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ヤマザキマリ「世界一の料理は日本食だ」

プレジデントオンライン / 2019年5月10日 9時15分

撮影=遠藤素子

『テルマエ・ロマエ』などの作品で知られるマンガ家のヤマザキマリさんは、「世界で一番おいしい料理は日本食だ」と断言する。17歳でイタリアに留学してから、35年間、世界各国を旅してきたヤマザキさんが、そこまで言い切る理由とは――。

■日本特有の「食材を慈しむ」感覚

――パスタ嫌い、トマトが苦手、コーヒーは飲めない。新著『パスタぎらい』では、イタリアに住んでいるとは思えない驚きの告白をつづられています。代わりに渇望する食べ物はラーメン、おにぎり、スナック菓子。どうして日本の食文化が世界一だと思うようになったのですか。

イタリアでは絵に描いたような貧乏画学生でしたから、毎日パスタしか食べられなかったんです。スパゲティなどのパスタ類はコストが安いので、1袋500gが50円とか60円で売っている。一番たくさん食べたのは「アーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ」(塩コショウとニンニクを加え、オリーブオイルをかけたパスタ)。

日本では、おしゃれなパスタ料理みたいに思われていますけど、あれっておかずが何もない素うどんみたいなもの。それでやり過ごした時間が長すぎちゃって。

今までも、食べ物のみに特化した文章を書いたり、漫画で表現したいと思ったことはありません。たとえば『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)の中で、ルシウスがギョーザを食べるシーンがありますが、あのようにストーリーの本筋の伏線として食べ物や味覚の表現を描いたことはあります。

でも、食べ物にだけ焦点をあてて、食べ物についてあれこれ表現してみたいと感じたことはなかったですね。私は、いわば美食家というわけではありませんから。

ところが、こうして自分の個人的食事や世界での食経験を辿ったりしながら文章にしていると、食べ物越しに広くて深い世界が見えてくることに気が付きました。食べ物を通すと、ある意味でその国の社会や歴史、精神世界をすごく伝えやすい。一つの比較文化として様々なバックグラウンドが見えてくる。

日本の食文化が1番だと思うのは、まず日本人の味覚の多様性。国民の舌のスキルが高いです。日本食にしたって、日本のごはんほど食べ物への慈しみや敬意、食材に対する思い入れは他ではなかなか感じられません。

私がそれに1番最初に気づいたのは、姑(イタリア人の夫の母)と「白いご飯に塩が入ってない!」と大騒ぎになったとき。

「お米には塩は入れないよ」と私が言ったら「入れなきゃ味が分からないじゃない!」と言う。そして「私たちは入れなくても分かる食文化の人間なの!」とバトルになりました(笑)。ごはん1粒からでも味が分かってしまうという敏感さは本当にやばいですよ。感度というか、クオリティが高すぎる。

■日本食と自分の漫画は通じるものがある

日本では色んなところに行くと、「これはあえて何もつけずに召し上がってください」というお店がある。それって、調理人が食の伝達者であり、「育まれてきたものをどうやって紹介しようか」「あなた(食材)の持つおいしさをどうやって紹介しようか」と考えている。

撮影=遠藤素子

それって実は、私の漫画家としてのスタイルと似ていると思うのです。私の場合は、自分独自のファンタジックな想像をみなさんに楽しんでもらいたいわけではなく、実在した人物や、実際の歴史をうまい具合に自分で調理して「実はこの時代はこんなに面白かった、この人は本当はこんな人だったかもしれない」というふうに、演出を加えて表現をする。私の漫画作品のほとんどはそんな感じです。

ある意味では、料理人と同じです。だから、日本食に関わる人たちを見ていると、たとえばマグロの持ち味、マグロがどうやって演出されたいかというのを理解しているのが分かる。ただ食べればいいだろう、焼けばいいだろうではない。食材の使命を人間がちゃんと分かり、料理している意味では日本食はすごいなと思います。

やはり日本では、食材にただならぬリスペクトを感じるんですよね。ただ食べて腹を膨らませればいいのではない、という姿勢がどの国の料理よりも強く感じられる。食材に対し上から目線ではなく、ありがたいというのがある。一口一口から慈しみが伝わって出てくるのが、日本式の「おいしい」なんだと思う。

■地域と伝統を重んじるのがイタリアの食

――イタリアの食文化についてはいかがですか。

イタリア人は、誰が来てもオープンハンズで、誰でもフレンドリーに受け入れるというイメージが定着しているようですけど、あれは本当に違います。彼らは人間に対して疑い深く、明るくしているけど内心では相手を、時には家族ですら信じていなかったり。様々な不安や疑念も当たり前に抱え込んで生きています。

やはり、古代ローマ時代以降、他国によって侵略されてきた歴史が長いからかもしれません。イタリアという国家が統一したのはわずか約150年前。その前はすべて自治国家で分かれていましたからね。

