日本の学校で小1プロブレムが起こるワケ
プレジデントオンライン / 2019年4月5日 9時15分
※本稿は、苫野一徳『「学校」をつくり直す』(河出新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ「子どもたちが幸せそうじゃない」のか
どんな親も先生も、子どもたちには幸せな学校生活を送ってほしいと願っているはずです。
でもどういうわけだか、子どもたちが幸せそうじゃない。そう感じている人は、少なくないんじゃないかと思います。
それは一体、どういうわけなんでしょう? そしてどうすれば、わたしたちはそんな状況を変えていけるのでしょう?
問題の本質が分かれば、その問題を克服するための道筋もまた明らかにすることができるはずです。『「学校」をつくり直す』は、多くの保護者が、そして先生たちもまた心のどこかで感じている、学校が抱える根本的な問題を明らかにした一冊です。そしてその上で、その問題を解決するための道筋を示したものです。
と、ここで大急ぎで付け加えなければなりません。本書は、学校や先生を批判するためのものではまったくありません。むしろ、保護者や子どもたち、地域の人たち、そして先生たちが、互いに協力し合って、よりよい学校を作っていくための道筋をはっきりと示すこと。それが本書の目的です。
■教育のシステムにこそ問題がある
本書で詳しく論じているように、今学校が抱えている問題の本質は、一人ひとりの先生や個々の学校にあるというより、むしろもっと構造的なこと、つまりシステムにこそあるのです。いじめ、体罰、落ちこぼれ、小一プロブレム、中一ギャップ、教師の多忙、勉強する意味の喪失、同調圧力、不登校……一見別々に見えるこれらの問題も、その根っこはすべてつながっています。だから、個々の問題状況にだけ目を向けても、抜本的な解決策を見出すことはできません。根っこの問題、教育のシステムそれ自体の問題を解決しなければならないのです。
結論から言ってしまいたいと思います。
公教育が始まって、約150年。学校教育はこれまで、ずっと変わらず、基本的に次のようなシステムによって運営されてきました。すなわち、「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」というシステムです。
ところがこのシステムが、今いたるところで限界を迎えているのです。
一つの象徴的な例が、嫌な言葉ですが、いわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題です。多くの人は、「落ちこぼれ」は、その子の理解力が低いから生まれるものだと思っているのではないかと思います。でも実は、これはシステムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。
■「落ちこぼれ」の子は理解力が低いのか
考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを、同じペースで勉強していれば、一度つまずくと、そのまま取り残されるということがどうしても起こってしまいます。内容が理解できないまま、授業はどんどん進んでいきます。結果、その子は「落ちこぼれ」のレッテルを貼られてしまうことになるかもしれません。
でもそれは、本当にその子の理解力がもともと低いから起こったことなのでしょうか?
たまたま、ある大事な授業の日に体調が悪かっただけかもしれません。あるいはお休みしてしまっただけかもしれません。たまたま、その年に嫌いな先生に当たってしまったのかもしれません。あるいは先生の教え方が合わなかったのかもしれません。
でも、「みんなで同じことを、同じペースで」が学校のシステムである以上、先生は、ついていけない子がいたとしても、どんどんと先に進んでいくほかありません。一斉授業・画一カリキュラムが中心の学校では、どのクラスを覗いても、ほとんどの場合において、授業についていけずに辛そうな顔やつまらなそうな顔をしている子どもたちが一定数いるものです。
一度「自分は落ちこぼれなんだ」と感じてしまった子どもが、学びへの自信、もっと言えば自分自身への信頼を回復していくのは並大抵のことではありません。これは、システムが生み出したある意味で“罪”とさえ言えるのではないかとわたしは思います。
■学校の授業を「ムダ」に感じる子どもたち
「落ちこぼれ」の反対が、これまた嫌な言葉ですが、「吹きこぼれ」と呼ばれるものです。すでに分かっていることを、何度も繰り返し勉強させられることで、勉強がイヤになってしまう子どもたちのことです。一斉授業、画一カリキュラムが中心の教室には、授業についていけずにつらそうな顔をしている子どもと同じくらい、すでに分かっていてつまらなそうにしている子どもたちが一定数いるものです。
