トヨタ社長の"終身雇用発言"で透けた本音
プレジデントオンライン / 2019年6月3日 9時15分
■話題沸騰「終身雇用見直し・廃止論」の発端
日本の伝統的な雇用慣行である「終身雇用」の見直しや廃止の議論が大きな話題になっている。議論の流れを見ていると、さも日本企業全体が終身雇用の廃止に向けて動き出しているような論調だが、額面通りに受け取ってはいけない。
きっかけは、経団連の中西宏明会長とトヨタ自動車の豊田章男社長の発言だ。メディアが経済界のキーマン2人の発言を紹介することで、終始雇用見直し・廃止が既定路線というようなムードが漂っているが、2人の発言内容は似て非なるものだ。前者は、見直し・廃止に積極的だが、後者は異なる。
見直し・廃止の議論の発端は、2018年の経団連の「就活ルール」の廃止だ。その延長で「新卒一括採用」の見直しが言われるようになり、そして今回「終身雇用の廃止」が飛び出した。
言うまでもなく、発信元は中西宏明経団連会長だ。でも、なぜ新卒一括採用の見直しが終身雇用の廃止につながるのか。
■日本の新卒一括採用と終身雇用の仕組み
新卒一括採用方式とは、職業経験のない新卒学生を対象に採用日程・入社時期を統一し、大量に採用する日本独自の習慣だ。そして入社後はスキルのない新人に研修や職場指導などの教育を施して一人前に育成していく。入社後5~10年を教育期間と位置づける企業が多いが、当然その期間は多少の能力差はあっても、給与は年功的にならざるをえない。
そして本格的な実力発揮が求められるのは30歳以降となる。業務の経験・知見を武器に成果を出し、会社に対する貢献度が高い社員は給与が上がり、昇進していく。いわゆる出世競争が始まり、40代まで続く。途中で脱落しても敗者復活の道も残され、最後は定年を迎える。これが終身雇用、正確には「長期雇用」の中身である。
学生にとっては一括採用によって路頭に迷うことなく就職できるというメリットがあり、企業にとっては中途より人件費が安く、“真っ白”な人材を一から教えることで社業に邁進してもらうことが期待された。
■経団連中西会長は終身雇用をやめようとしているのか
では、中西会長はなぜこの仕組みをやめようとしているのか。
一連の発言を追っていくと、その真意が見えてくる。中西会長は就活ルール廃止に際して新聞報道で「終身雇用制や一括採用を中心とした教育訓練などは、企業の採用と人材育成の方針からみて成り立たなくなってきた」と発言している。
また、今年4月22日、経団連の肝いりで開催された「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」の中間とりまとめに関して記者会見でこう発言している。
「新卒一括採用で入社した大量の社員は各社一斉にトレーニングするというのは、今の時代に合わない。この点でも考え方が一致した」(経団連記者会見発言要旨、4月22日)
中西会長は、ノースキルの学生を企業が一から育てるのでは間に合わない。企業が求めるスキルと能力を持つ人材を必要に応じてその都度採用することが理にかなっていると言っているのだ。
そうなると新卒一括採用・長期的育成と一対になっている終身雇用はどうなるのか。中西会長は5月7日の経団連の定例記者会見でこう述べている(経団連発表)。
「終身雇用を前提に企業運営、事業活動を考えることには限界がきている。外部環境の変化に伴い、就職した時点と同じ事業がずっと継続するとは考えにくい。働き手がこれまで従事していた仕事がなくなるという現実に直面している。そこで、経営層も従業員も、職種転換に取り組み、社内外での活躍の場を模索して就労の継続に努めている。利益が上がらない事業で無理に雇用維持することは、従業員にとっても不幸であり、早く踏ん切りをつけて、今とは違うビジネスに挑戦することが重要である」
要するに「事業の盛衰が激しい時代に、これ以上雇用を守りきれない」と言っているのだ。一経営者の発言ならまだしも、経済界を代表する経団連の会長がここまで言い切ることの影響は大きいだろう。
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■大手企業の定年前の希望退職募集件数はすでに昨年一年分を上回る
これまで、日本企業は事業構造を揺り動かす転換期に何度も遭遇してきた。
オイルショック、バブル崩壊、平成不況、リーマンショック時に「希望退職」という名のリストラが繰り返され、「終身雇用」企業から離脱していった企業も多い。特にパナソニック、東芝、NECといった電機大手は軒並み大胆なリストラに走った。
実は中西会長の出身母体の日立製作所も例外ではない。09年3月期に過去最大の赤字を計上したが、グループ企業のリストラをはじめ本体でも転籍含みの退職勧奨や希望退職を実施してきた。中西会長の一連の発言は、そうしたリストラ実施企業を代弁するかのように自らのリストラを正当化する発言のように聞こえる。
すでに今年(2019年)5月13日までに定年前の希望退職募集を公表した上場企業は16社、募集者数は6697人。2018年1年間の12社、4126人を上回っている(東京商工リサーチ調査)。もちろん中にはギリギリのところでリストラを踏みとどまっている経営者もいる。
しかし、中西会長の発言が、他の企業に安易なリストラに免罪符を与えてしまい、しっかりした議論のないまま終身雇用見直し・廃止が定着しかねない危険性を秘めている。
■トヨタ社長の真意は終身雇用の見直しではなかった
一方、リストラ企業が増えたといっても、終身雇用を堅持する大企業や中堅・中小企業が少なくないのも事実だ。
