なぜ「講談師・神田松之丞」はウケたのか
プレジデントオンライン / 2019年5月27日 9時15分
■鳥肌が立った、立川談志の高座
【田原】今日は公演の合間にお時間をいただきありがとうございます。早速ですが、松之丞さんは池袋のお生まれ。高校生のころ、ラジオで落語を聴いて感銘を受けたそうですね。
【神田】三遊亭圓生師匠の『御神酒徳利』をラジオで聴いて衝撃を受けたんです。僕はテレビ世代で、視覚に頼る文化で育ってきました。ところが圓生師匠の落語は45分、音だけで引きこまれた。これはすごいなと。
【田原】ラジオで聴いたことが大きかったのかもしれないね。
【神田】ラジオは中学生のころから、なんとなく聴いていました。音を聴くだけで想像する世界が面白かったんでしょう。その中でも特に興味を引かれたのが落語でした。想像する芸、余白のある芸に魅力を感じましたね。
【田原】浪人時代に立川談志さんの落語に出合って、さらにのめりこむ。
【神田】談志師匠がまだお元気なころ、所沢のミューズというホールで高座があって、ナマで触れたんです。これが本当に素晴らしくて。なんというか、見ちゃいけないものを見たという感じがありました。
【田原】見ちゃいけないもの?
【神田】談志師匠は本で「鳥肌が立つのが良い芸だ」と書いていました。本来は「粟立つ」と言ったほうが正しいのかもしれませんが、そのときの僕は聴いているうちに鳥肌が立ってきて、帰り道の10~15分も、それが収まらなかった。そんな経験をした高座はそれまでなかったですし、今後もないとそのときに思いました。
【田原】なんでそう感じたんだろう。
【神田】談志師匠は一瞬一瞬勝負している感じがありました。高座ではお客さんと演者の呼吸が合わないときもままありますが、談志師匠の高座はぴたっと重なって、500人なり1000人なりのお客さんが師匠の発する一音一音を聴き漏らすまいと聴いている。お客さんが自分の唾を飲み込む音すらうるさいと感じる空気感を出せる演者はそういないです。
■扇子の向こうが僕の居場所なんじゃないか
【田原】談志さんは本当に毎回、真剣勝負でしたね。ほかの落語家はそうじゃない?
【神田】寄席を出て横曲がったら忘れてしまう、ケラケラ笑ってその瞬間は楽しかったという落語も美しいし、素晴らしいです。一方、談志師匠の落語は芯に残る感じ。若者に訴える、力強さがありました。
【田原】名人たちの芸を見て、芸人になろうと志すわけですね。
【神田】僕は小学4年生で親父を亡くしています。それ以降、無理やり大人にさせられたようなところがあったのですが、一方では自分の居場所を探しているところもあった。高座では扇子1つ置いて、ここまではお客、ここからは芸人と境界線を引きます。客席から見ていて、扇子の向こうが僕の居場所なんじゃないかと強く感じたんです。
【田原】でも、松之丞さんは大学に通う。すぐ芸の世界に飛び込まなかったの?
【神田】お客としての時代がもっと欲しかったんです。演者になると、きっと演者としての立場でしかものを考えられなくなる。そう思って、まず客としての目を磨くために4年間を使おうと思いました。ヘンな言い方ですが、そのころが僕の客としての全盛期。いまよりずっと尖ってましたね。
【田原】面白い! 普通は憧れが強いと早く演者になろうとするのに。
【神田】お客の時代が長いほうが、プロデューサー感覚が養われるんじゃないですか。たとえば会にどのゲストを呼ぶとか、どの小屋でどの時間帯にやるとか、どのネタを選ぶとか、細かいところですけど客の時代が長い人はおかしなことをしない。僕はいま松之丞という芸人を自分で客観視してプロデュースしている感覚がありますが、それもお客としての経験が長かったからだと思います。
■人生を決める、師匠の選び方
【田原】卒業して芸人になるわけですが、感動した立川談志の落語じゃなくて、講談師の神田松鯉(しょうり)さんに弟子入りした。当時、落語家は800人いたのに対して、講談師は数十人。著書で「絶滅危惧職」と書いていたけど、なぜ講談を選んだのですか?