だから、食べ物の呼び名も本来は共通しているのに、たとえば「ズッパ・ディ・ペッシェ」という魚のスープは、地域によっては呼び名が全然違うんです。要するにズッパ・ディ・ペッシェじゃん! と言うと、「うちではカチュッコ(トスカーナ州での呼び名)っていうんだよ」と訂正する。そこは曲げない。

トマトも、地域や形状によっての使い分けがはっきりしている。うちの姑のように市販のものは信用できないと、自分の家で栽培したものしか使わない人もいます。一概にトマトといっても、サラダやトマトソースに使う品種はそれぞれ違うのです。

■日本人は「情報」も含めて食べている

日本は鎖国の経験も長かったし、島国という地理的条件もあって、海外からの色んな情報を常に強く欲している傾向があるように思えます。だから情報文化が発達するのと同じで、食べ物も情報文化がつないで生まれた一つの多様性なんじゃないですか。「世界の各地を訪れることは難しいけど、向こうから入って来るものはいただくよ」みたいな感覚はあるんじゃないですかね。

――日本人は料理より、情報そのものを味わっているように見えます。

確かに、「みんながおいしい」と言っている時点で、実際に食べる前から自分の中の「おいしい」が2割ぐらい増していると思いますね。あとの8割は周りの雰囲気だったり、一緒に食べている仲間だったり、そして実際の味覚、という配分になるんでしょうかね。

――他人の味覚を信用する傾向があるのかもしれません。

そこはすごく日本人らしいなと。イタリア人はそれがないですね。他者が言っていることを単純に信じたり、比較したりする傾向が日本人ほど強くないですから。「うちはうち」というのがあって、その考え方はもちろん彼らの生き方全てに反映されている。

撮影=遠藤素子

シャンパンなんかも「世界では極上の酒って言われるけど、正直そんなに美味いとは思えないよな、うちの地域の発泡酒のほうが美味いよな」などと言う人が普通にゴロゴロいる。そこが、長いものに巻かれがちな日本との分かりやすい違いかもしれません。

日本は、色んな国の料理の味に対してこれだけ免疫がついているわけだから、この味覚の外交力が他のメンタルにも生かされれば、日本であろうと世界であろうと、偏見のない多様で奥行きのある生き方も可能になると思うんですけどね。

■いろいろ食べてみた結果「どっちもあっていい」

――日本とイタリアの食文化はどちらに共感できますか。

どっちも共感していますよ。保守的な人が「絶対これおいしいよ!」と思っているものも知りたければ、チャレンジャーな人が薦める新しい食べ物ももちろん知りたい。私は、日本に来るたびに新しいお菓子や新製品が発売されたらひとまず全部買って試します(笑)。食べたことのないものを食べてみたい。

地域が変われば、それぞれの地域性があるのは当たり前。そこに住む人たちが、様々な歴史や経験を経て最終的に一番バランスのとれるやり方をしているのが地域性というものだと思います。だから、私みたいに何でも新しいものに飛びつけばいいのかというとそういうことでもないし。それぞれの地域、社会性、民族に合った食文化は、それはそれでしっかり向き合いたい。

ヤマザキマリ『パスタぎらい』(新潮社)

――でも、結局1番好きなのは日本食なんですね。

一番という表現が適切かどうか分かりませんが、いざという時に1番食べたくなるのは、日本の食べ物が多い。でもそれは、寿司とか天ぷらとかオーソドックスなものばかりじゃなくて、例えばラーメンだったりお好み焼きだったり、ケチャップの掛かったオムライスだったりする。日本食って、範囲が異常に広いですから!

それと、年をとればとるほど、やはり胃袋の自己主張に耳を傾けるようになってきますからね。すると、やはりさっぱり消化しやすいものを選ぶ比率が増えてきています。水茄子が食べたいとか冷奴がいいとか……さっぱりだろうとこってりだろうと、ひとまず毎日が日本食でも飽きはしませんね。それは本当です。

逆に、夫はどんどんイタリア化してきていますよ。日々、自家製のトマトソースをパスタにかけて美味しそうに食べていますけど、それを私にも食べろと強制はしてこない。もうお互いに食べたくないものを我慢して食べるのは嫌だから、それぞれの味覚の欲するものを食べようと。

私だってイタリア料理は食べたくなれば食べますし、夫も、私が隣で美味しそうに味噌汁をすすっていれば「自分も欲しい」と言ったりしますが、そこはまあ臨機応変にやっています(笑)

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ヤマザキマリ
マンガ家
1967年生まれ。17歳でフィレンツェに留学。97年、マンガ家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で第3回マンガ大賞などを受賞。17年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。著書は『プリニウス』(とり・みきと共著、新潮社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。

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(マンガ家 ヤマザキ マリ 構成=内藤 慧(プレジデントオンライン編集部) 撮影=遠藤素子)

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