日経で出世する記者は500mしか動かない
プレジデントオンライン / 2019年5月29日 9時15分
※本稿は、成毛眞『決断』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■会社で「浮いている」と家族はわかっていた
【成毛】日経新聞の記者から独立して、何年ですか。
【大西】2016年3月に辞めたので、フリーになって4年目ですね。
【成毛】フリーになるという「決断」をした際、御家族の反応はどうでした。
【大西】子どもが3人いるんですが、上2人はすでに就職していて、一番下が今年高校に入学したばかり。まあ、家計としては回るかなっていう計算もあって。妻も子どもも「この人、定年までこの会社でもたないな」と、かなり前から感じていたようですし。
【成毛】会社で「浮いている」ことを家族はわかっていたと。
【大西】ええ。我慢して会社勤めをしているのは理解していて、いつ音をあげるだろう、と思っていたようです。それで、妻に相談したら、「どんな未来を考えているのか」「収支はどうなるのか」と。それで「こんな感じになりそうです」と伝えたら、「あなたの甲斐性だったら、そんなもんでしょうね」みたいな。特に反対もなく、通っちゃった。
■独立2年で辞めたときとほぼ同じ収入に
【成毛】面白いですね。でも日本を代表する新聞社だし、辞めるときはそれなりの給与をもらっていたんでしょ?
【大西】そうですね。ただ、独立する前、すでに『文藝春秋』に寄稿させてもらっていたりして。10ページ書けば、そこそこまとまったお金になる。これをベースに、毎月オンラインメディアや雑誌に何本か書いて、年に何冊か本を出せば、とりあえず現状維持くらいには持っていけそうだなと。実際、独立して2年目で、辞めたときと同じくらいになりました。
【成毛】それはすごい。フリーで、日経新聞の給料分を稼ぐ人なんてほとんどいない。
【大西】出した本がたまたま売れた、ということもありましたが。実際、3年目はさぼっていたし、独立前の収入に届いていません。年に本2冊、月に何本かルーティンの原稿を書いて、それで計算ではトントンくらいになる。本が当たれば、アップサイドがあるぞ、というのが今のモデルでしょうか。
■日経新聞「企業年金」のスキームは持つのか
【成毛】でも、年金がなくなる。
【大西】その点に関して、日経新聞は優しい会社で。企業年金はそのままにしておいてくれるんですよ。それも3%とか、信じられない利率で運用してくれる。
【成毛】いつからですか、企業年金の支給は?
【大西】一応60歳からですが、そのとき、そのまま運用を任せておくことも可能で。65歳まで引っ張れます。さらに60歳になると、会社に運用してもらいながら月々でもらうか、まとめてもらうか、といった選択もできる。
【成毛】それはすごい。マイクロソフトには企業年金なんてなかったです。
【大西】ただ有り難いな、と思いながらも、このスキームがこの先本当に持つのかな、という懸念もあります。そのうち会社側が「維持するのは無理です」って言い出すんじゃないかな、とも。
■新聞記者だから「会わない人」がいる
【大西】フリーになることを「決断」したとき、お金のこととかより、会社の名刺を失うことで、この先取材ができなくなるのでは、という不安の方がずっと大きかったです。
【成毛】そりゃそうだ。日経新聞という「代紋」は強いからなあ。
【大西】これから先、誰からも相手にされないのでは、辞めた途端「お前誰だよ」といった扱いになるのではないか、と。とはいえ「元日経新聞の」とか「この間まで日経BP社にいて」といったら「負け」とも思っていました。ただ「ジャーナリストの大西」って、それはそれで胡散臭い。誰も信用してくれないだろうな、そんな肩書は、とも思っていて。
でもいざフリーになってみたら、そうした心配とはまったく無縁で。むしろフリーになったことで、日経新聞の名刺を持っている間、アクセスできなかったところまで取材ルートが広がりました。
【成毛】どういうことですか?
【大西】たとえば、雑居ビルの一室にあるベンチャー企業や、金融といっても、少しヤバめの筋や人権派の弁護士とか。
【成毛】新聞社の名刺では、会えない?
【大西】おそらく、磁石のプラス・マイナスのようなイメージでしょうか、日経新聞の記者が現れると、とたんに姿を消す世界がある。一方で日経新聞は自分たちなんかどうせ相手にしないでしょう、と思っている人も多い。新聞社の名刺がなくなったら、それがくっついてきた。新聞記者だから会ってくれる人もいれば、避ける人もいる。それがわかりました。
■辞めたことで「夜の世界」が見えてきた
【成毛】ほかの業界でもそうかもね。手が届かないような大企業から離れた人のほうが、ベンチャーから見ると、話しかけやすく感じるかも。パナソニックやソニーという肩書と組むとだまされそうだけど、退職した個人なら問題ないかな、とか。
【大西】社会には、会社を辞めたからこそ会いたい、って考えてくれる人がいるんですよね。以前に「大西さんが日経新聞で見てきたのは、昼間の世界だけですよね」といわれたことがあって。当然ですが、昼があれば夜もある。でも昼の世界にいると、そこから夜の世界は見えないんですよ。辞めたことで、夜が見えてきたでしょう、と。しかも意外と夜の世界は深いということに気付かされて。昼の世界は立派に見えるけれども、そんなに「実(じつ)」はないかもしれない、と思い始めました。
【成毛】じゃあ、面白くて仕方がない?
