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"会社に使われるだけの人"に共通する欠点

プレジデントオンライン / 2019年3月26日 9時15分

会社と自分自身を対立の構図のなかだけでとらえていると、むしろ会社の都合で「使われる」だけの存在になりがち。大事なのは必殺仕事人のように「演じ分ける」ことだ――。写真はイメージです(写真=iStock.com/EzumeImages)

定年後も人生が充実している人は、どこが違うのか。人事コンサルタントの楠木新氏は「定年後の人生でつまずく人は、『会社に使われるだけ』になっている。そうした働き方は会社側も望んでいない」とアドバイスする――。

■会社と自分との関係をどう考えるか

いきなりだが、“人生100年時代”を最後までイキイキと過ごし終える自信を、みなさんはおもちだろうか? 高齢化社会や“人生100年時代”というと、医療や年金の問題と捉えられがちであるが、それだけでなくサラリーマンの生き方・働き方にも大きな変化の波が来ている。しかし、そのことを明確に意識している人は多くはない。

漫画の『サザエさん』に登場する磯野波平さんは54歳のサラリーマンという設定だ。いまならどう見ても70代である。朝日新聞に連載を始めた昭和26年当時の日本人の平均寿命は、男性では60歳に届いていない。定年も55歳時代だ。波平さんなら、会社の仕事に邁進しても、翌年には定年を迎え、少しゆっくりすればお迎えが来たはずだ。

いまの55歳といえば、俳優では唐沢寿明、芸人ではダウンタウンである。寿命の延びによって、若々しく生きる期間も長くなっている。現在55歳時点の平均余命を見ても、男性で28年、女性で34年ある(「平成29年簡易生命表」厚生労働省)。人生のパラダイムが完全に変わっているので、当然ながら生き方・働き方も変える必要がある。

現役サラリーマンのみなさんは、勤めている会社と自分自身との関係をどう考えているだろうか? 「労使」という言葉は、サラリーマンが「労働者」であり、会社が「使用者」であることを表す。こうした対立構図で捉えていると、会社の都合で「使われる」だけの存在になりがちだ。

昔からある「宮仕え」「組織の歯車」「社畜」といった呼び名は、会社の言いなりになっているサラリーマンが存在するからこそ、現代用語辞典にまで掲載された。こんな蔑称を甘受していたら、主体的に判断・行動することなどできなくなってしまう。実は、私自身も、40歳をすぎたころまでは会社にぶらさがっていた。そして受け身だけの立場の自分に納得できなかったがために体調がおかしくなり、休職せざるをえなくなった経験がある。

正反対に、主体性を勘違いするサラリーマンもいる。1980年代後半のバブル期を越えたあたりから、余暇が生活のキーワードになり、ビジネスの現場でも「仕事はそこそこでよい。プライベートを重視」という風潮が生まれた。「会社にいる時間よりも私生活に費やす時間を大事にする」、それが主体的な生き方だと信じた若いサラリーマンは、おそらく満足した時間を過ごせなかっただろう。

私の言っていることは、矛盾しているように聞こえるかもしれない。サラリーマンには主体性が重要だと指摘しながら、主体性を発揮するサラリーマンは苦労すると痛言しているのだから。しかし、この矛盾に思えるロジックを理解できなければ、「会社に使われるだけの人」として定年まで勤め上げることになるかもしれない。

■“組織の一員”と“もう一人の自分”を演じ分ける

サラリーマンは主体性を身に付けなければならないが、それを社内で発揮してはならない。例えるなら、アメリカンヒーローのスーパーマンのようなものだ。普段はスーツに身を包み、会社のなかで際立った存在ではない。けれども、いざ自分の能力を発揮する場面になると、そのスーツを脱ぎ捨てスーパーマンとなって大活躍をする。クラーク・ケントがサラリーマンのままで空を飛んだり、暴走する機関車を止めたりしてはならないのだ。

