意に染まぬ突然の異動、どう対処すべきか
プレジデントオンライン / 2019年6月3日 6時15分
■役員の打診に思わず「私がですか!?」
消費者相談を10年余り担当したのち商品開発部へ異動し、手がけた食器用洗剤「キュキュット」が大ヒット。これを受けて再び消費者の声をくみとる部署へ戻り、現在は社会全体へ企業メッセージを届けるコーポレートコミュニケーション部門を統括する。広報から企業文化の発信まで幅広く担う、花王2人目の女性執行役員だ。
「ある日社長に呼ばれて、何だろうと思いながら行ったら役員にというお話だったんです。本来ならまず感謝を伝えるべきところを、思わず『私がですか?!』と言っちゃいました(笑)。最初は驚きと不安でいっぱいでしたが、選んでもらえたうれしさが徐々に湧いてきて、役員としての責任を担う覚悟も固まりました」
就任後は企業イメージ醸成プロジェクトを任され、国内外のメンバーとともに「花王らしさって何だろう」と議論を重ねた。その結果、生まれたのが「きれいを、こころに。未来に。」というキーメッセージだ。生活をキレイにするモノづくりを通して皆の心を豊かにし、よりキレイな社会や未来をつくっていく企業──。石渡さんが中心となってまとめあげたこのメッセージは、花王の企業イメージ醸成やESG活動のベースになり、世界中に向けて発信されていく。
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■30代後半、商品開発部でゼロからの出発
石渡さんのキャリアをたどってみると、まさに「花王らしさ」を体現する一人のように思える。入社後に配属されたのは生活科学研究所で、担当は花王が創業時から力を入れてきた消費者相談。問い合わせやクレームに応対する部署、つまり消費者に一番近い現場でコミュニケーション力や商品知識を磨いた。
「当社のビジョンは、消費者・顧客を最もよく知る企業であり続けること。振り返ると、私が携わってきた仕事はほとんどが消費者を知るためのものでした。花王ではこのビジョンがずっと受け継がれてきていて、企業文化にもなっています。外資系から転職したのも、その姿勢や風土に魅力を感じたから。私の肌に合う会社、という思いは今も変わりません」
石渡さんの仕事は消費者相談にとどまらず、やがて行政との意見交換やオピニオンリーダーとの交流にまで広がっていく。しかし、経験値も仕事のレベルも上がってちょうど波に乗ってきた頃、突然商品開発部へ異動になる。これまでとはまったく違う職種で、36歳にしてほぼゼロからの出発。最初は右も左もわからず、不安だけが募ったという。
■「キュキュット」ヒットの陰に苦労あり
商品開発部では衣料用洗剤と食器用洗剤を担当し、一つの商品が世に出るまでの苦労を体感した。生活者目線でのアイデア出しには消費者相談の経験が役に立ったが、工程管理やパッケージデザイン、品質管理などは未経験。社内の意見調整も大変で、あちこちの部署を駆け回る日々が続いた。
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経験を積むうちに、商品開発の楽しさや発売後の達成感を知り、仕事はどんどん楽しくなっていく。40歳のときにはマネジャーに昇格し、のちに大ヒットする食器用洗剤「キュキュット」の開発に取り組み始めた。ただ、商品は完成したものの、ネーミングの段階で難航。当時一緒に仕事をしていたユニークなマーケターが、キレイになった食器を指でこすったときの音から「キュキュット」を提案したが、擬音を使った商品名は花王初だったため、経営幹部からも反対の声が上がった。
彼とともに一生懸命説得を続けた。「感性だけでモノを言っても納得してもらえないから」と綿密な市場調査を行い、結果をしっかり解析。裏づけとなるデータを提示し続け、ようやく説得に成功した。そして発売後、「キュキュット」は食器用洗剤市場でシェア首位を獲得。
「おかげさまでロングセラーになって、反対していた幹部も『名前がよかったね』と言ってくれました(笑)。ときどきスーパーでキュキュットをカゴに入れている人を見かけますが、そんなときは本当にうれしい。これこそ商品開発の醍醐味です」
意見調整は大変だったが、このときできた社内ネットワークは今も財産になっているという。加えて、キュキュットのヒットは「働くママ」としての自信にもなった。生活者視点でのモノづくりには、働きながら2子を育ててきた自分の経験が役に立つ。しかし、そう思えるようになるまでには、いくつもの壁にぶつかってきた。
■退職を思いとどまらせた先輩の言葉
石渡さんが出産した当時、花王にはまだ育休制度がなかった。そのため、第1子のときは早産だった影響で休暇終了後も出社できずに欠勤。育休制度ができたのは第2子出産後、復職してからだった。その後も、子どもがはしかとおたふく風邪に連続でかかり、出社できない日が続いたことがあった。