【大西】記者のとき、ハイヤー使ってどこでもアクセスできるんだぜ、と威張っていた世界が、どれだけ狭かったか。その先では官僚、経営者、いずれにせよ、スーパーエリートとしか会っていない。確かにそこに多くの情報が集まってきているから、それがすべてのように感じるけれど、それは錯覚です。
■経済部エリートの移動距離はものすごく短い
【成毛】外交問題であれ、学校のいじめの問題であれ、報道はエリートたちの目線なんだよね。たとえば彼らは、リアルな低所得者層の世界なんか、人生で一度も接したことがない。じつはそんなエリートは、首都東京でも一割ほどしか存在していないわけで、それこそ、千代田区と港区と中央区という中心3区だけに暮らしている。
【大西】でもそれが「日本」だと感じている。下手するとそこが「世界」だ、くらいに思っています。
【成毛】これが朝日・毎日・読売なら、もう少し違う目線に立って、書く必要もあるんだろうけど。日経新聞のつらさでもあるよね。読者もアッパー層なら、書いている人もアッパー層。取材対象者も、広告主も全部アッパー層ですから。
【大西】とても狭いですよ。そのなかの、さらに狭い世界にいるのが経済部のエリートたち。財務省と日銀が取材先だから、彼らの移動距離はものすごく短い。永田町と霞が関、そして丸の内の間をクルクルと車でまわっている。「500メートルしか走っていないな、今日は」とか。
偉くなるためには、会社の外にいては危ない、だから取材をしない人にならなくてはいけない。必要なのは、内務官僚になること。内務官僚は、社内で何か起きたときに、その場にいることがもっとも重要。その場にいて、その瞬間に相槌を打たなければいけない。
■「今日お昼どう?」ができない人たち
【成毛】そこまでやっても、役員になれなかったら60歳で定年か。その先どうするんですか、そんな人たちは?
【大西】以前お世話になった退職した先輩から、先日年賀状がきまして。毎日のテーマが「キョーイク」と「キョウヨウ」ですって。これ、「今日行くところ」と「今日の用事」探し、という意味だったんですね。うまいこと言うな、と感心しましたが、やっぱり悲しくなりました。
【成毛】内務官僚である以上、名刺がなくなったらおしまい、という世界だものね。
【大西】SNSも使いこなしていないし、定年後のオジサンが、誰かに突然電話をして「今日お昼どう?」みたいなこともなかなかできないじゃないですか。毎日悶々とするわけで、大変ですよ。
■SNSより「たばこ部屋」で情報交換
【成毛】SNSは老後ほど、重要ですよね。
【大西】ただ、あくまで会社のなかで、のし上がっていきたいだけの人にとってはSNSは不要なんですよね。逆に、外部と遮断されていることこそステータス、というか。僕の同期たちもいずれそうなっていくのかな。
【成毛】きっと半分くらいはそうなんでしょうね。SNSをバリバリこなしている社会部長とか。インスタグラマーな経済部デスクとか、想像できないもんね。規則もあるかもしれないけれども。
【大西】SNSより、狭いたばこ部屋でボソボソと行う情報交換の方が大事。それが新聞社ですから。
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書評サイト「HONZ」代表
1955年、北海道生まれ。79年、中央大学商学部卒。自動車メーカー、アスキーなどを経て、86年マイクロソフト(株)に入社。91年、同社代表取締役社長に就任。00年に退社後、投資コンサルティング会社(株)インスパイアを設立、代表取締役社長に就任。08年、取締役ファウンダーに。10年、書評サイト「HONZ」を開設、代表を務める。元早稲田大学ビジネススクール客員教授。著書に主な著書に『面白い本』『もっと面白い本』(岩波書店)、『定年まで待つな!』(PHPビジネス新書)、『amazon』(ダイヤモンド社)など多数。
大西康之(おおにし・やすゆき)
ジャーナリスト
1965年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。日本経済新聞入社後、欧州総局(ロンドン)、日本経済新聞編集員、日経ビジネス編集委員などを経て16年4月にジャーナリスト、ノンフィクションライターとして独立。著書に『稲盛和夫最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生』(日本経済新聞出版社)、『ロケット・ササキ―ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮文庫)、『東芝解体 電機メーカーが消える日』(講談社現代新書)、『会社が消えた日―三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)などがある。
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(書評サイト HONZ代表 成毛 眞、ジャーナリスト 大西 康之 写真=中央公論新社写真部)
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