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執着しない田中角榮が唯一大事にしたモノ

プレジデントオンライン / 2019年5月4日 11時15分

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/mustafagull)

田中角榮元首相は、物を所有することに一切こだわらなかった。だが娘の田中眞紀子氏によれば、唯一、腕時計だけは大切にしていたという。なぜなのか。5月4日の誕生日にちなんで、「角さん」と親しまれた角榮氏のエピソードを紹介しよう――。

※本稿は、田中眞紀子『角さんとじゃじゃ馬』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■アメリカ留学する娘に“お守り”の腕時計

「人の一生は誰にとっても一度しかない。その人生をいかに充実して生きるかは、ひとえに時間の使い方にかかっている」

これが父の口癖であった。

時を大切にするとは、とりもなおさず、時間を気にする習慣を身に付けることであり、そのためには時計自体が正確に時を刻むことが、肝心である。以下に記すのは、現代のようにデジタル時計が発達していなかった、一九六〇年代の出来事である。

私が十代でアメリカへ留学すると決まった時、父は銀座四丁目にある天賞堂という時計専門店へ連れて行って腕時計を買ってくれた。“時を大切にしなさい。時は二度と戻ってはこないからね”という言葉を添えて。

店内には掛け時計やきらびやかな品が数多く並んでいたが、父は迷うことなく婦人用腕時計の並ぶショーケースへつかつかと歩み寄って、すぐに品選びを始めた。私が長方形の文字盤を中心に品選びをしていると察した父は“女なんだから丸型にしなさい。女は丸型であるに限る”と妙チクリンなことを言った。

ただでさえ反抗心に燃えていた十代の私は、“四角がダメなら三角はどう?”と聞いたところ、「そんなものは当店にはございません!」と店員に無下に断られてしまった。父は、“ほらごらん”と言わんばかりに苦笑いをし、丸型で極めて見やすい文字盤の付いた腕時計を購入してくれた。これは一人で海外へ旅立つ娘に対する父からの“お守り”であったらしい。

■宝物の時計を探してみるも……

先だって、ある新聞社の企画で“私の宝物”というタイトルの取材を受けた。私には宝物と呼べるようなものはなく、あえて言えば家族や友人、知人たちとの“思い出”が宝物ですと答えたところ、編集者は何か一生の思い出に残るような品物なら一つくらいあるでしょうと誘い水をかけてくださった。

そこで先述の腕時計を探してみたのだが、どこかへしまい込んで見当たらない。また、父が少壮国会議員として、初の欧州視察に出かけた際の母と私へのお土産も、上等な腕時計であった。秘書や事務員へも、それなりのものを持ち帰ってきた。

母はその時計を終生大切にしていたが、気まぐれな私はその時の腕時計も行方不明にしてしまった。そもそも、「父のニックネームは“角さん”なのになんで時計だけは“丸さん”なんだ」といつも心中不満タラタラであった。私の胸中を察した時計たちが自らどこかへ身を隠してしまったのかもしれない。

ところがよくよく考えてみた結果、父と母が臨終の時にはめていた腕時計のことをふと思い出した。

■「角さん」が使っていたリューズ式腕時計

まず父の遺品の腕時計は、もちろん丸型で細い金の縁取りがあり、文字盤も簡潔で見やすく、黒いベルトが付いている。今どきは、決して見かけることのないリューズ(ネジ)式の腕時計で、スイスのPATEK PHILIPPE社製である。

国会での本会議や委員会、そして海外での仕事の時も常に身に付けてチラチラと目をやっては、時間の確認をしていた愛用品である。夜、床に入る前には必ずリューズをしっかりと巻いてから身近に置いて休んでいた。

リューズ式時計は、日に一回は必ずネジを巻かないと、止まってしまう。このことが基本であった。従って、電池式時計に比べると、数分の誤差が出ることは仕方のないことであった。

ある時、私は父の男性用腕時計を自分で使ってみようと思いついた。そこで、都内の有名時計店でベルトを少々派手なものに交換し、機械の修理と分解掃除をお願いすることにした。ところがいずれの店も、このタイプの時計は古すぎて対応不能とのことであった。

■刻印のイニシャルは次の世代に引き継がれるように

そこで私は迷うことなくジュネーブの本社へ直接送付して、修理の依頼をした。時計に限らず、靴やバッグ、帽子に至るまで欧州の超一流と言われる老舗は、数十年あるいはそれ以上も、自社の製品については誇りをもってメンテナンスをしてくれている。自社製品の部品や型をちゃんと保管していて、いつでも古い顧客の要望に対応してくれることは、良い品を末永く大切にするという文化の表れである。

