昭和天皇は終戦間際に何を語っていたのか
プレジデントオンライン / 2019年4月28日 11時15分
※本稿は、辻田真佐憲『天皇のお言葉』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■1945年7月、ポツダム宣言が発表された
1945年4月7日、対中和平工作の失敗を受けて小磯内閣が退陣し、鈴木貫太郎内閣が成立した。鈴木は、二・二六事件で重傷を負った元侍従長だった。はじめ老齢などを理由に首相就任を固辞したが、天皇の切々たる説得に応じざるをえなかった。
頼むから、どうか、まげて承知してもらいたい。
日本をめぐる情勢は悪くなるいっぽうだった。5月、ヨーロッパでドイツが降伏し、枢軸国陣営で残る主要国は日本だけとなった。6月、沖縄における日本軍の組織的な抵抗が終わった。いよいよ日本本土が戦場になろうとしていた。
同月、和戦両様の準備が進められた。御前会議で、本土決戦の方針が決定されるとともに、別の御前懇談会で、戦争終結のために対ソ交渉を行なうことも決定された。ただ、ソ連はすでに対日参戦を決めていたので、なんの進展もみせなかった。
7月26日、米英中三国の連名でポツダム宣言が発表された。日本にたいする降伏の勧告だった。戦争終結の条件として、軍国主義の除去、日本領土の占領、日本軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰などを掲げ、日本にたいしてたいへん厳しい内容だった。
■三種の神器と「運命を共にする」
天皇は、27日に東郷茂徳外相にこう語るかたわらで、本土決戦も覚悟せざるをえなかった。そこで心配されたのが、三種の神器だった。31日、天皇は木戸内大臣に悲壮な胸の内を語った。
三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のことで、皇位の証とされる。このうち八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮にあった。そのため天皇は、敵に奪われないように自分の身近に移そうかと悩み、いざというときは「運命を共にする」とまで決心していたのである。天皇は明らかに追い詰められていた。
そして8月、事態は最悪の方向に進んだ。6日と9日、米軍が広島と長崎に相次いで原爆を投下した。またそのあいだの8日には、頼みの綱だったソ連が日本に宣戦布告した。これで日本は万策が尽きた。
■「之でどうして戦争に勝つことが出来るか」
10日深夜0時3分、宮城の御文庫附属室(地下壕)で最高戦争指導会議が開かれた。天皇もここに臨席した。議題は、ポツダム宣言受諾の可否だった。会議では、天皇の国法上の地位存続のみを条件として受け入れるべきだと主張する東郷外相案と、それに加え、保障占領の拒否など三条件を付け加えて受け入れるべきだと主張する阿南惟幾(あなみこれちか)陸相案が激しく対立して、容易に決着をみなかった。
午前2時すぎ、鈴木首相は天皇の決断を求めた。天皇は本土決戦の準備が整っていないことを指摘した上で、
と、外相案での受諾に同意した。第一回の「ご聖断」だった。政府はただちに連合国側に条件付きで受諾する旨を伝えた。
果たして12日、連合国側から回答が寄せられた。それは、天皇の存在を間接的に容認するものだった。これで果たして国体を護持できるのか。このまま受諾するべきだという主張と、連合国に再度照会すべきだという主張が、またも激しく衝突した。
■「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び――」
かくて14日、ふたたび御文庫附属室で御前会議が開かれた。天皇は鈴木首相らの意見を聞いたあと、つぎのようにポツダム宣言受諾の意志をあらためて示した。2回目の「ご聖断」だった。
このときの天皇の言葉については、この日の御前会議に出席した下村宏(海南)国務相の著作『終戦秘史』に記されたものが広く出回っている。下村は直後に記録を書きとどめ、さらに左近司政三国務相、太田耕造文相、米内光政海相の手記と照らし合わせ、鈴木首相の校閲も得て、万全を期したという。
反対論の意見はそれぞれよく聞いたが、私の考えはこの前申したことに変りはない。私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を続けることは無理だと考える。[中略]
さらに陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことはまことに堪え難いことで、その心持は私にはよくわかる。しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。この上戦争を続けては結局我国がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私としてはじつに忍び難い。祖宗の霊にお応えできない。[中略]
私は明治大帝が涙をのんで思い切られたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、この際耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、一致協力将来の回復に立ち直りたいと思う。今日まで戦場に在って陣没し、或は殉職して非命に斃れた者、またその遺族を思うときは悲嘆に堪えぬ次第である。また戦傷を負い戦災をこうむり、家業を失いたる者の生活に至りては私の深く心配する所である。この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければ、私はいつでもマイクの前にも立つ。[中略]この際詔書を出す必要もあろうから、政府はさっそくその起案をしてもらいたい。
■後世に潤色された発言という指摘
「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」。この感動的な発言は、「ご聖断」を象徴する言葉としてとくによく知られている。ただし、最近では後世に潤色されたものではないかとの指摘があり、『昭和天皇実録』でも採用されていない。そのため、参考として同書の記述も引用しておく。
”天皇は、国内外の現状、彼我国力・戦力から判断して自ら戦争終結を決意したものにして、変わりはないこと、我が国体については外相の見解どおり先方も認めていると解釈すること、敵の保障占領には一抹の不安なしとしないが、戦争を継続すれば国体も国家の将来もなくなること、これに反し、即時停戦すれば将来発展の根基は残ること、武装解除・戦争犯罪人の差し出しは堪え難きも、国家と国民の幸福のためには、三国干渉時の明治天皇の御決断に倣い、決心した旨を仰せられ、各員の賛成を求められる。また、陸海軍の統制の困難を予想され、自らラジオにて放送すべきことを述べられた後、速やかに詔書の渙発により心持ちを伝えることをお命じになる。”
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作家・近現代史研究者
1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。2012年より文筆専業となり、政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『日本の軍歌』『ふしぎな君が代』『大本営発表』(すべて幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など多数。監修に『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌/これが軍歌だ!』(キングレコード)、『満州帝国ビジュアル大全』(洋泉社)などがある。
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(作家・近現代史研究者 辻田 真佐憲 写真=北海道新聞社/時事通信フォト)
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