありました。その中に、人が入れる透明なアクリルの箱があって、会議室に雑音を大音響で流してアクリルの箱を閉めると、箱の中は完全に遮音されました。だから、外部からは盗聴できない、唯一安心して話せるのはこの中だけだ、と上司から言われました。
でも、その中にラジオを持ち込んでみるとラジオが聞けるのです。私は小学校時代にアマチュア無線の免許を取っていましたから、この会議室は電子的に遮断されていないので安心できない、と上司に指摘しました。すると、本省の専門家が造ったものを下っ端が何を言うかと、ものすごく怒られました。そのときは引き下がりましたが、私は今も盗聴器が仕掛けられていたと確信しています。
当時の上司たちはほとんど東大卒でした。電子的な遮断に対する基本概念を、高校の物理レベルで確実に学んでいたはずです。でも、わかっていない。そこには本省の専門家たちが制度設計したという権威に対する信頼があるのです。複雑な状況の中ですべて合理的に考えていくのは大変ですから、信頼という要素に頼ってしまいがちです。
【菊澤】そうですね。トップは下から上がってくるデータが客観的だと信じても、実際にはそうではないケースが多い。
【佐藤】STAP細胞事件がその例ですよね。理化学研究所(理研)のような、日本の理科系で最高の頭脳を集めている組織ですら、STAP細胞があるという発表にまで至ってしまった。
【菊澤】この方向性はおかしいと思っていても、今さら変えられないよね、と皆が空気を読んで損得計算をして、プロジェクトが進行してしまうことがしばしばあります。損をしてでも、これは正しくないと価値判断できるか。たいていの人は責任を取りたくないので、損得計算にしたがって合理的に不正を行うことになるのです。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本大使館勤務などを経て、作家に。『国家の罠』でデビュー、『自壊する帝国』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
菊澤研宗(きくざわ・けんしょう)
慶應義塾大学教授
慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授。慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。防衛大学校教授などを経て現職。専門は組織の経済学、戦略の経済学、比較コーポレート・ガバナンス論。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優、慶應義塾大学教授 菊澤 研宗 構成=國貞文隆 撮影=村上庄吾 写真=読売新聞/AFLO)
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