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アンチエイジングに勤しむ日本は息苦しい

プレジデントオンライン / 2019年5月30日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/millann)

「若さ」を保つことは本当に必要なのか。化粧文化に詳しい駒沢女子大学の石田かおり教授は、「今は誰もが同じような外見を目指して、すぐに効果が出る『ファストビューティー』が求められている。だが、同じ外見の人はいない。人それぞれ・年それぞれの美しさを考えるべきではないか」と指摘する――。

■本当に人生のピークは「高校生」なのか

通勤電車の中ですぐ後ろから「人生のピークが終わったなあ」という会話が聞こえてきたことがある。卒業式帰りの男子高校生だった。またアルバイト先で女子大生が女子高生にオバサン扱いされて傷ついた話を聞いたことがある。いずれも高校生ということに高い価値があり、高校生でなくなることで価値が下がるという考え方が見られる。

現代社会で強力な人間の価値の1つに「若さ」がある。若々しい状態でいることや若々しく見せることを実行するアンチエイジングは多種多様な情報と手段が次々と現れては消えながら大市場を形成し、景気の良し悪しに関わりなく市場は拡大の一途だ。この文章を読んでいるあなたも、何かしらアンチエイジングを気に掛けながら生きているのではないか。

中高年だけでなく、冒頭の例のように若年層にも「若い方がよい」という価値観が浸透している。近年SNSやインターネット動画を通じた個人発信が急激に日常化したことで外見の印象をよくする必要性を感じている人が増し、印象向上とアンチエイジングが一体化する傾向が見られる。

■『人は見た目が9割』が110万部も売れた平成

いつから日本人に外見重視やアンチエイジングが沁み込んでしまったのだろう。1995年の「ユーキャン 新語・流行語大賞」トップテンの中に「見た目で選んで何が悪いの!」というカメラのCMコピーがある。その年を象徴する流行語の中に選ばれたことからこの頃だと言えそうだ。その10年後の2005年には『人は見た目が9割』という新書がベストセラーになった。新書として異例の110万部も売れたとも言われている。題名に共感した人が多かったのではないか。2013年には続編『やっぱり見た目が9割』も出たことから平成を通じて見た目重視が定着したと考えられる。

最近授業の中で学生たちにこんな質問を投げかけてみた。「本音と建前を使い分けているか、あるいは使い分けを見たことがあるか」。反応が薄いので考えることを促しながら話をしてみると、そもそも「本音と建前」という表現自体をあまり聞かないので何も思い浮かばないことがわかった。かつて「人は見た目ではないよ、中身が大事だよ」と子供は大人から教えられ、「見た目と中身」を通じて世の中の「本音と建前」を学習してきたものだが、いまやそうした伝承も姿を消しつつあり、建前抜きの社会になってしまったらしい。

■「仕事ができる」だけでは足りなくなった

『人は見た目が9割』の初版が出た頃から、ビジネス界では「見える化」という語が流行した。仕事の上での「見える化」だけでなく、できるビジネスパーソンは外見も仕事の能力に見合っていることが求められるようになった。

外見が人の中身を表すとされる社会では、芸能人でもない一般の個々人にまでセルフプロデュース力が求められる。どんな言葉遣いをするか、どんな店が行きつけかなども好印象を作る自己演出要素になるが、もっとも効果的であるがゆえにもっとも重要になるのは服装・髪型・化粧・体型といった外見だ。

外見は黙って動かずにいても初対面の見ず知らずの人に一瞬で膨大な情報を与える。眉を整えたりスキンケアをしたりするのは、もはや女性だけではない。最近ではファンデ-ションやBBクリームなどで肌をプロデュースする男性も増加中で、ビジネス用メンズメイクの化粧品や講習会もある。

本音と建前の二本立てを「無駄」ととらえて建前が消える背景には、「時は金なり」の流れがますます加速化し、何事も最短時間で最大の成果を挙げるのがよい、すぐに答えや結果が出なければ問題だといった効率最優先意識、言い換えればコスパ意識の蔓延がある。

