"列車の来ない駅"を地元民が清掃する理由

プレジデントオンライン / 2019年4月30日 11時15分

「午後の紅茶」のCMにも使用された車両と根子岳。(写真提供=南阿蘇鉄道)

熊本県の南阿蘇鉄道は、2016年の地震で被害を受け、現在も10駅のうち5駅は不通になっている。そんな「列車の来ない駅」の清掃を、地元の人たちがボランティアで続けている。なぜこのローカル線は、それほど愛されているのか。現地を取材した――。

■「午後の紅茶」のロケ地は無人駅

小さな駅舎を背に、若い駅員とベテラン運転士が、目線を合わせて安全を確認し合う。白い手袋をつけた右手を顔の前でかざすと、運転士の人さし指が、進行方向を指さした。

「出発、進行」

ゴトゴトと列車が滑り出した。阿蘇高森町から西へ延びる南阿蘇鉄道の東端、高森駅を出発した。乗客は筆者ひとりだ。

南阿蘇鉄道は、阿蘇山系という円の内側、東南に位置する高森駅から北西に向かって17キロ、高森町と南阿蘇村を走るローカル線だ。老人が3人、畑から手を振っている。

ほどなく、おっとりと列車が止まった。小さな無人駅「見晴台駅」だ。キリン「午後の紅茶」のCMが撮影されたことで有名なのだと、運転士がマイク越しに案内してくれた。

運転士が指さし確認を済ませると、列車は動き出した。(撮影=三宅玲子)

「さ。どうぞ」

運転士から白いヘッドホンとマフラーを差し出された。CMに登場する10代のヒロインになり切る小道具だ。

「今日はお客さん、ひとりですからね。特別サービスですよ」

すすめられるままホームに立ち、車両と一緒にスマホに収まってみた。

――豊かな湧き水で知られる「南阿蘇白川水源駅」には、牛肉を使った弁当が人気で、チャペルを模したかわいらしい「阿蘇白川駅」では、昨年、駅舎でカップルが結婚式を挙げたんですよ。

懇切丁寧なアナウンスを聞きながら車窓からの景色に目を奪われているうちに、折り返しの中松駅についた。出発した南端の高森駅から4駅、7.1キロだ。ここから先、終着の立野駅まで5駅10.6キロ区間は、2016年4月の熊本地震以来、現在も不通が続いている。

■2022年の全線開通をめざして復旧工事が続く

「地震直後は全線不通となり廃線を覚悟しました」

運転士の飯原正一さんは言った。全面復旧をめざし、いまは運転士、車掌、駅員の3役をローテーションで担当している。地震後、社員は15人から8人に減った。

少しずつ復旧し、現在は高森駅と中松駅の間を1日3往復。平日の午前11時半出発の第2便に乗った筆者は、1人目の乗客だった。見るからに赤字路線である。

しかし、平成29年12月、政府は復興予算として70億円を閣議決定、2022年の全線開通をめざして復旧工事が続いている。

■100人を超える高校生が「通学の足」として使っていた

赤字を垂れ流しながらも復旧をめざすのはなぜなのか。地震前、この列車は高校生の通学の足だったと話してくれたのは、高森駅駅員の内川聖司さんだ。

「列車が止まってしまって、高校生が部活を辞めないといけなくなったのが、かわいそうでした」

内川さんによると、地震前は、朝は6時台から夜は22時高森駅着の最終列車まで、1日に15往復する生活路線だった。

北端の終着駅立野駅はJR豊肥線と接続している。乗客はここで豊肥線に乗り換えて、熊本市のベッドタウン大津町や熊本市内まで運ばれて行く。その主要な利用客は高校生だった。

車窓からは阿蘇五岳が見渡せた。(撮影=三宅玲子)

100人を超える高校生が、このローカル線に乗って大津町や阿蘇市、あるいは熊本市内に通学していた。

熊本地震により列車が不通になると、主な通学手段はバスに替わったが、ルートによっては片道3時間ほどかかる。

バス通学に替わったことで、朝は5時台、帰りは熊本市内を3時台に出るバスに乗らなくてはならなくなった高校生がいる。部活をあきらめた生徒もいた。学校の寄宿舎や下宿など、親元を離れる生活を余儀なくされた生徒もいる。

名物の「トロッコ列車」。(写真提供=南阿蘇鉄道)

■観光客に人気の「トロッコ列車」が生活路線を支えた

南阿蘇鉄道の役割は、生活路線だけではなかった。

熊本地震前年の運賃収入内訳を見ると、2016(平成27)年の1億980万円のうち、9割が定期券を使わないで利用した乗客によるもので、内訳をみると、4割が観光客に人気の「トロッコ列車」の売り上げだった。このローカル線は観光によって成り立っていたのである。

