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東野圭吾のヒロイズムに共感できない理由

プレジデントオンライン / 2019年5月3日 11時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/S_Kazeo)

2005年に刊行され大ヒットし、その年の第134回直木賞を受賞した東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)。傑作として名高いが、歌舞伎町でホストクラブを運営する手塚マキ氏は「トリックよりも、一方的な『女性観』が気になってしまう」という。その理由とは――。

※本稿は、手塚マキ『裏・読書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

『容疑者Xの献身』(著者 東野圭吾
天才数学者としての才能を持ちながらも、高校で数学を教えている教師の石神は、アパートの隣人で近所の弁当屋で働く花岡靖子に好意を抱いていた。ある日、靖子と娘の美里が、靖子の元夫を殺害したことに気づいた石神は、2人を守るために完全犯罪を企てる。石神の仕掛けたトリックに挑むのは、“ガリレオ”こと天才物理学者の湯川学。ガリレオシリーズ初の長編。2008年、福山雅治(湯川学)、堤真一(石神哲哉)、松雪泰子(花岡靖子)などが出演し、映画化された。

■「か弱い美人」を求める男性、演じる女性

女性は美人で、けなげで、か弱いほど良い──。

こうした男性からの一方的な「理想像」はどうして生まれるのでしょうか。僕が経営しているホストクラブにも、日常生活の中で周囲から要求される「女らしさ」のプレッシャーを感じて、くたびれているという女性客の方がよくいらっしゃいます。

女性の側も、いちいち相手を正したり議論するのが面倒で、求められている役割を何となく演じてしまうこともあるようです。いちいち戦っていると、「結局消耗するのは、私」なんだとか。

「自分が守ってやらなければならない」弱い存在として女性を扱い、ヒーローを気取る男性っていませんか? そういう態度は、女性をバカにしていると思いますし、僕はあまり好きではありません。

とはいえ、「男性たちは相変わらず、古い価値観を持っているな」と一蹴して片付けてしまうのも、褒められた態度ではないと思います。女性を“下”に見る態度は「古い」のではなく、そもそも「間違って」いるのです。

■読後に感じた「モヤっと」した気持ち

さて、『容疑者Xの献身』は現代日本を代表するミステリー小説です。天才物理学者、湯川学が大学の同級生で警視庁捜査1課の草薙俊平の相談を受けて、次々に難解な事件のトリックを解いていく「ガリレオシリーズ」。その中でも、もっとも人気と評価の高い作品と言えるのではないでしょうか。

2005年に刊行されると、ほぼすべての選考委員からトップ評価を勝ち取って直木賞を受賞。福山雅治さんが主演となって映画化もされました。海外からの評価も高く、アメリカのミステリー界で権威のあるエドガー賞の候補にもなりました。

ここまで世界を虜にした驚愕のトリック。「素晴らしい」「圧倒的」と絶賛する人々に反して僕はどこかモヤっとした気持ちをぬぐいきれませんでした。

僕自身も東野圭吾さんが生み出してきた数々のトリックの大ファンだからこそ、この作品を通して読者が受け止める「男女観」についてきちんと立ち止まって考えてみたい。そう思ったんです。

■「彼女を守らねば」から生まれた完璧なトリック

物語は、湯川の大学時代の友人で高校の数学教師、石神を中心に進んでいきます。

東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)

石神は、数学を愛していて、これといった交友関係も趣味もない地味な生活を送る中年の独身男。アパートの隣人で、近所のお弁当屋で働いている靖子にひそかな恋心を抱いています。

事件は、靖子のところに、金の無心をするために元夫が訪ねてくるところからはじまります。ギャンブルや暴力が原因で離婚した靖子ですが、元夫はしつこく靖子を付け回し、この日は家まであがりこんできてしまいました。口論の末、元夫から「おまえは俺から逃げられないんだ」と言われ、靖子は娘の美里の手を借りて、元夫を殺害してしまいます。

