乙武洋匡の"我の強さ"が説得力をもつ理由
プレジデントオンライン / 2019年5月20日 9時15分
※本稿は、手塚マキ『裏・読書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
先天性四肢切断により「手足がない」状態で生まれた著者の乙武洋匡。障がいがあっても「諦めない」。クラスメイトと共に運動をし、学校行事にも積極的に参加した小学生時代。バスケットボール部で選手として奮闘した中学時代。アメリカンフットボール部でデータ分析を行った高校時代。予備校で一浪し、早稲田大学に入学した受験生時代。そして、大学生になり、街づくりのイベントなどに携わりながら、講演を依頼されるようになるまでの様子が描かれている。
■“国民的障がい者”の親友との出会い
『五体不満足』という言葉を発明し、“国民的障がい者”になった乙武洋匡(ひろただ)という男を知っていますか?
実は、僕と乙武洋匡さんは10年来の親友です。僕が乙さん〔いつも「乙さん(おとさん)」と呼んでいるのでこのように表記します〕と初めて出会ったのは20代の終わりの頃。彼が『五体不満足』の出版後、キャスターやスポーツライターを経験したのち、教育の道に興味をもちはじめて、さあこれからどうして生きていこうかと考えている頃でした。
僕の方はといえば、ホストクラブの経営をはじめて暫く時間が経って、これから自分の会社や従業員をどういう方向に持っていくべきかと考えている頃。お互い30歳手前で、共に興味がある教育について語り合ううちに、すぐに仲良くなりました。
そして、これからどんな大人になろうか、将来何をしようかという話を夜な夜な語りあっていました。彼は僕がどうやって従業員を教育しているのかに興味を持っていて、よく相談もしました。
乙さんとはそれ以来、2人で海外旅行に行ったり、読書会を開いたり、大人数で飲み会をしたりと、よくつるんでいました。でも、彼が障がい者だからといって、連れの僕が困ってしまったことはほとんどありません。
■手も足もないのにこちらが苦労した記憶はない
もちろん、仲良くなったのが大人になってからというのもあるのでしょう。大人って体育の授業をするわけでもないし、全員で整列する場面もない。むしろ、口で何かを説明するなら僕より乙さんの方がうまいので、こちらが気を遣った記憶はほぼありません。
自分が助けようとする前に、「ちょっと醤油を使いたいから30センチくらい前にやって」みたいに、的確に指示されちゃいますから。
ましてや、障がい者であるからといって、同情したり心配したりなんて、ゼロに等しいですね。あるといえば、昔、僕の部屋に2人で寝ていたら大量の蚊が入ってきて、2人とも身体中を刺されて「痒いな~」って言い合っていた時に、「あ、乙さん、身体かけないのか、不便だな」って思ったぐらい。その時も僕がそう口にして、二人で大笑いしました。
それにしても、手も足もない人と行動するって結構大変だと思うんですが、苦労した記憶がないのはなぜだろう?
改めて思い返すと、彼は常に先回りして、周りも本人もスムーズに行動ができるようにお膳立てしてくれていた気がします。彼は、みんなでどこかに遊びにいこうというときも、誰よりも綿密な計画を立てて、僕たちも乙さんも楽しめるプランを提案してくれます。
例えば、海外旅行に行くときなどは、旅行代理店のように下調べをして、色んなところに連れて行ってくれます。僕らはホテルの予約など面倒なことは何も考えず、旅行を楽しめるわけです。
■すごいのは「手足がない」からなのか
いつも先手先手で行動する乙さん。きっと幼い頃からの積み重ねなのでしょう。『五体不満足』を読むと、彼が幼少期から、障がい者でありながら健常者の過ごしている”普通の”社会に溶け込んでいくために努力してきたことがわかります。
「オトちゃんルール」と呼ばれる特別ルールで、あらゆるスポーツにも参加しました。水泳では「スーパービート板」の持ち込みを許されました。前例がなくても、予備校にも通いました。障がい者への偏見や差別が少なくはない時代で、まわりの人を巻き込んで一緒に生きていける環境をつくっていきました。
パワフルな乙さんの半生をつづった『五体不満足』。衝撃的な表紙とタイトルとは打って変わって、後ろ向きなエピソードが一切ない明るい半生記は、多くの人に、「手や足がなくても乙武さんはこんなに頑張ってるんだから自分も頑張ろう」と感じさせたのではないでしょうか。
僕自身もかつては部下に、「手や足がなくても乙さんは乗り越えてきたんだからお前らも頑張れ」と伝えてきました。でも、ある時ふと気づいたんです。乙さんから見習えることって、手足があろうがなかろうが関係ないのではないかと。
■障がい者かどうかを決めるのは「環境」
乙さんは『五体不満足』のあとがきで、こんな言葉をつづっています。