路線の始まりは1928(昭和3)年、旧国鉄が沿線の人々の足として開業した。1987(昭和61)年、国鉄の民営化に伴い、第3セクターの南阿蘇鉄道株式会社として再スタート。このときを境にトロッコ列車など、観光事業にも力を入れるようになった。

■日本国内の技術と鉄材でつくられた初めての鉄橋も

沿線に広がるふたつの町村のうち、南の終着駅高森駅のある高森町では、この20年で人口が2割近く減少し、高齢化率は4割に届こうとしている。熊本市に近い南阿蘇村でも、人口減少率は11パーセント、高齢化率は約35パーセントである。

過疎化が進むなか、観光資源として価値の付加に成功した結果、南阿蘇鉄道は、生活路線としても高校生の通学を支え続けることができたのだった。

北の終着駅立野駅と隣駅長陽駅の間にある60メートルの谷をつなぐ白川第一橋梁は、日本国内の技術と鉄材(当時の八幡製鉄所)によってつくられた初めての鉄橋だ。鉄橋から臨む景色を目的に南阿蘇鉄道に乗りにやってくる観光客も多い。2015年には土木学会選奨土木遺産認定を受けた。

地震により現在不通となっているこの区間は、橋梁をいったん取り外し、部品を全てばらして組み立て直す予定だという。

南阿蘇鉄道の発着駅である高森駅。(撮影=三宅玲子)

■「生活路線の切断」で進学の選択肢が狭まった

第三セクターの構成自治体である南阿蘇村と高森町は、2017(平成29)年4月、熊本県や関係団体と合同で、鉄道の復旧を目指して南阿蘇鉄道再生協議会を発足していた。

南阿蘇村から高森町役場に出向している後藤大介さんはこう話す。

「地震のあった年は、観光客が1割にまで激減しました。それまでは、福岡や熊本から大手の旅行会社のツアーでインバウンドの観光客が連日100人単位で訪れていました」

高森町役場の本川宰さんは「生活路線の切断は若い人たちにダイレクトに響いた」と話した。

「高森町に1校ある高校、県立高森高校は、地震前には地元中学卒業生の同高への進学率は1割程度でしたが、地震後には約3割に増加しました」

高校生にとって、進学の選択肢が狭まったという側面があるのだ。

全線復旧までの間、部分開通している区間での利用を少しでも増やし、赤字を横ばいに維持するための支援に取り組んでいる。その一環として、移住定住の促進にも力を入れているという。

■列車の来ない無人駅を、近所の人たちが掃除する理由

南阿蘇鉄道の10の駅のうち、出発駅と終着駅をのぞいた8駅はすべて無人だ。どの駅も、近所の人たちがボランティアで掃除や手入れをすると耳にした。それは協議会が住民に働きかけているのだろうか。

「いえ、それはわれわれが促進しているわけでも、お願いしていることでもありません。この地域の人たちの特徴と言ってもいいのだと思いますが、自分たちの暮らしている土地をきれいに整えたいという思いを持っている方が多いです。特に年配の方たちに見られることです」

本川さんが説明した。

「線路沿いに咲いている菜の花やシバザクラも、近所の人たちが植えて手入れをされてるんですよ」

それは、地域の人たちが観光資源として大切にしているからなのだろうか。

「いえ、そうではありません。この路線がある景色が、きっと私たちの暮らしにはなくてはならないものだからだと思います」

高森駅では乗務のローテーションにかかっていない駅員たちが線路の手入れをしていた。(撮影=三宅玲子)

■地元にも、観光客にも愛される、南阿蘇のローカル線

南阿蘇鉄道の近くに暮らす人たちにとって、朝に夕に、田園風景の中をゆったりと列車が走る姿は、自分たちの暮らす土地の美しさを改めて感じさせ、日々の暮らしの豊かさを思い起こさせるものなのかもしれない。

「私もそうです。この高森で育ちましたが、踏切で列車を待つときのカンカンという遮断機の音、線路沿いの菜の花、どれも愛着があります」

列車が通り過ぎるとき、踏切で止まっていた車の運転席で、ハンドルを握る女性がにっこり笑って見送ってくれたことを思い出した。

観光資源であり、生活路線であり、そして、この町の人たちをあたためる心の風景として、きっと存続しなくてはならない。観光客も地元の人たちも、南阿蘇を走る17.7キロのローカル線の再開を待っている。

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三宅 玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター
1967年熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009~2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「BilionBeats」運営。

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(ノンフィクションライター 三宅 玲子 撮影=三宅玲子 写真提供=南阿蘇鉄道)

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