平成ニッポンを元気にした経営者TOP15

プレジデントオンライン / 2019年6月1日 11時15分

AFLO=写真

バブル崩壊に始まり、数多くの困難に見舞われた平成ニッポン。暗くなりがちな世相を、明るく照らした名経営者たちを、年表とともに今、振り返ろう。

■規制を打ち破り、新モデルを創出

平成はバブル景気の最中に幕開けした。株価も上昇し、金融機関の積極的貸し出しにあおられ、ゴルフの会員権相場も上昇するなど企業も国民も投資熱に浮かされた。誰もがこのまま続くと信じて疑わなかった。

経済界では平成元(1989)年4月、戦後の経営の神様と慕われた松下幸之助氏が死去。今にして思えばその後の長い景気低迷時代を暗示させる出来事だった。そしてバブルが崩壊し、株価は急落、土地などの資産価値が一気に崩落した。過剰設備、過剰債務、過剰人員という3つの過剰を前にして多くの経営者は茫然自失した。バブル期の粉飾決算の先送りを続け、後に経営者が逮捕されたオリンパス事件を含めて、このときすでに「失われた20年」の種は蒔かれていた。

そんな中、気を吐く経営者もいた。87年にアサヒビールが「スーパードライ」を発売。「ドライ戦争」が勃発した。92年に生え抜き社長として就任した瀬戸雄三氏はビールの鮮度にこだわり、製造・物流体制を改革。「スーパードライ」を名実ともにトップブランドに育て上げ、98年に45年ぶりにビールのシェアを業界首位に押し上げた。

信越化学工業会長の金川千尋氏もその1人だ。90年に社長に就任後、経営改革を断行。もともと在庫嫌い、借金嫌いの性格からバブルとは無縁の金川氏はムダ撲滅を徹底した。低迷する国内素材メーカーの中で買収した米子会社が米国内の市場を拡大し、塩化ビニル、半導体ウエハー、シリコン樹脂のシェアでは世界一を達成。国内のデフレ経済下にあって13期連続の過去最高益を達成した。

稲盛和夫氏

一方、旧来のビジネスにとどまらず新たなビジネスモデルを模索し、飛躍的に発展させた経営者もいた。京セラ名誉会長の稲盛和夫氏もその1人だ。京都発の戦後ベンチャー企業として創業。現場の社員に収益管理を徹底させる「アメーバ経営」で社業を発展させた。さらに通信事業の自由化に際し、第二電電(現KDDI)を設立するなど積極的に新規事業に参入し、次世代通信業の礎を築いた。

報国の志の強い独自の経営哲学を持ち、自ら主宰する「盛和塾」で中小企業の経営者に大きな影響を与えた。その志の典型が10年の日本航空の再建だ。無報酬で会長に就任し、再建初年度には営業利益1800億円超というV字回復を達成。再建後はあっさりと身を引くなど去り際の見事さも称賛された。

運輸業界で既存の規制を打ち破り、「宅急便」ビジネスを生み出したヤマト運輸元会長の小倉昌男氏も平成の経済を支えた1人だ。売上高1.5兆円の大手運輸会社の基礎を築いた経営手法は平成の経営者に大きな影響を与えた。宅配便の規制緩和をめぐり旧運輸省と衝突。「運輸省の役人は小学5年生以下だ」と発言し、喝采を浴びたこともある。95年の退任後はヤマト福祉財団理事長として障害者の自立支援に取り組み、国の障害者政策にも積極的に発言し、注目された。

小倉昌男氏(読売新聞/AFLO=写真)

流通・小売業界でも新たなビジネスモデルが躍進した。セブン&アイHD前会長の鈴木敏文氏はコンビニエンスストアというビジネスモデルを日本に導入し、低迷する小売業の再生に貢献した。鈴木氏は92年10月に本体のイトーヨーカ堂の社長に就任。セブンを国内店舗数2万店、売上高10兆円強の国内屈指の小売企業に育て上げた。