障がい者だからって、不当に隅っこに追いやられる必要はない。彼は決して悲嘆に暮れて立ち止まることなく、目の前に広がる社会の中で楽しく生きていく方法をたぐり寄せようとしてきました。その逞(たくま)しさに、健常者であれ、障がい者であれ、真似できる部分がある気がします。
乙さんは、ある人が障がい者かどうかを決めるのは、「環境」なのだと言っています。つまり、いま置かれている環境において、生活に困難が生じるから「障がい者」と呼ばれるのであって、全く別の世界では障がい者でも何でもないかもしれない。
この世界に絶対的な「障がい」なんてない。所詮すべての「障がい」と呼ばれている状態は、相対的なものでしかないんだなと気づきます。もちろん、ひとことに「障がい者」といっても、その種類や程度は人によってまちまちなので、すべてをいっしょくたに語ることはできませんが……。
■世界共通の「普通」なんてどこにもない
例えば、僕は極度の近眼なので毎日コンタクトレンズをつけて生活しています。だから、もしメガネもコンタクトもない時代に生まれていたら間違いなく「障がい者」だったでしょう。狩りにでかけたらちっとも役に立ちません。
もっと大げさなことを言うと、僕は日本語しか喋ることができないので、日本語圏の外に出ると、僕の言語能力も、ある意味では”障がいがある”状態と言えるかもしれません。
突き詰めていくと「普通」なんてどこにもない。切り取りようによっては自分だって「健常者」ではないかもしれない。いつだってそんな疑いを持ちながら過ごすことは、いざ新しいルールを作ろうとした時に役立つような気がします。
ひとたび、「障がい」というものを離れてみても、僕たちが「社会」と呼んでるものは、所詮カギカッコつきの限定された「社会」だなと気づきます。個人個人に見えている「社会」は違います。全人類にとって共通の、すべてを含んだ一般社会なんてありません。あなたにとっての「社会」と他人にとっての「社会」は違うから。
死ぬような思いまでして無理に溶け込まなくてはならない「社会」なんてどこにもない。生きていく社会を自分で選んで、自分で定義する。それもまた、とても重要だと思うんです。
■障がい者を苦しめる「適合」と「分断」の二元論
最近、写真家の齋藤陽道(はるみち)さんの『異なり記念日』という本を読みました。
齋藤さんは、耳が聞こえる両親から生まれたろうあ者です。両親の言語に合わせて「日本語」を第一言語として教わりました。齋藤さんのパートナーである麻奈美さんは、耳の聞こえない両親から生まれたろうあ者です。手話を第一言語として育ちました。
2人の間に生まれた樹(いつき)さんは、耳が聞こえる健常者です。3人が3人とも、ある意味で違う「社会」を生きている。子どもと親が「異なるんだ」と気づいた記念日が「異なり記念日」というわけです。
ろうあ者の教育をめぐっては、日本に限らず読唇術などを教えて健常者の言語を使いこなせるようになるべきという考え方が、かつては根強かったのです。しかし、耳が聞こえない人は無理やり口述日本語を覚えるよりも、手話コミュニケーションのなかでのびのびと感性を磨いたほうが豊かな表現力をもてるという考え方も、今では広く浸透してきているんだそうです(もちろんこんなにシンプルな歴史ではありません)。
齋藤さんは両親が健常者なので、口述コミュニケーションができるように育てられたそうですが、6歳から16歳の記憶がほとんどないそうです。手話ならすぐ覚えられることも、日本語の音や口のかたちで覚えようとすると何倍もの時間がかかってしまう。自分は聞こえないのに、音声で自己表現をせざるを得なかったことは、かなりストレスのかかることだったのかもしれません。
言い方が少し乱暴ですが、手話を使える人たち同士の「社会」で生きていく限りにおいては、日本語に適応しなくても手話ができれば何の問題もないという考え方もありますよね。
健常者たちが見ている「社会」に適合するために障がい者が努力すべきなのか。あるいは、健常者の「社会」と、障がい者の「社会」を分断させたまま生きていくべきなのか。
僕は、どちらも違うと思います。こうした二元論に陥らないことこそが大事なんです。障がいを障がいたらしめているのは社会でしかない。そのことを認識し、誰もが生きやすい「一般社会」を作っていかなければならないと思います。
■本の主役は実は乙さんではない
ここで『五体不満足』を思い返してみると、実はものすごく努力をしていたのは、乙さんの周りにいた人たちだということに気づきます。『五体不満足』って実は、乙さんが主役に見えてそうではない。彼の周りにいて「オトちゃんルール」を作った人たちであり、そうした新ルールを喜んで受け入れた人たちこそが、この本の主役なんです。次々と自発的にできあがる新ルールは数えればキリがありません。
100mを走り切るのに、ボクは2分以上かかってしまう。普通なら、遅い子でも20秒程度だ。そこで、先生が「じゃあ、ヒロだけ途中からのスタートにしようか。半分の50mでどうだ」との提案。