「みんなで同じことを、同じペースで」やらなければならない授業においては、先生は、そんな子どもたちが勝手に先へ先へと進んでいくことを許すわけにはいきません。だから多くの先生は、不本意ではあっても、その子たちに学びのペースを落とすよう強いなければならないのです。
これでは、学校が楽しくなくなってしまうのも無理はありません。「吹きこぼれ」の子どもたちからすれば、このような学校の授業はムダだらけです。今日の「めあて」をみんなで一斉に唱和するのに始まって、教科書の決められたページをみんなで繰り返し読んだり、すでに分かっていることを一方的に教えられたり。45分もの間、なぜみんなと同じことをやり続けなければならないのか。そう思っている子どもたちはたくさんいます。
「落ちこぼれ」の子どもたちにとっては、それはもっとムダな時間と言えるかもしれません。周囲のクラスメイトが先生の発問に対して活発に発言をしているその傍で、何のことか意味も分からず、じっと時間が過ぎるのを耐えている……。こうした状況は、やはり抜本的に変えなければなりません。
■「小1プロブレム」の原因は学校システムにある
小1プロブレムと言われる問題も、多くはシステムが作り出している問題です。
小1プロブレムとは、小学校に入学したばかりの1年生が、集団行動ができないとか、黙って座って授業が受けられないとかいった“問題”です。
これは、家庭のしつけが不十分だったり、自己コントロール力が未発達だったりすることが主な理由だと言われています。でもわたしは、正直なところ、それは子どもたちを“管理”する大人側の勝手な言い分だと考えています。
子どもを叩いてでも、親や教師の言う通りにするようしつけるのが当たり前だった時代、子どもたちが教室でおとなしくしていたのは、ある意味で当然のことでした。体罰はいたるところで行われていましたし、親がそれを望むことさえありました。学校は先生の言うことに従う場所。そんな社会的コンセンサスが、曲がりなりにもありました。
でも、今のわたしたちは、体罰を恥ずべき行為と考えています。子どもたちを、過度に管理し、統率し、大人の言う通りにさせることが、実は子どもたちの成長を著しく損なってしまうのだということにも、多くの人が気づいています。有名なモンテッソーリ・メソッドの生みの親、マリア・モンテッソーリは、すでに20世紀初頭にこんなことを言っています。子どもたちを、大人が決めた規律で縛りつけること、管理し統率すること、それは、子どもたちを規律正しくしているように見えて、実は命令されたことしかできない「無力」な存在にしてしまっているだけなのだ、と(マリア・モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』71頁)。
■小学校に入った途端「主体性」が奪われる現状
モンテッソーリらの影響も少なからずあって、世界中の幼児教育や保育の現場では、基本的に、子どもたちの主体性を尊重した実践が目指されています。そして実際、保育園や幼稚園の子どもたちは、年長さんにもなると、お兄さんお姉さんとして年下の子たちの面倒を見たり、お手本になったりと、園を引っ張っていく頼もしい存在になります。
ところが、今なお多くある、規律に厳しい”統率的”な小学校の先生のクラスに入るやいなや、子どもたちはその主体性をいくらか奪われてしまうことになるのです。それまでお兄さんお姉さんとしての自覚を育んできた子どもたちは、いつのまにか、何もできない、時に箸の上げ下げにいたるまで「先生の言う通りに」行動しなければならない存在として扱われるようになるのです。
「手はお膝!」「お口にチャック!」そんな声が教室中に響き渡ります。「ぐぉらそこっ! 静かにしろ!」という怒号が聞こえてくることさえあります。これは要するに、子どもたちを教師の言う通りに統率しようとする行為です。
■先生の声が静かだからこそ集中して聞ける
でもわたしの考えでは、これは実は先生の力不足を露呈しているだけなのです。
イエナプラン教育やドルトン・プラン教育、シュタイナー教育、また先にも紹介したモンテッソーリ教育など、いわゆるオルタナティブ教育の実践においては、教師が教室の子どもたちに大きな声で話しかけるという場面は、意識的に最小限にとどめられています(リヒテルズ直子・苫野一徳『公教育をイチから考えよう』69頁)。
教師が大きな声をかけると、子どもたちは威嚇されているように感じて、安心して学校・学習生活を送ることができなくなるからです。それはつまり、個々人が十分に尊重されていないということです。
