「江戸時代は鎖国」という教科書の間違い
プレジデントオンライン / 2019年5月31日 9時15分
■教科書の記述は「その時点の多数派説」
教科書に書いてあることが本当だと思ってはいけない。
学術書では、教科書の記述を取り上げて、その学者を批判することは反則とされる。なぜならば、執筆者自身が自分で書いた教科書の記述を信じていない場合もあるからだ。教科書は、その時点で学界の通説、つまり学界の多数派が信じている説を書かねばならない。
例えば、医学書だ。医学書には、学界の多数説が書かれている。ところが、医療は日進月歩。5年前に書かれた教科書の記述が現場で通じるとは限らない。5年前に余命1カ月だった病気が、完治することもある。では、「その病気が治る」と教科書に書くべきかというと、そうはならない。教科書には、「その時点での知の体系化」という意味合いがある。だから、学界の多数説となる、という手続きが踏まれるのだ。
かくして、現場でその病気を治しているにもかかわらず、その医師が教科書には「この病気は早ければ余命1カ月」などと書くこともある。その医師が教科書を書き換えたければ、自身で臨床データ(つまり証拠)をつけて学術論文として発表し、学界の多数の支持を得てからにしなければならない。
いったん支持を得ると、これをひっくり返すのは難しい。別のデータが出ても同じことが起きる。このような仕組みで、教科書には執筆者自身が信じていない記述も散見される。正確にいうと、教科書とは「かつて学界の多数に信じられていた説の網羅」といえるだろう。
医学のように実験が可能な分野でもこれである。まして歴史教科書には「かつて学界の多数に信じられていた説の網羅」以上の意味はない。かつて「なぜ、こんな意味不明な説が信じられていたのか」という記述など山のようにあるし、「前の方がマシだったのでは?」といいたくなるような劣化した記述もある。
■江戸時代からグローバル化に巻き込まれていた
だが、すべてがそうとも言い切れず、専門の学者の真面目な議論の末に書き換えられた記述もある。その一つが「鎖国」だ。
かつての教科書には、「江戸時代の日本は鎖国していた」と明快に書かれていた。「貿易は長崎の出島のみを通じ、清とオランダだけに制限していた」「江戸時代の日本人は世界の情勢に暗く、それがペリーの来航によって慌てふためいた挙げ句、何とか幕末維新を成し遂げた」という解説が常だった。
しかし、最近ではこうした説には大きな修正が加えられている。長崎を通じて日本の金や銀が大量流出し、それ以前の「資源大国・日本」ではなくなったほどだ。江戸の銀相場が、スウェーデンの市場をも動かすほどだった。経済に関しては、グローバル化に巻き込まれていた部分もあった。逆に江戸後半、8代将軍吉宗の頃からは西洋の文物も流入し、知識人たちは海外事情をかなりの程度、理解していた。
では、こうした状態を「鎖国」と呼ぶのは適切なのか。もちろん、幕府が主導した貿易統制はあったので、近代のように国を完全に開いていたわけではない。そこで最近の教科書では、カギカッコをつけて「鎖国」と表記したり、「いわゆる鎖国」「鎖国と呼ばれる状態」という表現にしていたりする。あるいは2014年度用の山川出版社「新日本史B」のように、鎖国という用語そのものを用いず、「江戸時代は国を閉ざしたのではなく、唯一の開港地長崎に渡来を特許したオランダ・中国商人と貿易し、(中略)東アジアの諸国・諸民族とのあいだに、自国を中心とした通交・貿易体制を築いていた」と記述する例もある。
なお、清・オランダと貿易していた長崎の他に、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)を合わせ、「四つの口」と表記するのが通例だ。大清帝国や西洋の覇権国家であるオランダと、一地域にすぎない琉球、同じく一部族にすぎないアイヌを同等に扱うのには違和感がある。また、清とその属国だった李氏朝鮮を対等に扱うなど、両国が存在した時代にはありえなかった。しかし、現時点での学界の通説である以上、教科書にはそう記さざるを得ない。
ならば、自ら専門家になる暇などない読者はどうするか。自ら良書を探し、教科書の違和感を払拭(ふっしょく)するしかない。
そして、もっと厄介な問題がある。教科書に書いてあることには疑問を抱けるが、書いていないことの重大性に気づくには、よほどの力量が必要だ。
江戸幕府初期、ポルトガルとスペインの両国に「来るな」といえる実力があったので、「鎖国」は可能だった。その後、元禄繚乱以降の平和ボケで国防努力を怠ったので、ペリーが来た時にはマトモな軍事力を持っていなかった。だから「鎖国」が不可能となった。
これとて、ポルトガルとスペインの侵略を防げる実力が当時の日本にあったとは教科書には書いていないので、自分で考えるしかない。しかし、この点に関しては良書が公表されているので自分で勉強することができるし、気の利いた教科書なら「戦国時代の日本は世界最大の鉄砲保有国だった」くらいの事は書いてあるので、想像はつく。
しかし、その軍事力がどこへ消えたのか。いつの間に、どの時点で、とは教えてくれない。
■欧州5大国「七年戦争」の日本史的意味
ただ、日本史の教科書だけ眺めていても知りえないことが、世界史の教科書と並べてみると見えてくることもある。
1853年のペリー来航の時。アメリカは日本よりは強国だったが、しょせんは新興国だった。英露仏墺普のヨーロッパの五大国の誰にもかなわない。そんなアメリカよりも日本は弱体だった。
よくよく日本史の教科書を読むと、隣国のロシアの脅威を感じながら、まともな国防努力をしていない。18世紀後半から19世紀前半の話だ。それどころか1808年には、屈辱的なフェートン号事件が起きている。イギリス船が長崎を荒らしまわり、日本は無抵抗のまま何もできなかったのだ。ナポレオン戦争の最中のことだ。この時、既に「鎖国」など不可能になっていたのは明らかだ。タマタマ、欧州列強が日本にやってこなかったからだとわかる。
では、そうなったのはいつか? 世界史の教科書には書いていないが、資料集には載っていることもある。
1762年 マニラ陥落。
欧州五大国が戦っていた七年戦争において、イギリス(イングランド)がスペインの植民地のマニラを攻略したのだ。
この時点で、日本の「鎖国」は不可能となっていたと考えるべきだろう。既に戦国から150年が去り、天下泰平を謳歌して武器を捨て去っていた日本が、世界中に飛び出て常に自分より強い国と戦っていたイングランドに勝てるだろうか。ペリーが来たのが、約100年後。白人列強が日本にやってこなかったのは、タマタマにすぎない。
七年戦争が日本の歴史にとって重要だと説く教科書はおろか、論者も知らない。しかし、私は極めて重要な事件だと考えている。
いかが?
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憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『明治天皇の世界史 六人の皇帝たちの十九世紀』(PHP新書)、『日本史上最高の英雄 大久保利通』(徳間書店)、『国民が知らない 上皇の日本史』(祥伝社新書)、『嘘だらけの日独近現代史』(扶桑社新書)など、著書多数。
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(憲政史家 倉山 満 写真=PIXTA)
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