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NewsPicksは経済情報のグーグル目指す

プレジデントオンライン / 2019年6月10日 9時15分

UZABASE共同経営者 梅田優祐氏

人気のソーシャル経済メディア「NewsPicks(ニューズピックス)」。無料会員は400万人を超え、有料会員は9.8万人を突破。運営会社ユーザベースは、法人向けの企業分析ツール「SPEEDA」も提供し、“経済情報界のグーグル”を目指すという。梅田優祐社長に、田原総一朗氏が切り込む――。

■コンサル、外資証券の意外と非効率な働き方

【田原】梅田さんは米国のミシガン州でお生まれだそうですね。お父さんは米国で何を?

【梅田】父はデンソーの社員で、1980年くらいに米国にオフィスをオープンするときのメンバーでした。私は向こうで生まれて、1歳で帰国。5歳からまたデトロイトで生活していました。

【田原】英語は不自由しなかった?

【梅田】家では日本語でしたが、幼稚園や小学校は英語でした。日本人が少ない地域で、学校にいたアジア人は自分だけ。当時は寝言も英語だったそうです。

【田原】9歳のときに日本に戻られる。

【梅田】小学校3年生のときに愛知県岡崎市に帰ってきました。小学校に入ってまず感じたのは、日本はかっこいいなということでした。米国って学校におもちゃを持っていってもいいくらいに自由なんです。一方で、日本はみんな同じランドセルに同じジャージー。揃っているのが、なんかクールに見えて。

【田原】窮屈に感じなかったの?

【梅田】逆に日本のほうが自由なところもあるんです。米国は非常に大きいから、友達の家に遊びに行くにも親に送り迎えを頼まなくてはいけません。しかし、日本だと歩いて行ける距離に友達がいて、親に頼まなくてもふらっと遊びに行ける。帰国後半年で英語を忘れてしまうくらいに、すっかり日本に順応して楽しんでいました。

【田原】中学や高校ではどんな生活をしていたのですか。部活とか?

【梅田】小学校のころに野球を始めましたが、高校に入ってやめました。野球部は甲子園に行くほど強くないのに、練習は厳しく、土日や朝も部活があった。遊びたい気持ちが爆発して野球部はやめ、アルバイトをしたり、学校帰りにコンビニでたむろする毎日でした。

【田原】大学は横浜国立大学に入られて、アジア中心の一人旅をされたと聞きました。

【梅田】2年生のころから、アルバイトをしてお金を貯めては東南アジアを回っていました。最初に入る国だけ決めて、あとは行き当たりばったり。特に気に入ったのはフィリピンで、ビザが切れて帰国したらまたすぐフィリピンに戻ったりしていました。

【田原】旅ではどんな発見が?

■「資料集め」はコンサルの特殊な仕事だと思っていた

【梅田】自分自身がよくわかりました。自分は予定も何もない自由な状態がもっともクリエイティブになれるし、エネルギーも出せる。自由は、自分の今後の人生の中で重要なキーワードになると気づいて、帰国後は自由をテーマに就活しました。

梅田優祐●1981年、米国ミシガン州生まれ。横浜国立大学卒業後、コーポレイトディレクションに入社。その後、UBS証券を経て、08年に稲垣裕介氏らとともにユーザベースを設立。13年には「NewsPicks」のサービスを開始し、16年に東証マザーズに上場。

【田原】自由がテーマって、具体的にどんな就活をしたのですか?

【梅田】自由とは、自分で意思決定できるということ。働き方でいえば、組織に属さなくてもよかったり、仕事を自分で選べることが自由だと考えました。そのためにはプロフェッショナルになるのがいい。といっても私には弁護士や公認会計士になれる才能はありません。コンサルタントなら可能性があると思って、戦略コンサルティングファームのコーポレイトディレクション(CDI)に入社しました。

【田原】その会社ではどんなことを?

【梅田】資料集めです。最初にやったのは、国会図書館で化粧品業界に関する資料を集めてコピーし、それを段ボールに詰めて会社に持ち帰ってエクセルに打ち込む仕事。当時は有価証券報告書もPDFしかなくて、企業の決算書を分析するにも、まず資料を手で打ち込むところから始めなくてはいけませんでした。私は下っ端なので、ひたすらデータ収集と入力作業です。

【田原】それは大変そうだ。

【梅田】はい。私は細かい作業が苦手で、よく打ち間違えるんです。それで何度も最初からやり直ししていました……。

【田原】その後、外資系のUBS証券にお移りになる。なぜ転職を?