これらの学校の実践を見に行くと、先生が、とても静かに、やさしく子どもたちに声をかけているのに気づきます。子どもたちは、自分が一人の個人として尊重されているのを感じているはずです。全体に声をかける時でさえ、先生の声はとても静かです。大声を張り上げなくても、子どもたちはちゃんと先生の話を聞きます。むしろ、静かな声だからこそ、しっかり集中して聞いているほどです。
■「集団統率」をせざるを得ないのが現状
子どもたちは、自分が尊重されているという確かな手応えがあったなら、怒鳴られなくても先生の話をちゃんと聞くのです。恐怖ではなく、信頼関係がそうさせるのです。
怒号を発する先生が力不足だというのは、そういうことです。それはつまり、子どもたちとの信頼関係をちゃんと作れていないということです。もう少し言うと、子どもたちを信頼し、尊重することを通して、互いの信頼関係を築くことができていないということなのです。
とはいえ、これについてもまた、学校の先生を過度に責めないようにしたいとわたしは思っています。個人的には、子どもを怒鳴り散らしてばかりいる先生なんてとんでもないと正直思います。でも、「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」が学校の基本システムである以上、子どもたち一人ひとりを尊重したいと考えている先生でさえ、いくらかの集団統率をせざるを得ないのが現状なのです。
■「黙って座って先生の話を聞く」のは自然な学びか
学級経営だけでなく、授業のあり方もまた、「小1プロブレム」を引き起こす一つの理由になっています。
小学校では2020年から全面実施される新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」が謳われています。でも、「黙って、座って、先生の話を聞いて、ノートを取る」時間が多くを占めるクラスは、今なお根強くあります。
こうした授業においては、とにかく子どもたちを黙らせ、座らせなければなりません。必然的に、子どもたちの主体性を尊重するより、「言われた通りに動かす」ことが目指されることになります。
でもそれは、子どもたちにとって本当に自然な学びと言えるでしょうか?
20世紀の有名なアメリカの教育哲学者、ジョン・デューイは、人間には学びたい(知りたい)欲求、自己表現したい欲求、コミュニケーションしたい欲求、物を作りたい欲求などの、本能的欲求があると言っています。しかしこれらの本能的欲求が、学校に入った途端に殺されてしまうのだと(ジョン・デューイ『学校と社会』107~111頁)。
■勉強が「やらされるもの」になる”システム”
たとえば、ある子どもが虫にとても興味を持ち、寝ても覚めても虫のことを知りたい、調べたいと思ったとしても、学校では、「今は算数を勉強する時間です!」と別のことをやらされる。算数が得意で、どんどん学び進めていきたいと思っても、「まだそこまで進んではいけません」と言われてしまう。友だちとコミュニケーションをしながら学びたいと思っても、「黙って、座って、先生の話を聞きなさい」と指導されてしまう。
結果、子どもたちは学びたい欲求をどんどんと失っていくことになる。そうデューイは言います。そして、勉強とは「やらされるもの」「イヤなもの」という意識を膨らませていくことになるのだと。新しいことを知ったり、何かができるようになったりすることは、本当はとんでもなく楽しいことのはずなのに!
でも、それが今の学校の“システム”なのです。「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で」。「決められたことを、決められた通りに、黙って、座って、話を聞いて」……。
本当は、このシステムのほうが、人間の自然な学びの観点から言っておかしいのではないか? そう、問い直す必要があるとわたしは思います。小1プロブレムは、本当は学校システムのプロブレムなのです。次回以降の連載では、このシステムをどうつくり直していくことができるか、論じていくことにしたいと思います。
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熊本大学教育学部准教授
1980年生まれ。博士(教育学)、専門は哲学、教育学。著書に『教育の力』(講談社現代新書)『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)『勉強するのは何のため?』(日本評論社)他多数。全国の多くの自治体や学校等でアドバイザーも務める。現在、共同発起人として、幼小中学校が一体となった軽井沢風越学園の設立を準備中。
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(熊本大学教育学部准教授 苫野 一徳 写真=iStock.com)
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