たとえばキヤノンのように欧米型の職務給に近い「役割給」の賃金制度を導入し、実力主義による昇給・昇進によって従業員の意欲を引き出す施策を展開しながら終身雇用の看板を捨てていない企業もある。欧米企業のように新卒・中途に限らず企業が求めるスキルと能力を持つ人を採用する「ジョブ型雇用」と終身雇用は必ずしも両立しないものではない。
そうした中で、終身雇用企業の代表格であるトヨタ自動車の豊田章男社長の終身雇用に関する発言が話題になっている。
5月13日の日本自動車工業会の会長である豊田社長が2019年度の定時総会後の記者会見で「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入っている」といった趣旨の発言をした。
一見、中西会長の終身雇用見直しと同じ趣旨の発言のように思えるが、当日の発言内容をよく読むとニュアンスはかなり異なる。実際には経団連の中西会長の終身雇用は難しいとの発言についてどう思うかと聞かれ、こう発言している。
「多様化してきている。会社を選ぶ側に幅が広がってきた。他国に比べると転職はまだまだ不利。日本はなぜ今まで終身雇用ができてきたのか。雇用を続ける、雇用を拡大している企業に対して、もう少しインセンティブをつけてもらわないと難しい局面にきている。すべての人にやりがいのある方向に向いているのではないか」(MAGX NEWS「豊田章男自工会会長、『自動車を戦略産業に!!』」2019年5月13日 より)
まず前提として日本自動車工業界の会長として発言していることに留意が必要だ。問題は「もう少しインセンティブをつけてもらわないと」と言っているインセンティブの意味だ。
実はその前段で豊田社長は「自動車産業は全体で15兆円の税収貢献している。これに対して1300億円減税された。(中略)国には納税産業ではなく、戦略産業としての視点を持ってもらいたい」と言っている。
ここから類推すると政府に対して何らかのインセンティブを求めていることがわかる。
つまり、豊田社長は「終身雇用によって日本の雇用を守っているのだから、それなりの優遇策を考えてほしい」と注文をつけているのであって、終身雇用の見直しを表明しているわけではない。
また「会社を選ぶ側に幅が広がっている」と、終身雇用志向の人だけではなく、転職によるキャリアアップ志向の人が増えていることを認めつつ、今の日本の現状では「転職はまだまだ不利」と指摘。そのうえで「なぜ日本で終身雇用が成立しているのか」と、むしろその重要性を評価しているようにも聞こえる。
■トヨタの人事担当者に読み継がれている『人事は愛!』という本
そもそもトヨタの終身雇用は豊田社長の一存でひっくり返るような代物ではない。創業以来、会社を支え、受け継がれてきた理念である「人間性尊重」に根ざしているからだ。
トヨタの人事担当者に読み継がれている『人事は愛!』という本(非売品)がある。
著者は故・畑隆司元常務役員。トヨタのグローバル人事の礎を築いた人だ。畑氏はトヨタの人事管理の本質は「改善」と「人間性尊重」にあると言っている。
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そして雇用を守るだけではなく、給与などの労働条件の維持・向上も「人間性尊重」に含まれていると言う。こうしたトヨタの哲学は、欧米流の株主利益重視や雇用規制の緩和など、グローバル化の流れで逆風にさらされてきた。だが、逆に畑氏はトヨタの考え方は一つのモデルになると言っている。
「成長の機会を提供する、あるいは家族まで含めて幸せにする、というようなことが必要ではないか。こういう考え方は、理論や経済学で説明することは無理かもしれないけれど、実際にトヨタはそういうことを70年間もやってきたのです。逆に言うと、我々はそういうふうに会社を捉えて、従業員と会社の関係を定義する以外に、経営の仕方を知りません。だから、今のグローバル化の流れに押されて、変なことをしてしまったら、我々の企業基盤そそのものを失ってしまうのではないか」
終身雇用を含めて従業員を幸せにするという哲学がトヨタの企業基盤を支え、今日の隆盛を築いたという自負が感じられる。畑氏だけではない。バブル崩壊後大量リストラに走る経営者が多い中、「雇用を守れない経営者は腹を切れ」と発言した奥田碩元社長にも受け継がれている。
■見直し・廃止論に走る前に企業が整備すべきこと
こうした考えはトヨタだけではなく、終身雇用を標榜する多くの企業にも共通するものだろう。
もちろん企業によって会社と従業員の関係について、さまざまな考えや哲学があってもいい。むしろそのほうが健全である。斜陽業種や、高収入の50代以降の社員が働かず下の世代に不満がたまっている企業の場合、社員の入れ替え・縮小などによる人員の刷新で生き残りを図らざるをえないこともあるだろう。
しかし、「終身雇用の見直しが正しい、当然である」といった一部の意見をあたかも全体の趨勢のように扱うやり方は不公正かつ不健全ではないだろうか。
仮に終身雇用を見直していくのであれば、これまで企業に依存してきた教育や能力開発の仕組みをどうするのか。
ジョブ型採用からはじき出される学生や、途中で追い出される社員の再教育と就職のあっせんなど、雇用の流動化に対応した社会的セーフネットが不可欠になる。
経団連は単に会長にアドバルーン的な発言させて終わりにするのではなく、経済界のリーダーとして終身雇用に代わる政策プランをパッケージとして提示してほしいものだ。
(人事ジャーナリスト 溝上 憲文 写真=時事通信フォト)
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