これ以上休んで職場に迷惑をかけられない、でも病気で泣いている子どもを置いていけない──。仕事か子どもかという二択は、誰にとってもつらいもの。石渡さんも、このとき初めて退職を考えたという。
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「先輩に相談したら、笑いながら『石渡さんが1週間ぐらい出社できない時期があっても、10年後には誰も覚えていないよ』と言ってくれたんです。そうか、長い目で見たら大変な時期なんてほんの少しなんだ、とストンと腑に落ちました。私は一日一日をこなすのに必死だったけれど、そうした視点を持てば気が楽になるんだな、と教わりました」
退職を思いとどまり、周囲の応援もあって仕事への意欲は徐々に回復。働くママとして苦労した経験は、のちにすべて商品開発の原動力になった。今は初孫も誕生し、公私ともに充実した日々だという。
■大好きな部署からの異動にとまどい
ヒット商品の陰には、失敗に終わった商品もあった。あるとき、同じ部署で扱っていた他のブランドが、予算と売り上げが見合わず廃止に。石渡さんはブランドの店じまいを担当し、「立ち上げた人たちの思いや苦労を消さなきゃいけないなんて、とても悲しかった」と振り返る。だからこそ、次に担当したキュキュットには、今度こそという強い思いで取り組んだ。
45歳になったとき、またしても突然の辞令が。異動先は花王の原点とも言える生活者研究センターで、消費者の生活現場を調査・観察し、リアルな思いや苦労を読みとって開発部門に伝える仕事だった。
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「生活現場に出かけていって消費者と直接お話をする、消費者相談からさらに一歩踏み込んだ仕事でした。これが本当に楽しくて、やっぱり私は生活者に近い“現場”が大好きなんだなと。管理職として組織運営に悩んだこともありましたが、もう定年までこの部署にいたいと思っていました」
しかし、キャリアのゴールはそこではなかった。部門長に昇格して4年後、今度は花王の企業イメージを発信するコーポレートコミュニケーション部門に異動になる。大好きだった部署を離れて、またもやゼロからの出発に「正直とまどいを隠せなかった」という石渡さん。一時はモチベーションも下がったそうだが、どうやって持ち直したのだろうか。
■仲間とメンターに支えられて再び前進
「先輩が『あなたのコミュニケーション力が評価されたんだよ』と言ってくれたんです。言われてみれば確かに、私はずっとコミュニケーションを大事にして働いてきました。これが自分の強みなんだと気づけたのは先輩のおかげ。そこが評価されたのならがんばろう、と自分を納得させることができました」
石渡さんは、意欲を取り戻すには仲間やメンターが不可欠だという。執行役員になった今も、仕事と私生活それぞれの相談相手として2人のメンターを持っている。どちらも、ときには指針として、ときには知恵袋として、物事の本質をズバッと指摘してくれるそうだ。
長い間、自分の仕事に愛情を持って働き続けてきた石渡さん。役員になってからは「好きという気持ちだけではダメ。企業全体を俯瞰する視点も持たなくては」と、偉大な経営者たちの事例を研究し始めた。キャリアのゴールはまだ先。会社と社会の未来をつくっていく仕事に、全力で取り組んでいく。
役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
やってみよう/ありがとう/なんとかなる/ありのままに
「『幸せのメカニズム』(前野隆司著)に書かれている幸福の4つの因子。大好きな言葉です」
Q 趣味
ショパンのピアノコンサートやCDを聴くこと
Q 愛読書
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『小林陽太郎「性善説」の経営者』樺島弘文
『ピアノの森』一色まこと
Q Favorite Item
名刺入れ
「退職を思いとどまらせてくれた先輩から、執行役員になったお祝いとしていただいたものです」
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花王 執行役員 コーポレートコミュニケーション部門統括
北海道大学薬学部卒業。1983年外資系製薬会社に入社。85年花王へ転職。花王生活科学研究所にて消費者相談や消費者交流を、商品開発部にて衣料用洗剤や食器用洗剤を担当。その後、生活者研究センター長、コーポレートコミュニケーション部門部長を経て2015年より現職。花王芸術・科学財団常務理事。
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(花王 執行役員 コーポレートコミュニケーション部門統括 石渡 明美 文=辻村洋子 写真=小林久井)
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