天皇陛下が「慰霊の旅」を続けられた理由
プレジデントオンライン / 2019年4月30日 11時15分
※本稿は、辻田真佐憲『天皇のお言葉』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■「現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたい」
今上天皇(明仁)は、1989年1月7日に55歳で即位した。これは歴代で2番目になる高齢の皇位継承だった。
今上天皇は、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行により、2019年4月30日に譲位することになっている。今後呼び名は変わるだろうが、本稿では公開時期にかんがみ今上天皇と記すこととする。
さて、今上天皇は即位以来、新しい天皇像を打ち出し、実践することに心を砕いてきた。2016年8月8日に発表されたビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の内容も、この文脈においてはじめて正確に理解することができる。
その詳細はのちに触れるとして、まずは、1989年8月4日の記者会見をみなければならない。天皇はここで「即位されるにあたり、改めて心に期された点がおありですか」と訊かれてこう明確に答えた。
■国事行為を淡々とこなして終わりではない
現憲法では、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であり、「国事に関する行為」(国事行為)のみを行なうと規定されている。すでに述べたとおり、国事行為は限定的に列挙されているため、そこに解釈の余地はほとんどない。
それにもかかわらず、天皇はここで「昭和天皇を始めとする古くからの天皇のこと」を参照しつつも、「現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたい」と述べている。これは、国事行為のみ淡々とこなして終わりではないという、天皇の強い意志のあらわれにほかならなかった。
天皇は、この考えを一貫して変えず、即位10年と同20年の記者会見でもほぼ同じ言葉を繰り返した。
日本国憲法では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。私は、この20年、長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ、今日まで過ごしてきました。
■「旅」となって結実した試み
昭和天皇は、現憲法の施行後も君主として振る舞おうとし、政治的な言動を止めなかった。それは明らかに国事行為の範囲を逸脱したものだった。今上天皇はそれにならうつもりはなかったが、かといって、限定的な国事行為にとどまるつもりもなかった。そのような形式主義に陥れば、天皇の権威を確立できず、皇室の存在意義も疑われる恐れがあったからだ。
ではどうするか。天皇は「象徴」という部分を解釈し、「公的行為」を拡充することをもって突破口とした。象徴という言葉は、国事行為にくらべて厳密に定義されておらず、柔軟に運用する余地があった。国事行為と私的行為の中間に位置する、公的行為についてもまた同じだった。天皇は象徴と公的行為のふたつによって、憲法を守りつつも、形式主義に陥らない、象徴天皇制の理想的な姿を追求しようとしたのである。
このような天皇の試みは、旅となって結実した。日本各地や世界をまわり、ひとびとと直に接することで、国民の統合や国際親善を図ること。それが、天皇の考える公的行為の核心だった。
■「災害の見舞い」と「戦争の慰霊」は平成で確立した
なかでも災害の見舞いと戦争の慰霊は、その枢要を占めた。現在では天皇の代表的な姿とも目されているこのふたつの行為は、じつは平成の時代になって確立されたものなのである。
災害の見舞いは、皇太子時代を除くと、1991年を嚆矢とする。6月3日、長崎県島原半島の雲仙岳で大規模な火砕流が発生した。天皇は7月10日、早くも皇后とともに同県へ向かった。そして避難場所を訪れると、ときに地べたに正座して、被災者の話に熱心に耳を傾けた。この驚くべき低姿勢、被災者目線は、保守派の論客から批判されるほどに斬新なことだった。
天皇は、この年の誕生日会見(事前に行なわれ、当日の12月23日に一斉公開される)でも、つぎのように被災者への思いを語った。
災害の見舞いは、1993年の北海道南西沖地震、1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟県中越地震、2007年の新潟県中越沖地震、2011年の東日本大震災および長野県北部地震、2014年の8月豪雨、2015年の9月関東・東北豪雨、2016年の熊本地震、2017年の九州北部豪雨でも、欠かさず行なわれた。復興状況を確認するとして、数年後に被災地を訪れることも「平成流」だった。
■終戦50年の節目には長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂へ
いっぽう戦争の慰霊は、1995年を重要な画期とする。終戦50年の節目であり、天皇はやはり皇后とともに、戦災がとくに激しかった長崎、広島、沖縄、東京(東京都慰霊堂)を訪れた。この年は阪神・淡路大震災なども起こったため、誕生日会見の内容も自然重苦しいものとなった。
今年は戦争が終わって50年という節目の年に当たり、戦争の災禍の最も激しかった長崎、広島、沖縄、東京を訪れ、また、8月15日の戦没者追悼式に臨んで、戦禍に倒れた人々の上を思い、平和を願いました。また、今年は硫黄島やハバロフスクで慰霊祭が行われました。希望に満ちた人生に乗り出そうとしていた若い人々が戦争により、また、厳しい環境の中で病気により亡くなったことを深く愛惜の念に感じます。今日の日本がこのような犠牲の上に築かれたことを心に銘じ、これからの道を進みたいものと思います。[中略]
特に今年は、戦後50年ということで、これに関係した本に目を通したいと考え、公務に関わる以外のかなりの時間、そういう本を読みつつ、過去に思いを致しました。
■「戦争」の二文字が念頭から消えることはなかった
天皇は、昭和の戦争について深く考えを巡らせていた。会見の言葉にたがわず、『牧野伸顕日記』『木戸幸一日記』など昭和史の重要資料に目を通し、その内容について側近に問いかけることもあった(渡邉允『天皇家の執事』)。
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民間の専門家にもその問いは投げかけられた。2016年6月14日のことだが、天皇は私的懇談の場で、歴史家の半藤一利と保阪正康に、『昭和天皇実録』についてこう訊ねた(保阪正康『天皇陛下「生前退位」への想い』)。
このように、天皇の念頭から戦争の二文字が消えることはなかった。慰霊の旅も、つぎの節目である2005年、海外にまで広がった。高齢をおして「やらなくていいこと」をあえてやっている。このことこそ、天皇が旅を重んじているという証拠でなくてなんであろう。
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作家・近現代史研究者
1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。2012年より文筆専業となり、政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『日本の軍歌』『ふしぎな君が代』『大本営発表』(すべて幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など多数。監修に『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌/これが軍歌だ!』(キングレコード)、『満州帝国ビジュアル大全』(洋泉社)などがある。
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(作家・近現代史研究者 辻田 真佐憲 写真=iStock.com)
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