30代で“若作り”すると40代で危険なワケ
プレジデントオンライン / 2019年3月30日 11時15分
■なぜ30代後半は大事な年齢なのか
太宰治の『津軽』の出だしに次のような対話がある。『津軽』は、太宰が故郷の津軽を旅する紀行文であるが、その対話は太宰らしく「深刻」である。
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一番大事で」
この紀行文を読んだ10代の頃、なぜ30代後半が大事な年齢なのかについて、共感はもちろん、想像すらできなかった。ただ、この時35歳の太宰が、その4年後に39歳で自殺している事実は知っているのだから妙な説得力があった。
既に40代後半の私としては、芸術家の苦しさはわからなくても、30代後半の大きなキャリアチェンジには実感がともなう。
太宰治のような小説家は、青年期の繊細な悩みを小説という形で表現してきた。10代から小説(習作も含む)を書き始めた作家は、そのまま30代まで青年期が延長してしまう。それこそが煌めく才能というものであろうが、その先延ばしにはリバウンドという問題があるのではないか。
■「大人になれない大人問題」
吉田豪の『サブカル・スパースター鬱伝』は、40代のスター文化系男子をインタビューして「サブカルは40超えると鬱になる」という法則を確認した。この本には数々の名言が並ぶ。例えば、リリーフランキー氏は青年期から中年期への移行を次のように説明する。
このような青年期の延長の限界は、性別も国籍も無関係かもしれない。2011年に公開されたアメリカ映画『ヤング≒アダルト(Young Adult)』では、ティーン向け小説(ヤングアダルト小説)のゴーストライターとして大都会で生活する37歳の女性を美しいシャーリーズ・セロンが演じる。
ティーン向け小説を書き続けることに限界を感じる彼女に、ド田舎に住む元カレの赤ちゃん誕生パーティの招待状が届く。彼女は驚き、彼がヨリを戻そうと願っていると誤解する。学校中の憧れの的だった主人公も、今、田舎に戻ってみれば、ただイタイ行動をする変人である。
このような「大人になれない大人問題」とは、経済的に発展した社会に共通する宿痾(しゅくあ)なのかもしれない。
■若さや老いとは何か
青年期の延長とは、青年期が生物学的年齢ではなく、社会・文化的年齢と関係することを意味する。つまり、若いとか、老けているとかは、どのように見られるか・見せるかによって変化するのだ。
小津安二郎監督の映画『東京物語』で年老いた親を演じた笠智衆は、公開当時に49歳である。一方、日本を代表するイケメン俳優と言えば、福山雅治氏であるが、今年彼が50歳であることを知れば笠智衆との差に驚くであろう。
このような社会・文化的年齢の多様性を、社会変化との関係で論じたのが、『動物農場』や『1984』などの小説で知られるイギリスの作家、ジョージ・オーウェルである。彼は、「ドナルド・マッギルの芸術」(1941年出版)において社会・文化的年齢の歴史的変化を読み解き、社会の未来を予言している。
多くの人は、ドナルド・マッギルを知らないであろう。オーウェル自身が、ドナルド・マッギルが誰なのか私は知らないと書いている。これは、当時どこにでもあった「ドナルド・マッギル漫画」として販売されている漫画絵葉書のシリーズなのである。この絵葉書は、高尚な芸術ではなく、その内容も低俗な冗談(下ネタも多い)ばかりであるが、オーウェルはこの低俗さの中に次のような法則を発見する。
■上流階級は若さにしがみつく
加えてオーウェルは、「青春と冒険」が結婚とともに終わるのを当然であると考えるような見方は、労働者階級特有のものであると言う。要するに、労働者階級は老けるのが早い。彼は、およそ30歳を過ぎても若く見えるということは、主として若くありたいと望むかどうかによると言う。そして、上流階級の連中は、若さにしがみつき、性的な魅力を失うまい、子供たちのためにばかりでなく、自分のために素晴らしい将来を思い描こうとする衝動を持っていると批判する。
オーウェルは、低俗と思われている労働者階級の文化に、無意識ではあるが、昔から続く「人生の英知」を発見している。つまり、若くあり続けようと思うことは、「イタイ行動」なのだから、老いを受け入れられることは、歴史的に培われた「人生の英知」なのだ。
そのうえで彼は、このエッセイを書いた1941年、このような英知が社会から徐々に失われつつあることを危惧している。その後、戦後社会が与えてくれた圧倒的な豊かさは、我々を上流階級のように振る舞うことを可能にしてくれたわけだが、同時に我々は、「老いることを受け入れる構え」を失ったのである。