日本の大量生産、大量消費そして大量廃棄の対極にあるこうした企業の姿勢は大いに評価したい。約半年後に父の腕時計は立派に修繕されてジュネーブから送り返されてきた。

その際、時計の裏面に刻印の注文もしておいた。花文字で“K to M”と父と私のイニシャルを刻印してもらったのである。そしてその際に、花文字は裏面の中央ではなく、あえて可能な限り上のほうに刻むようにと注文した。

PATEK PHILIPPE社は何故かと問うてきたので、将来、この刻印の下に“M to ○”と加えることで、この時計が次の世代へも大切に引き継がれることを願っていると理由を説明したところ、先方は大層喜んで、きれいな花文字を刻んでくださった。

この父の温もりが残る腕時計にはブルーの洒落た新しいベルトを取り付けて、今も時折愛用している。実は、“丸型時計もなかなかいいもんじゃわい”と内心悦に入っている。

■所有することにこだわらなかった

父という人は物の所有には一切こだわらない人であった。信じ難いような実話であるが、我が家の応接間に来られた客人が、壁に掛けてある絵画や骨董品の類に感心してじっと眺めていたり、あるいは口を極めて褒めちぎったりすると「これは君にあげましょう」と言って、母や私に作品の入っていた箱をお蔵から出してくるようにと命じたことが幾度となくあった。

母が慌てて、「あれは作家の先生ご本人から頂戴した貴重な品ですよ。本当にいいんですか!」と小声でささやいても、「いいからすぐにケースを持ってきなさい」と言ってきかない。私がぐちゃぐちゃ言うと、「早くしなさい!」と客人の前で叱られたことも一度や二度ではない。

こうした時には、“いえいえ、お気持ちだけで結構です”とか、“こちらのお宅で拝見させていただいただけで十分です……”と言って、まずは辞退するものと思っていたのだが、そんな人はほとんど皆無であった。

■娘の友人男性にも自分の時計をプレゼント

またある時は、以前から私が好ましく思っていた男性が、大学四年生の時に拙宅へ遊びに見えた。そんな時に父が突然帰って来て、偶然父も彼と話をする機会があった。突然の父の登場に彼はビックリ仰天しつつも就職先が決まったばかりですと緊張した面持ちで、自己紹介を兼ねて話をした。

すると、父は即座に「そうか、それはおめでとう! それではこの腕時計を私からの就職祝いとして君にあげよう」と言って、腕にはめていた時計を彼の目の前に差し出した。あまりに唐突な出来事に彼は驚愕し、「結構です。結構です」と後ずさりせんばかりであったが、父は「いいから持っていきなさい。君の新しい人生のスタートだ。就職祝いだ!」と言い残して、サッサと奥の部屋へ行ってしまった。

彼はまだ父の体温の残っているその腕時計をテーブルの上に置いたまま、動転した様子でじっと眺めていたが、父と入れ替わりに入ってきた母が、「主人の気持ちですから、受け取ってくださっていいんですよ」と笑顔を浮かべながら言葉を添えた。彼はその言葉にハッと我にかえったような表情をして、深々と頭を下げて大事そうに受け取ってくださった。

“ハハーン、我が両親も彼のことを悪からず思ってくれていたんだな”と直感した。

今や時も過ぎてお互いに何人かの孫もいる。そんな彼に偶然出会う機会があったのだが、さすがに時計のことは咄嗟に言い出せなかった。あの時の時計の運命や如何に……と思うこともある。

■父が大切にしていた、時と生命の鼓動

母の遺品の腕時計は、当時、俗称で“南京虫”と呼ばれていた超小型で華奢な米国Waltham社(当時)製の品であった。小さなメレダイヤが控えめにちりばめられた直径一・五センチほどのプラチナ製で、落下防止に細い鎖がリング状に付いている。終生和服姿で通した母であったが、おめかしをしてから、最後にあの時計をして外出する姿を、私はいつも心密かに自慢に思っていた。

田中眞紀子『角さんとじゃじゃ馬』(KADOKAWA)

その母も自宅の床で、父の後を追うようにして静かに眠るように旅立ってしまった。母の臨終の時には、その細い腕にはあの時計がしっかりとはめられていた。

超小型のこの南京虫時計は、アクセサリーならいざ知らず、ド近眼の私には全く実用性がない。今は、慎ましやかに微笑む着物姿の母の遺影の傍で、二度と時を刻むこともなく眠っている。

“チクタクチクタク”という時計の音は、心臓の鼓動に似ている。

「時を大切にしなさい」
「生命を大切にしなさい」
「時は二度と戻ってはこないからね」

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田中眞紀子(たなか・まきこ)
元外務大臣
1944年生まれ。早稲田大学商学部卒。93年衆院選で初当選。94年村山内閣で科学技術庁長官として初入閣。2001年小泉内閣で女性初の外務大臣。著書は『父と私』(B&Tブックス)。

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(元外務大臣 田中 眞紀子 写真=iStock.com)

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