殺人の事実を知ったのは隣人だった石神です。パニックになる靖子と美里から状況を聞くと「自分が守らねばならない」と使命感を心に燃やします。

石神は靖子たちが罪逃れできるように、状況を整理し、天才的なトリックを考えます。整合性のとれたシナリオを作り上げ、淡々と実行に移していきます。

靖子はシングルマザーとして美里を育てています。この“か弱き”2人の女性の未来を守るために、自分の手を汚すことすら厭(いと)わない石神。彼の考えたトリックは、何度思い返しても背筋がゾッとしてしまうくらい大胆不敵でほぼ完璧でしたが、湯川というもう1人の天才の前に、事実がだんだんと明るみになっていきます。

■助けたのは「靖子のため」ではなく「靖子を愛した自分のため」

靖子は、石神がどんなトリックを仕掛けたのか、終盤まで知らされてはいませんでした。ただ、石神の言う通りに振る舞い、彼のシナリオの最重要人物として、与えられた「役」をこなします。当事者であるはずが、単なるマリオネットになっています。

さて、この物語のタイトルは『容疑者Xの献身』ですが、石神の行動は本当に「献身」なのでしょうか。試しに「献身」という言葉を辞書でひいてみると、《自分の身をささげて尽くすこと。ある物事や人のために、自分を犠牲にして力を尽くすこと(大辞林)》とあります。

なるほど。靖子の人生を守るために、石神は自分の身をささげて尽くしたように見えます。しかしこれって本当に靖子の「ため」になっているでしょうか。靖子のため、と言えるほど、靖子を一人の人間としてリスペクトし、「尽くして」いるでしょうか。

僕は、全然そうは思えませんでした。

僕の目からは、石神が靖子を心の底から愛しているように思えませんでした。むしろ、靖子たちを「守る」という使命感によって、自分自身に「陶酔」しているように見えました。「俺は束縛なんてしないよ」「俺はあなたが笑顔で幸せに生きてくれているだけでいいよ」という、一方的な美徳の押し付けですよね。

ちょっと考えてみてほしいのですが、靖子は自分をかばってくれた人の犠牲の上で、のうのうと生きていけるほど単純な人なのでしょうか。もし本当に石神が靖子をそんなのんきな女性だと思っていたなら、やっぱり完全に、彼女を見下していますよね。

■“無意識に女性を見下す心理”が招いた事件

「美しくてか弱い女性を自分が守らなくては……」

そういった勘違いは、世の中に溢(あふ)れています。女性は自分より劣った存在だという刷り込みが、事実、多くの男性の脳内にはびこっている。恋愛もそう、職場でもそうです。女性は自分より「下」だとデフォルトで思い込んでいることにより、「自分が何とかしないと」とゆがんだヒロイズムを振りかざしてくる男たちがあとを絶たないのだといいます。

少し話は変わりますが、2018年の夏、ある私立医科大学の入試で、男女差別があったというニュースが話題になりました。女子受験生は一律で点数を操作され、合格者数を抑えられていた。憲法に守られた民主主義国家で、こんなわかりやすい不平等が横行していたことに絶句しましたが、ここにも「無意識に女性を見下す男性心理」がはびこっているように僕は感じました。

「医師の仕事は過酷だから、女性にはしんどすぎるんじゃないか」「医師のキャリアは男性でないと務まらない」などという、偉いオジサンたちの思いがこのような“不平等入試”を招いた気がしてなりません。思い込みと権力とが合わさって、女性の生きづらさというのはなかなか改善されないのではないか―─。僕はそう思います。

■男たちを引きつける何かが伝わってこない

さて、話を小説に戻しましょう。

靖子は女性であることによって、石神に自分を「庇護の対象」だと思わせてしまった。靖子は小説内で「私だけ幸せになれない」なんて、絶対言っちゃダメです。自分のために罪を犯した石神が出頭した後に「男なんて簡単簡単~♪ ちょろいな」と言いながらシャンパンで乾杯するような、ある種“恐ろしい”女性だったら良かったのに。