【梅田】CDIはやりがいがある会社でした。でも、プロフェッショナルになるには、自分に「グローバル」と「金融」の2つが欠けているという思いがありまして。でも、グローバルのほうはあまり伸びなかったですね。履歴書で帰国子女と書いたので英語のテストを受けることなく入社できたのですが、ほぼできなくなっていたので入ってからバレてしまい、英語の仕事はほとんど振ってもらえませんでした(笑)。

【田原】金融のほうは?

【梅田】UBSは企業が株式で資金調達するときのアドバイスをしていたので、知識は身についたと思います。ただ、やっていることは前と同じで、業界や企業のデータ集め。毎日夜中まで働いて、土日も出勤。ほとんどパンク寸前でした。

【田原】その苦労が起業につながったそうですね。どういうことですか?

【梅田】CDIのときは、資料集めはコンサル業界の特殊な仕事だと思っていました。しかし、UBSも同じで、非合理的、前近代的な労働集約型の仕事が根強く残っていた。まず、この世界を変えたいというのが出発点です。

【田原】具体的にどう変えようと?

■ユーザー側に立ったサービスをしたい

【梅田】私が大学生のときにグーグルが誕生して、使って本当に感動したんですよね。検索ボックスだけがあって、単語を入れるだけで世界中の情報にアクセスできるのはすごいなと。一方、社会人になってから使っていたシステムは、マニュアルを読んだり研修を受けないと使いこなせなかった。BtoBの世界もBtoCのように、ユーザーに寄り添って簡単に情報収集できる仕組みがあっていい。そう考えてサービスの開発を始めました。社名の「ユーザベース」も、まさにユーザー側に立ったサービスをしたいという思いで名づけています。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【田原】でも、梅田さんはエンジニアじゃない。開発はどうしたの?

【梅田】ユーザベースの共同創業者で、高校の同級生だった稲垣裕介に相談しました。稲垣はイ、私はウで、高校のときにたまたま席が隣同士に。お互い友達がいなくて、なんとなく仲良くなり、それ以来の仲です。

【田原】稲垣さんは理系だったの?

【梅田】埼玉大学の工学部でした。卒業後はアビームコンサルティングに入社して、金融会社のデータベースをつくっていました。

【田原】システムはすぐ開発できた?

【梅田】当初、UBSの社内システムとして開発を考えていました。しかし、いろいろ調べていくと、UBSの社内だけにとどまらず、同じ問題を抱えている人たちがいると気付いたんです。そこで、多くの人が困っているなら起業してもっと広く提供しようと方針転換。稲垣も「俺1人でできそう」と言ってくれました。ところが、結果的には起業してもできあがらなかったんですが(笑)。

【田原】完成しないと大変じゃない。

【梅田】最終的に東京工業大学の学生だった竹内秀行という天才エンジニアをもう1人連れてきて開発しました。会社の立ち上げが2008年4月で、翌年5月に「SPEEDA(スピーダ)」をリリース。それまで約1年、何の収入もなくて大変でした。

【田原】08年はリーマンショックだ。起業のタイミングとしては最悪だったんじゃない?

【梅田】そうですね。VC(ベンチャーキャピタル)も投資を控えていたし、お客様候補の金融業界の人たちも、新しいサービスを導入する余裕がなくて、話を聞いてもらえませんでした。とにかくキャッシュを生まないと会社を続けられないので、SPEEDAのリリースも、じつは見切り発車。機能的に自分の理想には程遠かったのですが、背に腹は代えられず……。

【田原】最初は誰が買ってくれたの?