70年代の日本の流通市場を席巻したスーパーマーケット(GMS)はバブル崩壊とともに低迷。かつて“西のダイエー、東の西友”と言われたが、地価上昇を前提とした店舗展開をしていたダイエーは業績不振に陥る。西友を傘下に抱えるセゾングループは、グループ企業の不動産デベロッパーである西洋環境開発の破綻を契機に借金清算のために次々とグループ企業を売却。98年にファミリーマートが伊藤忠商事グループに、2002年には西友がウォルマートに売却され、セブンの躍進と好対照をなした。

■リノベーターとイノベーター

その後の平成中期以降に活躍した経営者は「負の遺産を解消し、再生と発展に尽力したタイプ」と「従来にない新しい発想でイノベーションを起こしたタイプ」の大きく2つに分かれる。

鈴木敏文氏

前者の1人は、1995年に28年ぶりに豊田家出身以外でトヨタ自動車の社長に就任した奥田碩氏だろう。社内改革を推進し、就任直後にダイハツ工業を連結子会社化。96年には常務以上の役員19人のうち17人を総入れ替えした。ハイブリッド車「プリウス」をトップダウンで販売に踏み切り、低迷していた国内シェアを40%台に回復させるなど経営手腕を発揮。就任前の94年の売上高8兆円を会長職退任の2006年に24兆円にするなどトヨタを世界第1位の自動車メーカーに押し上げた。

また、バブル崩壊後「リストラ」という名の社員のクビ切りが横行。人員削減による収益改善や株主の顔をうかがう経営者が多い中、「雇用を守れない経営者は腹を切れ」と発言し、世間を驚かせた。終身雇用を堅持するトヨタの強さを改めて知らしめるなど、今日のトヨタの礎を築いた。奥田氏はその後、経団連会長に就任。02年3月期にトヨタは国内事業会社初の1兆円の経常利益を出した。

トヨタ流の改革と一線を画したのが日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏だ。経営危機に瀕した日産の再建役として99年にCOOに就任。大規模な工場閉鎖やリストラ、系列企業の見直しで大ナタを振るい「コストカッター」の異名をとった。企業再生のお手本と言われたが、追従する日本企業は少なかった。

そうした企業の中でも見事にV字回復を実現したのがコマツ元会長の坂根正弘氏だ。01年の社長就任後、02年3月期の決算では創業以来初の赤字800億円を計上。強力なリーダーシップで徹底的な構造改革を断行し、翌年の03年3月期に約330億円の営業黒字を出すなどV字回復を達成。リーマン・ショックまで6期連続の増収増益という過去最高の業績を更新した。積極的な海外展開で、欧米だけではなく、中国、東南アジア、インド、アフリカ、中南米にも進出。世界第2位の建設機械メーカーに躍進させた。

国内では1990年代後半にデフレーションが発生。大手百貨店や量販店が低迷していく中で異彩を放った経営者もいた。無印良品ブランドで知られる良品計画は2000年以降業績が急落し、02年2月期には大幅減益に陥った。01年に社長に就任した松井忠三氏は経営体質を含めた構造改革に着手。大胆な業務効率化や従業員の意識改革など生産性向上に向けた様々な取り組みを実施し、05年度には過去最高益を達成した。

■ネット新時代の開拓者たち

孫 正義氏

従来にない新しい発想でイノベーションを起こした経営者も続々と誕生した。1998年頃から発生したインターネットブームを契機に新たなビジネスモデルを立ち上げた経営者の代表格がソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏だ。

94年に株式を店頭公開後、アメリカでインターネットビジネスが動き始めていることに注目し「インターネットこそ情報革命の中心になる」と確信。96年に米ヤフーとソフトバンクの合弁で日本法人ヤフーを設立。2001年にはヤフーと共同でADSL接続サービスのYahoo!BBの提供をスタートし、従来のPCソフト卸、PC出版から通信事業を本格化させた。

そのほかにも99年に米ナスダック・ストック・マーケットとの共同出資で会社を設立。翌00年にナスダック・ジャパン市場をスタートさせ、インターネットベンチャー企業隆盛のきっかけをつくった。04年には日本テレコムを買収、06年にはボーダフォンを買収。日本で3番目の携帯キャリアとなり、以後も本格的なM&Aを繰り返し、グループの収益も拡大。平成元年に売上高300億円だった会社を売上高9兆円、最終利益1兆円のグローバル企業に発展させた。