■イニシエーションなき時代
大人になるためには個人の力だけではどうしようもなく、「文化」が必要であることは、先述した『サブカル・スパースター鬱伝』における菊池成孔氏の次の至言からも窺える。
大人になる直前に明確な通過儀礼(=イニシエーション)があれば、それによって大人になれる。つまり、昔の侍文化ならば、髪型なども変わる元服である。
かつては、大人になる通過儀礼として就職が機能していた時代もある。1975年にフォーク・グループのバンバンがヒットさせた「『いちご白書』をもう一度」は、「就職が決って髪を切ってきた時、もう若くないさ、と君に言い訳したね」という歌詞がある。
■会社共同体は豊かでも満たされない
しかし、その後、バブル経済に突入すると、就職=大人になるという境界は、少しずつ曖昧になる。1987年に公開された原田知世主演の『私をスキーに連れてって』は、26歳の主人公が、社会人でありながら、「まるで学生のようなスキー生活」を謳歌している。
むろん、これは現実ではなく「憧れ」なのであるが、大学卒業から4年、もう少し延ばせるかもしれないというリアリティがあった。なお、この映画の中では、1980年代に発売された松任谷由実のアルバム『SURF&SNOW』が全面的に使われている。先ほどの「『いちご白書』をもう一度」も、作詞・作曲は荒井由実(現・松任谷由実)であったのだから、時代の変化はとても激しい。
ところで、1989年には、「サラリーマンが歌う、サラリーマンの応援歌」をコンセプトに大手企業に勤める二人組(杉村太郎・伊藤洋介)が結成したシャインズがデビューしている。伊藤洋介氏の『バブルでしたねぇ』という自伝では、超売り手市場で高給という時代であったあても、会社では、なぜか満たされない心の葛藤が証言されている。
会社共同体は、どんなに豊かになろうとも、「まるで悩みも明日への不安もなく、楽しいことだけを考えていればよかった学生生活」とは違う。先へ先へと青年期を延長することが目指されていた。
■人生100年時代にどう老いるか
その後、バブル経済崩壊後に、イニシエーションなき時代がより暗く厳しいものになったのは事実である。不景気になれば、大人になるのもつらいが、大人にならないのはもっとつらくなった。
さらに最近は、人生100年時代というキーワードが登場した。ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏が執筆した『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』は、新時代のキャリアデザインのビジョンを提示し評判になった。
事実だけを見れば、人生100年時代とは、医療の発展による生物学的年齢の延長を意味し、我々にとって喜ばしいことである。この本では、長寿という贈り物を活かすために強調されているのが「若々しさ」である。長寿がそのまま「老いて生きる期間」の延長にならないために、「思春期の長期化」が推奨されている。思春期を人が柔軟性をもっている時期として評価されて、「ネオテニー(幼形成熟)」が目標とされている。
この本の現状認識は正確であり、そこから導かれるキャリアデザインへの提言も、個人選択の範囲では合理的なのかもしれない。しかし私は、集団で継承されてきた文化ではなく、個人の合理的選択の方が重視されるようなメッセージには全面的には賛同できない。年齢とは、個人の選択を超えた、もっと歴史的・文化的な存在である。
ハワード・P.チュダコフの『年齢意識の社会学』によれば、近代化・産業化によって細かく年齢差にこだわる年齢意識は強化されるようになった。それは、年齢という指標は効率的だからである。そのような効率性に基づく年齢意識過剰の中で、我々が若くあり続けることを求められれば、太宰治のように「苦しい」とつぶやくだけしかない。
老いられなれない社会では、我々は「今」が最高で、それを将来に向けて維持するしか選択がない。これは、キャリアデザインしようにも未来のモデルがないことを意味する。それゆえキャリアデザインは、常に霧の中にあり、破綻の危機にある。老いは、忌避すべき対象ではなく、未来モデルなのだ。我々の社会が求めているのは、良く老いる生き方(未来モデル)をみんなで再発見していくことなのかもしれないのだ。
(法政大学キャリアデザイン学部 教授 梅崎 修 写真=iStock.com)
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