■買ってくれないと我々は死んでしまう

【梅田】最初は食品会社でした。もう1人の共同創業者である新野良介のおじさんが社長をしている会社で、「買ってくれないと我々は死んでしまう」と頼み込みました。最初の半年くらいは、この会社のように同情して契約してくれたところばかりでしたね。

【田原】よく諦めなかったね。

【梅田】社外取締役に「このままだと泥沼にはまる」と忠告を受けたこともあります。それは正論で、実際にほかのサービスで撤退したものもある。ただ、SPEEDAに関しては「金融機関にいた当時の自分は、このサービスを泣いて欲しがるはずだ」という確信がありました。私が尊敬するソニーの盛田昭夫さんは、「いいアイデアが浮かぶ人はごまんといるが、それを実行できる人はごくわずか」と言いました。私もそう思っていて、SPEEDAは誰に何と言われてもやり切ろうと思っていました。

【田原】SPEEDAを軌道に乗せ、次は「NewsPicks(ニューズピックス)」ですね。

【梅田】我々は、経済情報界のグーグルになろうという思いで創業しました。SPEEDAで法人の金融機関向けのサービスはできたので、次はBtoCで経済ニュースのプラットフォームをつくろうと考え、13年に立ち上げました。

【田原】初めからアクセスは多かったのですか?

【梅田】いえ、ぜんぜん。我々のモデルはニュースに専門家がコメントするところに価値がありますが、堀江貴文さんや竹中平蔵さんなど、著名な方々からコメントをいただけるようになって徐々に広がっていきました。

【田原】13年は、堀江が出所した年だ。僕は彼と縁が深くて、逮捕前日まで一緒に本をつくっていたし、出所当日も電話をくれた。出所したばかりだから、NewsPicksも知らなかったんじゃないですか?

【梅田】メールやメッセンジャーで何度か連絡してみましたが、最初はなしのつぶて。4回目になぜか突然、「いまなら空いてるからおいで」と。そこでサービスの説明をしたら、興味を抱いてもらえました。

【田原】いま会員数はどれくらい?

【梅田】有料会員が約9.8万人、無料会員が400万人ほどです。

【田原】有料会員をつくったのがすごい。ネットのメディアはだいたい無料で、広告モデルが多い。

【梅田】次の世代を代表するメディアになるために、永続的なビジネスモデルにしたかったんです。参考にしたのが新聞のモデル。新聞社が100年以上続いているのは、有料で毎朝お客様に届ける仕組みと、広告をうまく組み合わせているから。じつは月々1500円という価格設定も新聞を参考にしています。新聞は月額約5000円ですが、印刷、配達、コンテンツが3分の1ずつなら、ネットの我々は3分の1でできるなと。

【田原】いま有料と広告のバランスはどれくらいですか?

■20年以降は有料会員が主力になりそう

【梅田】だいたい1対1。ただ、有料会員の伸び率が高いので、20年以降は有料会員が主力になりそうです。

【田原】いまテレビが困っていますね。有料じゃなく広告モデルだから、広告料が下がるとダメージが大きい。

【梅田】新しく出てきたネットフリックスは有料課金ベースで、すでに米国最大の動画インフラになっています。その流れを考えると、今後は日本も有料課金モデルに移行していくんじゃないでしょうか。

【田原】米国といえば、NewsPicksも進出しています。

【梅田】18年に「Quartz(クオーツ)」という米国のメディアを買収して、米国市場向けには18年11月よりNewsPicksのモデルをリニューアルする形で、新サービスとして提供を始めました。Quartzは、最近有料会員を始めたばかり。米国で有料課金モデルを成功させた新興メディアはまだ一社もないので、最初の例になるという意気込みでやっています。

【田原】最後に1つ。NewsPicksにはコメント欄がある。いろんな人が自由に書き込めるけど、一方でいまネットのフェイクニュースが問題になっている。その点はどう考えてる?

【梅田】コメント欄は、自由と管理の中間に軸足を置いています。たとえば公式コメンテーターである「プロピッカー制度」も、より専門的で多様性溢れるコメントが集まることで、コメント欄ないしはコミュニティの健全性を保とうとスタートしています。自由と管理のバランスは悩みどころですが、今後も安心してコメントしてもらう場を目指して、社名が表す「ユーザーの理想から始める」ことに忠実にやっていこうと思います。

梅田さんへのメッセージ:世界中のオールドメディアの常識を覆せ!

(ジャーナリスト 田原 総一朗、UZABASE共同経営者 梅田 優祐 構成=村上 敬 撮影=枦木 功)

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