「何であんな女のために頑張るんだよ!」と読者が地団駄を踏むような女性が登場して初めて、石神の恋や愛は、報われない本当の献身として成立する気がします。

そういえば、直木賞の選考委員の五木寛之さんは、選考会の中でこの小説を「推理小説として、ほとんど非のうちどころのない秀作」と評価しながら、以下のような指摘も残しています。

「男たちを引きつける何かを持った靖子という女のオーラがつたわってこないの(略)が私にとっては不満だった」

僕はこの指摘に完全に同意です。「シャンパンで乾杯~」はもちろん極端ですが、石神の目を通して新しいタイプの女性像を見てみたかった気もします。

■石神が心から身をささげたものの正体

石神の靖子への愛の稚拙さが気になってしまった僕ですが、彼の数学への愛の描き方は抜群にうまい小説ですよね。まるで人を好きになるみたいに「数学」に心を奪われる男性っているんだなと面白く読めました。

手塚マキ『裏・読書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

僕がこの小説で1番好きだったのは、とある生徒から「なぜ数学を学ぶ必要があるのか。時間の無駄だ」と石神が問われるシーンです。石神は、数学は「世界につながる窓なんだ」と説きます。

「いっておくが、俺が君たちに教えているのは、数学という世界のほんの入り口にすぎない。それがどこにあるかわからないんじゃ、中に入ることもできないからな。もちろん、嫌な者は中に入らなくていい。俺が試験をするのは、入り口の場所ぐらいはわかったかどうかを確認したいからだ。」

このシーン、石神が心から数学というものを愛していることが伝わって、僕は1番好きです。もしかすると『容疑者Xの献身』は、石神の靖子に対する「献身」ではなく、石神の数学に対する「献身」だったのではないでしょうか。彼は、数学を愛していた。だから、数学的ロジックに基づくトリックに、文字通り身をささげることができたのだと思います。

数学を愛するように、僕は何かを愛したことがないからうらやましいです。恋愛は、相手がいるから不安定です。ふてくされたり、態度を変えたりするのが人間ですが、数学はじっと向き合えば必ずその分だけ答えてくれるように思えます。

■超天才が見せた人間らしいほころび

石神は刑務所に入っている間、愛する数学と向き合えることに無常の喜びを感じています。目の前の壁にある染みで、図形の問題を作ってみたり、座標計算を繰り返したりしています。「何も見えなくても、何も聞こえなくても」頭の中で数学の問題を解き続けられる限りは、「(刑務所でさえも)無限の楽園」なのだと書かれています。

見返りがなくても、相手が目の前にいなくても、まぶたの裏に浮かび上がらせて、思いを馳せるってある意味「究極の愛」なのかもしれませんね。

ところで、超天才の石神の犯行に、超天才の湯川が気づくきっかけが、石神の「身だしなみ」だというところには、僕はちょっとした“希望”を感じました。

物語のクライマックスシーンで、湯川が最初に石神を疑い始めたきっかけについて話します。

それは石神が、鏡に映った自分と湯川を見ながら、「君はいつまでも若々しい、自分なんかとは大違いだ」と言って、自分の髪の毛を気にするそぶりを見せた時でした。

容姿なんて気にする性格じゃなかったのになぜ? と違和感を覚えた湯川は、彼が恋をしていると気づくんですね。

僕たちは誰かの身だしなみの変化には瞬時に気がつきますし、必ず口にだして伝えるように1年目の頃から教育されます。

「髪切りましたか?」「その洋服、いつもと雰囲気違いますね」といった具合に。

ホストなら全員、間違いなく石神に言ってしまうでしょうね、「あれ、お前そんなの気にしてたの? 好きな子できた?」と。

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手塚マキ(てづか・まき)
ホストクラブ「Smappa! Group」会長
1977年生まれ。中央大学理工学部中退後、歌舞伎町のナンバーワンホストを経て独立。ホストのボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げ、NPO法人「グリーンバード」理事。2017年「歌舞伎町ブックセンター」をオープン。近著は『自分をあきらめるにはまだ早い[改訂版]』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

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(ホストクラブ「Smappa! Group」会長 手塚 マキ 写真=iStock.com)

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