必殺仕事人に例えてもいい。名優だった故・藤田まことさんが演じた中村主水(もんど)が、奉行所のなかで殺し屋稼業の本性を見せたら、同心として禄を食む(ろくをはむ)ことはできなくなる。家庭でも表向きは婿養子として、妻や姑からいびられる地味な存在くらいがよいのだ。クラーク・ケントも、中村主水も、主体性を発揮するときは「サラリーマン」というよろいを脱ぎ捨てるから、組織の一員として生きていける。

どちらの物語もフィクションだが、主人公が演じ分ける“組織の一員”と“もう一人の自分”は、日本のサラリーマンが定年後も含めた生き方を考えるうえで、わかりやすいフレームになると思う。付け加えれば、そういう複数の自分をもつことが、人生を豊かにすることにつながるという確信がある。

サラリーマンが会社で主体性を発揮することは難しい。組織内では分業制で働くので、どうしても上司などにお任せすることになりがちで、空気も読まなければならない。結果として受け身の姿勢にならざるをえないのだ。しかし、定年を迎えて会社員というIDを失ってしまうと、今度は自分という存在を押し出す必要がある。主体的な姿勢がなければ、働く意味や生きる意味を感じ取ることはできないからだ。

定年後の人生への移行でつまずく人の多くは、在職中の人生の大半を会社員という唯一のマインドで生きてきた人たちだ。一方で、在職中から、サラリーマン以外の“もう一人の自分”を準備しておけば、退職したあとの戸惑いは少なくてすむ。会社の仕事一本で幸せな人生をまっとうできたのは、もはや過去の話なのである。

■会社にある「資源」を活用しよう

サラリーマンを辞めて自分のめざす道へと転身した人たちがいる。そば屋を開業、社会保険労務士で独立、ボランティア活動に取り組むなどなど。私が取材した彼らは、ゴールを自らの意志で積極的に早め、会社員というIDに頼らない道を60歳になる前から歩みはじめている。また、同じ会社で長期間勤めながら、50代以降になってもイキイキと仕事を続けて、定年後の展望を明確にもっている人たちもいる。

楠木 新『会社に使われる人 会社を使う人』(角川新書)

転身後や定年後を“いい顔”で過ごしている人の大半は例外なく、サラリーマンをやりながら、“もう一人の自分”をつくってきた人たちだ。もっと踏み込んだ言い方をすれば、サラリーマンという立場を活用し、会社の資源を存分に使って主体性を育んだ人が多い。

いわずもがなだが、会社の資源を使うといっても、お金を着服したり、会社の情報を利用してサイドビジネスを始めたりすることではない。それでは、“もう一人の自分”をもつ前に人生をしくじってしまう。会社には定年後の人生を豊かにしてくれる資源が山のようにある。

そのポイントは、「多くの人に出会えること」「会社の仕事が社会とつながっていること」だ。『会社に使われる人 会社を使う人』(角川新書)には、その具体的な内容を書いている。

■「会社に使われるだけの人」にならないために

ただし、これらの職場にあふれている資源(“宝”)の価値に気づかないままであれば、「会社に使われるだけの人」になってしまう。その価値に気づき、自ら主体的に動き出せば、「会社を使う人」「自ら輝く人」になれる。

さらに大切なことは、会社の仕事の質や効率も向上するということだ。それが取材した人たちから私がくみ取った、定年後の人生に表れる差の根源なのである。

日本のサラリーマンは会社と対峙(たいじ)しているのではなく、ある意味で会社と絡んで一体となっている人が多い。その関係のなかで会社を否定すれば、自分を否定することにもなる。会社とはあくまでも、共存共栄をめざさなければならないのだ。

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楠木 新(くすのき・あらた)
人事・キャリアコンサルタント
1979年 京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。人事・労務関係を中心に、経営企画、支社長等を経験。勤務と並行して、「働く意味」をテーマに取材・執筆に取り組む。2015年3月定年退職。現在、神戸松蔭女子学院大学教授。『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『定年後』『定年準備』(いずれも中公新書)など著書多数。19年2月、『会社に使われる人 会社を使う人』 (角川新書)を出版。

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(人事・キャリアコンサルタント 楠木 新 写真=iStock.com)

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