【神田】落語の魅力をわかっている人は大勢いたのに、講談は過小評価されていて、このままでは終わるという危機感がありました。そのころの講談は新規のお客様が非常に少なくて、ほかのお客様も年配の方ばかり。たまに新しいお客が来ても、常連客に引いてしまう世界でした。当時の講談に必要なのは、伝統芸能を重んじる人より、野暮なやつ。野暮でもいいから世界を広げるやつがいないと、結局、文化としても終わってしまう。生意気にも、そういう講談師が欲しいと客観的に思ったんです。
【田原】基本的な質問をさせてください。講談と落語の違いは何ですか? 落語はフィクションで、講談はノンフィクション?
【神田】講談も脚色が多いので厳密にはノンフィクションじゃないのですが、そもそもの精神性が違います。落語はいろんなものをどっかから借りてきてやっていますが、忠臣蔵は落語にはありません。それはどうしてか。談志師匠の受け売りですが、赤穂浪士は300人いましたが、250人が逃げて、残りの47人が討ち入りした。講談は「この47人は忠義の士であり、素晴らしいじゃないか」と褒める芸。それに対して落語は人間の弱さを肯定する芸。そうした精神性がまるっきり違いますね。
【田原】松之丞さんは褒める芸が好きなの?
【神田】僕が子どもだった1980年代は、真面目に生きるのは野暮で、コツコツやっているやつを茶化す風潮がありましたよね。でも、自分は真面目にやるのもいいのに、と思っていました。最近は若い人が真面目にやることに照れがなくなってきた。そういう意味では、僕だけじゃなく、いまは世間に講談が受け入れられやすい時代になったんじゃないですか。
【田原】話を戻します。師匠として神田松鯉さんを選ばれたのはどうしてですか?
【神田】談志師匠は突き落とされるような芸でしたが、うちの師匠は毎日の歯磨きやシャワーと同じで、日課で毎日聴いていたい、ぽかぽかする太陽みたいな芸で、単純に面白いんです。しかも確かな技術があって、読み物も500以上持っている。さらにプレーヤーとして優秀なだけじゃなく、個性がバラバラの弟子をたくさん育てていて、育成する力もすごいんです。
【田原】どんな育て方を?
【神田】個を摘まないで、好きにやらせてくれます。あと、技術はあとからついてくるから、記憶力がいい若いうちにネタを覚えろという方針も納得でした。
■どうして松之丞さんの講談がウケたのか
【田原】さて、弟子入りして前座になった。どうでしたか?
【神田】向いてなかったですねー。やる気はあって相手に一生懸命尽くそうとするのですが、どうも人に気を使う能力が足りないみたいで。田原さんのテレビのAD時代はどうだったんですか?
【田原】ADのころは何度も怒られたよ。僕は気が利かないから。松之丞さんも相当絞られたでしょう?
【神田】それがそうでもなくて。楽屋にいる人間は前座をやってきたから苦労がわかっていて、僕が何より講談や落語が好きだということをみんな知っている、だからまあいいやと許されているところはありました。
【田原】前座も高座にあがるんですよね。お客は笑ってくれますか?
【神田】前座は開口一番、明るい話をしてお客さんを温めるのが普通です。でも、うちの師匠は人殺しの話ばっかり教えるんですよ(笑)。でも、鍛えられましたね。前座は何分やるのか毎日違います。「今日は5分で降りろ」と言われたら、本来30分あるネタを5分でやらないといけない。どこをどう編集したらお客にウケるのかと工夫を重ねていくことが、高座の技術につながっていきます。
【田原】前座は4年間。向いてないのに、よくやめなかったですね。
【神田】4年経つと誰でも二ツ目になれるという旗がついていたことがよかったですね。前座ではダメだったけれど、二ツ目になって自分のやりたいことをやれば評価は絶対にひっくり返ると思っていました。
【田原】実際に二ツ目になってブームを起こした。どうして松之丞さんの講談がウケたんですか?