00年以降、インターネットベンチャーブームが湧き起こり、渋谷に若きベンチャー経営者が集まる「ビットバレー」も形成された。そこで生まれ、今も発展を遂げているのがDeNAやサイバーエージェントなどである。

インターネットを武器にEC(インターネット通販)サイトの“巨人”に成長したのが楽天だ。会長兼社長の三木谷浩史氏が銀行を退職した95年に知人と2人で創業。97年に「楽天市場」を開設し、日本最大級のネットショッピングモールに成長させ、日本におけるプラットフォームビジネスの旗手となった。

00年にはジャスダック市場に上場。楽天トラベル、楽天銀行、楽天カード、楽天証券などを設立したほか、楽天球団(東北楽天ゴールデンイーグルス)も設立。4番目の携帯電話キャリアになるなど今も業容を拡大している。また11年に経団連を脱退、12年にITビジネス企業の経済団体「新経済連盟」を発足させ、重厚長大企業など既存企業と一線を画す活動も展開している。

■ものづくり日本の新しい形を模索

柳井 正氏

カジュアル衣料業界の風雲児としてユニクロを世界的なブランドに育て上げたのがファーストリテイリング会長兼社長の柳井正氏だ。1984年に家業を継いで小郡商事社長に就任し、製造小売業というビジネスモデルをいち早く導入。安くてセンスのあるカジュアルブランドとして独自の商品を開発した。一大転機となったのが98年の原宿出店の成功だ。2000年秋冬には販売したフリースの売り上げ枚数が2600万枚以上という「フリース旋風」を巻き起こした。01年にはイギリス進出を皮切りに世界市場に展開。売上高では海外ユニクロ事業が国内ユニクロ事業を上回るなど成長を遂げている。

ものづくりの分野でもM&Aを使って企業を再生し、大企業の仲間入りを果たしたのが日本電産会長兼CEOの永守重信氏だ。73年に4人で精密小型モータの製造会社として創業。80年代から積極的にM&Aを推進したが、飛躍的に成長したのはバブル崩壊後だ。経営不振に陥った優秀な技術を持つ企業を次々と買収し、子会社化して再生させた。98年には東証1部に上場。モータ事業では世界トップシェアの業績を誇る企業に躍進した。

永守重信氏

日本経済は02年頃から長期の景気回復軌道に入り、“いざなぎ超え”とも呼ばれた。だが、成長率は2%前後にとどまり「実感なき景気回復」とも呼ばれた。その日本経済に激震が走ったのが08年9月のリーマン・ショックだった。小泉純一郎首相の頃からの規制緩和で非正規社員が増大。08年末には解雇された派遣労働者が「年越し派遣村」に集結し話題になった。

企業にも大打撃を与えた。エレクトロニクス業界の名門ソニーも例外ではなかった。その再生役となったのが12年に社長兼CEOに就任した平井一夫氏だ。テレビ事業の赤字など再生は困難を極めたが、事業の分社化や売却、人員削減など構造改革を推進。18年3月期の営業利益が20年ぶりに最高を更新し、名門復活の偉業を成し遂げた。

平成は疾風怒濤の時代だった。波にのまれて消え去った企業もある一方、逆境をバネに独自の経営戦略やイノベーションを武器に時代を牽引した経営者を輩出した。「令和」の時代はそれを引き継ぎ、さらに発展させる経営者が現れることを期待したい。

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溝上憲文(みぞうえ・のりふみ)
ジャーナリスト
1958年生まれ。明治大学政治経済学部卒業。雑誌記者などを経て独立。新聞、雑誌などで経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。日本労働ペンクラブ賞受賞。

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■▼経済・政治・社会から振り返る平成史(1)

■▼経済・政治・社会から振り返る平成史(2)

(ジャーナリスト 溝上 憲文 撮影=本浪隆弘、小倉和徳、若杉憲司、宇佐美雅浩 写真=AFLO、読売新聞/AFLO)

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