「今年のゲームは、○×ゲームをすることにしました。○だと思う人は首を縦に振り、×だと思う人は首を横に振ります。(中略)先生。今年は乙武くんがいるでしょ。乙武くんは、こうしないと参加できないでしょ」
あたりまえのことのように言う子どもに、先生方は顔を見合わせ、しばし返す言葉がなかったという。
これらはほんの一部の抜粋でしかありません。乙さんの周りにいた人たちはみんな、工夫をこらして、彼と生きている。年齢が若いからというのもあるかもしれないけど、すごく柔軟にルールを変えていきますよね。大人もこれぐらいカジュアルに変わっていけばいいんだと思います。
■魅力的なのは、周囲にルールを変えさせる力
それにしても、乙さんに対する周囲の人たちの「神対応」、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと思うくらいです。小学校や中学校で足が速いやつなんて、そこが人生のピークなんだから、ちゃんと目立たせてやって欲しいですよね(笑)。
こうして、この本の主役は「彼の周りの人たちだった」と気づいて読み返してみると、乙さんの個性というのはますます、手足がないことというよりも、周りにルールをどんどん変えさせる「我の強さ」なんだと感じますよね。僕たちはいつも、肩書きや見た目など表層的な特徴でレッテルを貼りがちですが、それに惑わされすぎない方が、居心地のいい付き合い方ができると思います。僕はそんな我の強い乙さんが面白くて大好きです。
いずれにしても、社会の中で自分よりも不便な思いをしている人、不利益をこうむっている人がいたら、乙さんの周りの人たちのチャレンジ精神を思い出してみてください。当事者の勇気やアクションはもちろん大事。でも、周りの人の優しさやアクションの方が、もっと説得力を持つときもあるんです。
■「オトちゃんルール」は、理想の社会そのもの
例えば、社会的に弱い立場になりやすい女性たち。男社会で差別されている女性がいたら、本人が主観的な声をあげるより、周りがサポートしてあげる方が状況を良くするかもしれません。
「体力がなくて困っている」という女性がいたら、同僚が、人事部にかけあって新しい時短勤務制度をつくってみるのはどうでしょうか。あるいは、バレンタインの義理チョコにウンザリしている女性社員がいたら、男性社員が率先して「義理チョコ廃止、賛成!」と宣言してみてはどうでしょうか。
立場の弱い人、不利益を感じている人が、みずから声をあげるのはとても難しい。だからこそ、周りにいる人たちがいつも、重要な鍵を握るのです。
作られたルールに従うだけでなく、時にはルールを生み出す側になると、見える景色が変わります。乙さんの同級生たちは、幼い頃からルールを疑い、ルールを生み出し、ルールを楽しんできた人たちです。冒頭で、彼はルールを作るのがうまいと書きましたが、きっとそれは、彼がむしろ、周りの人たちから学んできた姿勢だったのかもしれません。
彼と共に過ごした周りの人たちは、自分が見ていたのは健常者にとっての限定された「社会」であることに気づき、そのうえで、乙さんを障がい者の「社会」へ分断するのではなく、いっしょに生きていける、乙ちゃん学級の「社会」をつくりあげていきました。それは、理想的な形だと僕は思うのです。
いつでも自分なりの「社会」を定義し、その中でルールを作り、助け合う。
少し前の彼は、ソムリエの僕にワインを教えてほしいと相談してきたので、僕は定期的にワイン会をひらいていました。でも1年ほどたつと、いつの間にか彼がテーマに合わせたワインを準備し、教える側に回るようになりました。相変わらず、仲間を先回りして楽しませてくれるリーダーです。
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ホストクラブ「Smappa! Group」会長
1977年生まれ。中央大学理工学部中退後、歌舞伎町のナンバーワンホストを経て独立。ホストのボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げ、NPO法人「グリーンバード」理事。2017年「歌舞伎町ブックセンター」をオープン。近著に『自分をあきらめるにはまだ早い[改訂版]』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『裏・読書』(ハフポストブックス/ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。
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(ホストクラブ「Smappa! Group」会長 手塚 マキ 写真=時事通信フォト)
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