【神田】予備知識なく聴けたことが大きかったんでしょう。講談はちょっと難しくて、初めて来た人に、自分にはまだ早かったと感じさせるところがあります。たとえば講談師は「天保の時代の物語です」と入りますが、普通の人は「天保っていつだよ」と。だから僕は「西暦でいうと1830年ごろでございましょう。当時はこのような背景がありまして」と、ギリギリ野暮にならないところでさりげなく補足する。
【田原】テレビも同じですよ。キャスターは専門用語を多用するけど、それじゃ視聴者はついてこない。
【神田】たとえば忠臣蔵も、「元禄の時代は1700年ごろ。前の戦といえば関ヶ原や大坂冬の陣夏の陣で、寿命からいっても誰も戦をしたことがない時代であります。とすると、侍が形骸化していたといえるでしょう。そんな時代に起きたのが忠臣蔵だ」と入れると、なぜ忠臣蔵が人々から喝采を浴びたのかが見えてくる。そうした背景を知っているかどうかで、講談を聴くときの集中力が違ってきます。
【田原】つまり、わかりやすくしてハードルを下げたわけね。
【神田】はい。講談界には、この人を最初に聴くとすんなりハマれるよという“呼び屋”がいませんでした。僕は未熟ですけれど、役割としてそれをやろうとしたことで評価していただけるようになったのかなと。
■大人気、ラジオ番組の裏側
【田原】松之丞さんのラジオも聞きました。とっても面白い。昔、評論家の山本七平は「日本は空気の国で、空気を破ったらおしまい」と言ったけど松之丞さんはどんどん破ってる。
【神田】いまは何か言うとすぐ炎上してクレーマーに睨まれるから、メディアで言いたいことを言えなくなっているでしょう。でも一方で、「せめてラジオくらいは本音が聞ける場にしてくれよ」というリスナーもいる。幸い、僕は講談で生きている人間なので、ラジオでは言いたいことを遠慮なく言える。そこがウケているんじゃないですか。ただ、最近は僕が講談のアイコンのようになっていて、僕が人の悪口を言うと、講談自体にダーティーなイメージがつきかねない。呼び屋としてはそれもよくないので、これからは微妙な隙間を縫ってやっていこうかなと。
【田原】なるほど。あくまで講談を聴いてもらうための入り口としてラジオをやっているわけですね。
【神田】僕はラジオやテレビで名刺を配っていると思っています。もちろんラジオやテレビも楽しいけど、本丸が崩れると意味がない。あくまでも講談に来てもらうための宣伝としてやっています。
【田原】松之丞さんは2020年の2月に真打ちになる。真打ちになると芸も変わりますか?
【神田】内容は変わりませんが、気持ちは変わるでしょうね。誰かが言っていたんですよね。木刀と真剣の違い。真剣は、いざとなったらお客さんをバンッて切るくらいの力がある。そういう意味で責任は重いです。
【田原】真打ちになった後の目標は何ですか?
【神田】いずれ講釈場という講談専門の寄席をつくりたいですね。講釈場を回すには少なくても東京だけで200人の講談師が必要で、新しく講談師になる下の世代が食っていくには、もっとこの世界にお客を増やさないといけない。真打ちは花火のようなもの。人に知られる機会は増えるので、呼び屋としてより精力的にやっていきます。
【田原】いま講談師は何人くらい?
【神田】いま東京、大阪合わせて約90人です。一番少なくて22人でしたから、だいぶ増えました。でも、講釈場復活にはまだ足りない。講談師はすぐに育たないので、若いやつがバイトしないで一生懸命稽古に打ち込める環境をつくるのが当面の目標です。
【田原】真剣勝負、期待しています。
神田さんへのメッセージ:講談を落語に負けない人気の伝統芸能にしろ!
(ジャーナリスト 田原 総一朗、講談師 神田 松之丞 構成=村上 敬 撮影=宇佐美雅浩、枦木 功)
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