■「オールインワン化粧品」が普及したワケ

美容では毎日毎日の積み重ねを何年も続けて結果が出るお手入れより、塗ると翌朝には効果が実感できる化粧品の方が売れ、翌朝より1時間後、1時間より数分後に効果が出るものの方がさらに売れる。1品で複数の基礎化粧品の機能を持たせた「オールインワン化粧品」の普及も、数品を使った時間と手間と費用を合理化する発想だ。さらに、化粧品では効果が出るのに時間がかかると美容整形に人が集まるようにもなった。

また「見える化」はわかりやすさの追求でもあるため、美容で求める外見は誰にでもわかるような象徴的で共通性の高い画一的なものになる。誰もが同じような顔と体型を求めてすぐに効果の出る方法を実行する現在の美容は、お店に入ってカウンターで注文するとすぐに出て来る即効性と全国いや世界のどこでも同じ味・同じ商品の画一性、それらのために徹底した効率化・合理化を図るファストフードと同じ構造だ。そこで私は「ファストビューティー」と名付けた。

ファストビューティーで私たちが求める美しさは若さであり健康である。つまりファストビューティーの至上価値は「若さ」と「健康」と「美」の3要素が結びついたものと言うことができる。

■ファストビューティー大国の日本

いつまでも若くて健康で美しくありたいという不老不死は太古の昔から人類の望みだったが、長い間皇帝のような特権階級しか追究できなかった。しかし科学技術と社会の発展により1980年代頃から若さと健康の美は人々の手が届くものになり始め、21世紀を迎える頃から急激に市場を拡大している。折しも日本は急速な高齢化と経済大国になった後の成熟期を迎えていたこともあり、すぐにファストビューティー大国の1つに押し上げられた。

近年平均寿命と健康寿命の差が広く知られるようになり、生涯歩けるくらい元気でいるためのアンチエイジングの研究や情報の普及が盛んだ。こうした健康面でのアンチエイジングはQOLの向上に直結するのでたいへん結構なことだ。しかしアンチエイジングを美容で追究するファストビューティーは結構なことばかりとは言えない。

問題の1つは格差社会が外見と直結する点だ。資金力のある人は美容にお金がかけられるだけでなく高度な教育も受けており、必要な情報や有効な情報・最先端の情報を取捨選択するのに有利な立場ゆえいつまでも若く美しくいられる。しかしその反対の人はどうだろう。

■「画一性」が生み出す社会の閉塞感

さらにそれ以上に問題なのはファストビューティーの画一性だ。みなが認める価値に留まり続けることに疲れたら、あるいは別の価値観を求めたくなったら、本人にとっては不本意でも社会的価値に反する生き方を迫られることになってしまう。外見表現の画一性は生き方の自由をも制限する可能性があり、それゆえ社会の閉塞感に結びつく。

そもそもみなが認める表現でない表現を始めるのは勇気がいることだろう。誰も認めてくれないかもしれないのに、それでも「これが私だ」と押し切って実行できる人はどのくらいいるだろうか。もし実行できたとしてもその次にいじめや村八分のように社会集団から排除される可能性が立ちはだかる。家族や友達など身近で大切な人に反対されたり反発されたりして大切な人間関係を失ってしまう可能性もある。

1920年代に世界の歴史上初めてパリから女性のショートヘアが流行し始めた頃、映画を通じて知った大正時代の日本女性の中にいち早くショートボブにした人がいた。その中には、ショートヘアにしたことを理由に親から勘当された人がいる。勘当とは親子の縁を切られ生涯親と会えなくなることだ。誰もしていないショートヘアにすることで近所中から好奇な目で見られ、ゴシップ雑誌にありもしない悪い噂話を面白おかしく書きたてられて今でいう「炎上」になったこともある。

■100人を100通りの美人にする

大多数の主流とは異なる価値の表現は社会的評価を失う原因にもなりうる。私の専門である哲学から見れば人の外見はアイデンティティに直結するため、外見表現の自由が守られることは個人の自由と人権が守られることと同じだ。画一的な価値の社会ではこれが難しい点が問題である。

そこで解決策として私は「スロービューティー」を提案している。ファストフードに対してスローフードがある。その土地にしかできない食材をその土地に伝承された方法で料理し、食文化や生態系を守りながらじっくり味わう地に足の着いた食だ。スロービューティーも同じ発想だ。人は1人として同じ顔や体に生まれついていない。だからその人が1番素敵な表現は1人1人違っているはずだ。

