ヘラヘラと愛想笑いを続ける人生は惨めだ
プレジデントオンライン / 2019年5月30日 15時15分
■『美味しんぼ』の名エピソードで語られたこと
漫画『美味しんぼ』屈指の「いい話」として知られるのが、コミックス11巻に収録された「トンカツ慕情」という回である。
1950年代、額に汗して肉体労働をする若い男性が、日雇いの給料をもらうところから物語は始まる。寒くなってきたからオーバーを買いたいが、現在の経済状況だと新品は無理だな……若者はそんなことを考えつつ、日当を持って渋谷の街を歩いていた。そして不運にもチンピラ3人組に絡まれ、狭い路地に連れ込まれてボコボコにされたあげく、カネを奪われてしまう。
そこにやってきたのが、髭をたくわえた紳士だ。その紳士は警官を呼んでチンピラを退散させ、乱暴されていた若者に肩を貸す。そして、自身が経営する「恋文横丁(東京・渋谷にある飲み屋街)」のトンカツ屋に連れていく。
若者の目の前にトンカツ定食を置く店主。若者は「ぼ、僕 金ありません。さっき奴らに取られちゃったから!!」と遠慮する。しかし、店主は「いいからおあがりよ、私のおごりだ」と男気を見せる。若者はこのトンカツを実においしそうに食べるのだが、店主は「なあに人間そんなにえらくなるこたあねえ、ちょうどいいってものがあらあ」と前置きしたうえで、こう続ける。
「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」
■「ちょうどいいくらい」の基準をどこに置くか
なぜこれが「いい話」なのかは、実際に作品を読んでいただきたいのだが、仕事をしていて日々感じるのが、この「ちょうどいいくらいってとこ」をどこに置くかの重要性である。
実は先日、「あぁ、自分は『ちょうどいいくらい』の状態になれてよかった……」とつくづく感じ入った出来事があった。
その仕事は広告絡みの案件で、とある一般家庭を取材するものだった。現場には広告主、広告代理店、制作会社、カメラマン、そしてライターの私がいた。総勢6人である。広告主が表現したい内容を、一般のご家族から聞き出し、それをコンテンツ化する仕事だ。
■「愛想笑い」はなぜ起こるのか
ここで、現場における力関係を考えてみたい。時間を割いて取材にご協力いただく(もちろん、謝礼もお支払いしている)ご家族がもっとも尊重されるのは当然として、以下、制作サイドのエラさの序列は次のようになるだろう。
広告主>広告代理店>制作会社>カメラマン>ライター(中川)
カメラマンとライターの差については、「なんとなく、そういうことになっている」としか言いようがない。カメラマンは“ザ・プロフェッショナル”ともいうべき技能職である一方、ライターは「何でも屋」「小間使い」的な立ち回りをすることが多い。これは雑誌の仕事でも同様である。
こうした仕事は過去に何度も手がけてきたわけだが、現場に「主役」「接待すべき相手」「すごくエラい相手」「尊重すべき相手」がいる際に発生するのが「愛想笑い」である。
■乱発される愛想笑いを見て、気づいたこと
愛想笑いというものは「エラさの序列」が存在する場面で発生する。社内の打ち合わせでも、かなり職位が高い人がその場にいたりしたら、発生する。テレビでも、大御所芸能人の冠番組などで取り巻き風の連中が大御所に愛想笑いをしている姿を見つけることができるだろう。
そして先述の取材においても当然のように愛想笑いが乱発されていたのだが、そこでふと気づいたのは「あぁっ、オレは愛想笑いをしないでも良心の呵責がない程度の労働者になりたかったのだ!」ということである。
今回の現場には6段階の階層があり、私は立場的には最下層に位置していた。それでも、愛想笑いは一切しなかった。対して、他の人々はかなりの頻度で愛想笑いを浮かべながら「ハハハハ!」と声をあげ、全員が一斉に笑ったりしたら「ドッ!」と沸くこともあった。ちなみにカメラマンは、それほど笑ってはいなかった。何しろ彼は撮影に専念しなくてはならない。
取材相手はとても饒舌な人で、とにかくいろいろなことをしゃべってくれた。時には本当に面白いことも言ってくれるので、その場合は私も素直に笑っていたが、ちょっとした自虐ネタやら箸休め的なジョークについても皆がいちいち愛想笑いを浮かべていたので、正直、その空間に身を置いているのがキツくて仕方なかった。本当に面白いわけではないのに「笑わなくてはいけない」と考える仲間がいると、どこかに取って付けた感が醸し出されて、居たたまれなくなったのだ。
そんなこともあって、私はメモを取るなど自分がやるべきライターとしての仕事を黙々とこなしつつ、カメラマンが仕事を進めやすいようにレフ版を持ったりと、現場をスムーズに回すことを心掛けた。
■「愛想笑いを浮かべなくても仕事ができる程度」になる
私はこうして文章を書く仕事を生業にしていることもあり、日常的に「原稿のネタになりそうなことはないかな」と探すことがクセになっている。それは仕事中もしかりで、すべての仕事において、何かしらネタを獲得したいと考えながら業務にあたっている。今回の取材でいえば、もっとも低い立場から現場全体を俯瞰してみた結果、見えてきたのが「愛想笑いを浮かべなくても仕事ができる程度」でいることの重要性だった。
「滅私奉公」という言葉もあるように、仕事をするにあたっては、クリエイターや俳優など一部の職業を除き、自己主張をしたり、本音をそのまま表現したりするような所業は控えるほうがよい、といった風潮がある。また、いわゆる“エラい人”は立てなければならない、とも教えられてきた。
今回話題にしている取材現場についていえば、取材陣が何度も愛想笑いをしたことで、取材を引き受けてくれたご家族はより気持ちよくしゃべることができたのかもしれない。だから「必要な愛想笑いだった」と主張されたとしても、それを否定する気はさらさらない。
■愛想笑いの多くは「空気の読み過ぎ」で起きている
