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なぜ中高の教科書は「最高の教材」なのか

プレジデントオンライン / 2019年5月14日 11時15分

フランス文学者・明治大学教授 鹿島 茂氏

「教科書は大人になってから読み返すとおもしろい」。落第生を自認していた詩人の萩原朔太郎はこう述べた。中高の教科書は教養の手がかりとして大事だが、日本社会ではもっと積極的な意義があったとフランス文学者の鹿島茂氏は指摘する。それは何か。「プレジデント」(2019年6月3日号)の特集「会話に使える『教養』大全」より、記事の一部をお届けします――。

■萩原朔太郎も教科書を懐かしんだ

大正時代に活躍した詩人・萩原朔太郎は「教科書は学生のときに読むとつまらないが、学校と関係なくなってから読むと大変おもしろい」という意味のことを述べています。

朔太郎自身は学校へろくに行かない劣等生で、旧制前橋中学を落第、旧制高等学校に進みはしたものの結局は中退しています。そんな勉強嫌いの詩人でも、学校を出た後で振り返ると、教科書の中身には惹かれるものがあったのでしょう。私もその通りだと思います。教科書というものは試験のために内容を覚えようとするから嫌いになるのであって、授業や試験という制約なしに読めば大人のための優れた教養書です。

私は仕事柄、世界史や日本史については最新の高校教科書に目を通しています。というのも教科書は改訂される都度、最新の学説を反映させるので、常に最新の教科書の内容を押さえておく必要があるのです。

たとえば、フランス第二帝政(1852~70年)の皇帝であるナポレオン3世の評価です。かつては「陰謀とクーデターで権力を握った凡庸な人物」という扱いだったものが、最新の教科書ではナポレオン3世が開発独裁的な手法でフランスの近代化に貢献したことに触れ、パリの街並みを現在に通じる形に大改造したことなどをきちんと評価するようになったのです。

これは世界史の例ですが、物理や地学など理系の教科書も改訂を続けて最新の学説を取り入れています。大人が教科書を読めば、それで最新の世界観を得ることができるのです。

そもそも教科書の記述は、時代時代の雰囲気を反映して変わっていきます。私が高校で学んだ頃の世界史はほぼ「西洋史+中国史」で、それ以外の地域については付け足し程度の扱いでしたが、今はイスラム世界の歴史の扱いも大きく、タイのアユタヤ王朝などアジア、アフリカの歴史についてもきちんと記述されています。切り口も以前の事件史的な記述から、現代の歴史学の主流である土地制度や農業、気候の変遷など、より長期的・持続的な歴史要因を重視した記述に変わっています。

かつて歴史の教科書はマルクス主義の色が濃く出た、階級闘争史観で描かれたものが主流でした。しかし1980年代末に冷戦が終わり、共産主義への幻滅が広がった結果、そうした史観は影をひそめるようになりました。

こうした変化は教科書を書く学者たちの世代交代の結果でもあるでしょう。第2次大戦の捉え方ひとつにしても、実際に兵役を経験した世代と、それを経験しなかった世代で大きく違うのは当然かもしれません。

私は全共闘世代ですが、自分が同時代に経験した出来事についての記述を見ても、やはり自分がその場にいたか、そうでないかという違いは大きいと感じます。こうした時代による教科書の変化はどの分野にもあって、学生時代に学んだ教科であっても、今改めて新しい教科書を読むと新鮮に感じられるでしょう。

ただし教科書といっても出版社によりいろいろな種類があります。歴史では山川出版社の教科書が受験生の定番とされていますが、定説とは異なる独自の視点から歴史を捉えている教科書もあるのです。社会人の場合は読んでおもしろければいいわけですから、読み物としてそういった変わり種の教科書を選ぶのも一興でしょう。

人は気づかないうちに若い時代に自分を取り巻いていた文化や時代の雰囲気に、無意識を縛られているものです。その文化にはサブカルチャーも含まれます。私の世代なら、手塚治虫の影響をみな受けています。

私たちの無意識を縛っていた手塚治虫自身も、宝塚歌劇など関西における「阪急文化」の影響を受けており、阪急の創始者である小林一三に縛られた人だったともいえます。

■家庭の文化資本の差を埋めるもの

このように私たちの無意識を縛っている文化は、教科書の中にもあります。私は自分が中学高校の頃に教科書で読んだ詩歌からも、ずっと影響を受け続けていると感じています。前述の萩原朔太郎の詩「新前橋駅」など、今でも覚えています。私が昭和30年代から40年代の中学校国語教科書に掲載された詩を集めた『あの頃、あの詩を』という本を作ったのも、そうした思いがあったからです。

当時の教科書には、33年に創刊された雑誌「四季」を舞台に活躍した、三好達治、室生犀星、中原中也といった詩人の作品が多く載せられていたものでした。

いまの国語教科書では詩歌は脇役です。さらに文部科学省の新学習指導要領によると、文学より実用的な記述を重視する方向になるといわれています。

ただ団塊世代より上では、私自身がそうだったように、家に詩集や文学の本など全くなくて、「学校の教科書で初めて文学というものを知った」という人は少なくないでしょう。

所得はほぼ同じ中産階級でも、公務員などサラリーマンの家庭と私の実家のような商売をしている家とでは、教養という面では大きな差がありました。片方の家には流行りの詩集や作家の全集があり、片方にはそもそもろくに本がないというように、フランスの社会学者ピエール・ブルデューいうところの「文化資本」の蓄積がまるで違うのです。

大学の文学部に進学した私が強く感じたのも、がんばって勉強してなんとか入学した私のような学生と、エリート校出身で高校時代から教養を磨いていた学生たちとの差です。

公教育の良さは、自力では教育にアクセスできず、教養を身につけることができない人々を救うことにあります。これは文学の世界でも同様で、たとえば20世紀前半に活躍したフランスの女性作家コレットは、もし公教育がなかったら文学にアクセスすることはなかっただろう家庭の出身でした。

今後、学校では文学は教えないということになると、教科書をきっかけに詩や文学に目覚める人もいなくなり、大人の教養という面では、家庭ごとの文化資本の差が、いままで以上に効いてきそうな気がします。

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鹿島 茂(かしま・しげる)
フランス文学者・明治大学教授
1949年、横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専門は19世紀フランス文学。『馬車が買いたい!』をはじめ著書は100冊以上。

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(フランス文学者・明治大学教授 鹿島 茂 構成=久保田正志 撮影=遠藤素子 写真=iStock.com)

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