ファストビューティーは100人を1通りの美人にする美容だが、スロービューティーは100人を100通りの美人にする美容だ。美という価値の基準がファストビューティーでは個人の外にあるが、スロービューティーでは個人の中に置く。それゆえ社会の中で美が多様化する。これを「人それぞれの美しさ」と名付けた。

しかしそれだけではまだスロービューティーには足りない。価値の基準を自分の中に置いたとしても、たとえば20歳の自分と40歳の自分を比較して、「20歳のときはよかったなあ、今は衰えてしまって。60になったらもっと衰えるのか……」では、ファストビューティーの若さという画一的な価値から脱していないからだ。

■1年前の「素敵な自分」と今日の「素敵な自分」は違う

人は生きていれば必ず年を重ねる。年を重ねるということは、変わることだ。内面も外面も変わる。たった1年でも変わる。思い出して欲しい。1年前の今日あなたがもっとも素敵に見えた髪型や化粧や服装はどんなものだったか。今日あなたがもっとも素敵に見える髪型や化粧や服装と同じなのか。違うはずだ。来年の今日だって違うだろう。20歳の自分の美しさと40歳の自分の美しさと60歳の自分の美しさは違って当然であるばかりか、比較はそもそも無意味だ。どれも違うそれぞれ固有の美しさがある。

毎年毎年その年にしかない素敵さ(美しさ)を表現して、それを積み重ねて生きて行くこと、それを「年それぞれの美しさ」と名付けた。これら2つを合わせて「人それぞれ・年それぞれの美しさ」、それが「スロービューティー」である。これが私の定義だ。

■人の価値は「若いこと」だけではない

私がスロービューティーの提唱を始めたのは2003年のことだ。当時の美容は美白とアンチエイジングが結びついた美白全盛期で、化粧品は美白や即効性など高機能の開発と消費者への訴求が盛んで、美容整形の普及が本格化を始めるなどファストビューティーの加速化が始まった頃だった。

ファストビューティーの問題点に気づいた私は「自分たちで自分たちの首を絞めて息苦しくしていることにみんなで気づいてやめれば楽になる」という思いを抱いていた。スロービューティーはNHKラジオや日経新聞の「春秋」コラムなどにも取り上げられたが、普及しなかった。

今回、寄稿の機会をいただき、改めて社会に向けてスロービューティーを発信する意義を考えてみた。最近まで12年近く1人で母を介護し看取った体験を通じて母から教えられたことは、人が生まれて生きて時には病になって老いて死ぬことの当たり前さ、自然さ、そして当たり前だからこその美しさ、素晴らしさ、それこそが人間の価値だということだ。介護と看取りという体験がなければそんな当たり前なことも見えにくい社会に生きていることにもまた気づいた。

人の価値は若いことだけではないし健康なことだけでもない。生きていること、あるいは生きたことそのものにある。自分が生きていることそれだけですでに素晴らしいこと、美しいことだから、そのことをじっくり味わうことから生まれる自分の表現、それが「人それぞれ・年それぞれの美しさ」だ。いまの私はスロービューティーにそんな意味も込めて再び世の中に投げかけたい。

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石田かおり
哲学研究者(化粧の哲学・AIの哲学)、駒沢女子大学教授、博士(被服環境学)
お茶の水女子大学博士課程まで哲学(現象学)を専門に学修し、1992年株式会社資生堂入社から化粧の哲学を開始。2000年に一度退職し、駒沢女子大学専任教員と同時に資生堂客員研究員に就任(資生堂は2018年まで)。学習院女子大学、日本女子大学、早稲田大学非常勤講師を過去歴任。『化粧せずには生きられない人間の歴史』『化粧と人間』『おしゃれの哲学』ほか著書多数。毎日新聞(2001年~2005年)や『美的』(2007年~2010年)の連載を始め、テレビ、新聞、web等のメディアでも広く活動。

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(哲学研究者(化粧の哲学・AIの哲学) 石田 かおり 写真=iStock.com)

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