しかしながら、自分がその場の空気に押される形で愛想笑いをするかどうかは、また別の話だ。私はその現場で、男の沽券(こけん)というか、無駄なプライドとして、「愛想笑いは絶対にしねーぞ」と途中から決めた。本当に面白かったら笑う。そうでなかったら無表情でいる。それでよしとした。
愛想笑いをする人はとかく「無理にでも笑わないと雰囲気が悪くなるのでは」と、周囲の空気を読み過ぎているものだ。別にそこまで笑わずとも仕事はキチンと進むだろうに、とにかく「愛想笑いも仕事の一部」と考えている節がある。
なぜこうなってしまうのか。「世間的に、そういう空気になっているから」ということが大きいのだろうが、私自身は広告代理店のサラリーマン時代に同僚の営業担当から愛想笑いを強要されたことが、いまでもある種の違和感として心に残っているのだ。
■会社員時代、先輩から愛想笑いを求められる
当時、私はPRプランナーとして、営業の人間とともにクライアントとの打ち合わせや記者会見の現場などに出向くことが多かった。営業担当はクライアントと日々接点があるものの、プランナーは特別な打ち合わせや本番当日にしかクライアントとは会わない。
イベントの現場では、クライアントと営業の人間、私の部署の先輩なども含めて、雑談に興じることがよくあった。というのも、イベント自体はイベント会社のディレクターやアルバイトスタッフが精力的に動いて現場を回してくれるので、クライアントや広告代理店の人間はそれほど忙しくないからだ。ときおり、現場スタッフから何かを確認されたり、判断を求められたりしたときに対応する程度で、どちらかといえば手持ち無沙汰になる時間のほうが長い。それゆえ、バックヤードなどで雑談に興じることになるのだが、あるとき、営業担当の先輩社員から「ちょっと……」と外に連れ出された。
「なんでお前はクライアントがいる前なのに笑わないの?」
「いや、別に誰かが面白いことを言っているわけでもないので、笑ってないだけです」
「あのさ、そういうことじゃないの。笑うべき場面ってもんがあるから、そこは空気を読んで、笑うべきときはちゃんと笑ってくれ。オレだってクライアントとの関係をよくするために頑張っているのだから、協力してくれよ」
「わかりました」
■自分の本心と向き合い、愛想笑いを捨てる
かくして私も、以降は愛想笑いをするようになったのだが、これは会社どうしの関係性をよくしたいという思い以上に、自分の身を守るための処世術だったのかもしれない。「笑うべきときは、笑え」と指摘してくれた営業担当もバカではないから、愛想笑いをすることが最適解だと考えていたのだろう。案件にアサインされたプランナーとしては、アカウントを握る営業担当の意向に従わざるを得ない。
あれから約20年。私はライター・編集者・PRプランナーとしては相当なオッサンになった。今年で46歳になる。もはや、自身の本心を押し殺してまで愛想笑いなんぞしたくない年齢である。若者であれば、身を守るために愛想笑いという“鎧”が必要かもしれない。だが、フリーランスの立場で46歳にもなってもまだそんな鎧が必要なのであれば、そんな人生は惨めなだけだ。実際、前述の取材では、私がそこにいた人間のなかでもっとも年上だった。
いや、実際のところ、年齢すら関係ないだろう。重要なのは「みなが愛想笑いをするなか、自分だけは本心を貫き通せるか?」という葛藤に対して「YES」か「NO」のどちらを答えるか、ということなのだ。余計なプライドかもしれないが、自分の本心と向き合い、「愛想笑いはしない」と決断できることが肝要なのである。そうした姿勢を持つことで初めて、自我を確立することができるようになる。
■喜怒哀楽を素直に表現すべし
他人の目など気にしない。自分が正しいと思ったことをやる。一方で、もしもその「正しいと思ったこと」が間違っていたのであれば、それは修正しなくてはいけない。ただ「愛想笑いをしない」は間違いなく正しいと思っている。
今回、愛想笑いをする場面・人があまりにも多過ぎると感じたため、こうして原稿にまとめてみたのだが、改めて振り返ってみると、これまでも仕事のあらゆる場面で愛想笑いは存在していた。私も20代のころ、同僚の営業担当者から強要された。若手ライターだった時代もしていた。しかし、40歳を過ぎてからはまったくしていない。
それで疎まれるのであれば、どうぞ疎んでくれ、としか言えない。面白くもないのに笑うことを強要され、それを苦痛に感じるような人生は送りたくない。笑いというものは、本当に面白いと感じたときにしか発してはいけないのである。
「喜怒哀楽」という4つの感情を表す言葉がある。このなかで「怒」と「哀」はネガティブな感情であり、突発的に生じることも多いため、素直な感情が表れがちである。だが「喜」と「楽」は比較的コントロールが可能なため、本心を押し殺してでも表現することが求められがちだ。だからストレスになる。
余計なストレスから解放されたいのであれば、「喜怒哀楽」に正直に生きようではないか。
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・愛想笑いの多くは、空気の読み過ぎで起きている。
・愛想笑いを止めること──自分の感情に素直に生きる、という選択をすることで、多くのストレスから解放される。
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1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。
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(ネットニュース編集者/PRプランナー 中川 淳一郎 写真=iStock.com)
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