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棋士が色紙に書く"賢そうな言葉"の選び方

プレジデントオンライン / 2019年6月16日 11時15分

▼座右の銘を披露

■羽生九段の「運命は勇者に微笑む」

好きな言葉や座右の銘、生き様や信念が反映された言葉など、思い思いの字を色紙などにしたためることが「揮毫」ですが、将棋の棋士は昔からしばしばそういう機会があります。特に扇子に書くときなんかは、みんな気合が入るんですよ。

棋士の揮毫は、1人が一通りというわけではなく、みなさん複数持っています。ただ、今の若い棋士が書かれるのは、意味がちょっとわからないことが多くて、政治家かよと(笑)。1度、「これ、どういう意味なんだよ」と聞いたら、「いや、書道の先生に教わったもので」って。日本将棋連盟では、東京と大阪に部活動みたいなノリの書道部があります。そのせいか、今は拙い字の棋士が本当に少なくなっちゃいました。そこに参加しないまでも、書道の先生にいろいろ奥床しい言葉を聞いて憶えるということはあると思います。

羽生さん(善治九段)がよく書いているのは「玲瓏」や「泰然自若」。大山先生(康晴十五世名人)の「王将」や「忍」、大山先生のライバルだった升田先生(幸三実力制第四代名人)の「新手一生」はよく知られています(以上写真・表参照)。私の師匠の米長先生(邦雄永世棋聖)は「惜福」。中原先生(誠十六世名人)の「無心」は、書きやすいので私も真似させていただきました。

最近の羽生さんの「運命は勇者に微笑む」って、いいですね。将棋の終盤戦って、ものすごく心細いんですよ。何か間違っているんじゃないか?と自分を疑ったり。そういう場では勇気を出すのが大事ってことですね。これほんと、凄くいい。こうした言葉は、本当にその人そのものだと思えるくらいフィットしていると思います。あまり意識せずに、自分に合うフレーズを自然と選んじゃうってことだと思います。古典から引っ張るのもいいけど、それじゃつまらない。自分のシンボルなんですから、普段の読書なんかで自然と感銘を受けた言葉を、素直に選ぶのがいいんじゃないでしょうか。

私は、株取引をよくやっていたときはジャン・コクトーの「青年は決して確実な株を買ってはならない」が好きでしたが、一番多く書いてきたのは「棋は対話」。将棋は相手の意を汲み取って裏を返し、相手がまたその裏を突き、さらに勝負手を繰り出す。そうした駆け引きそのものが、物言わぬ対話であるわけです。勝負の本質は、相手とのそうした見えざるコミュニケーションにあるんじゃないでしょうか。

「冬来りなば春遠からじ」というイギリスの詩人シェリーの詩の一節からとったフレーズも、私はよく書きます。なんとなく書いていた時期が長かったのですが、2017年に、私はうつ病になって1年間休場したんですね。復帰して心底、この言葉の意味を痛感しました。

「私はファンの目の前で揮毫する際は、できるだけ相手の顔を見ながら書くようにしています。地方に行くと、随分前に私が書いた色紙を大事に飾ってくれたりしているので、うれしいですね」(先崎氏)

うつ病の真っ只中にいるときは、本もまともに読めなかった。そもそも文字が頭に入ってこないんです。もちろん将棋も指せません。電車に乗るのに駅に行くのが怖い。正確にいうと、ホームに立つのが怖い。飛び込みそうになる、というか線路に自然に吸い込まれそうになるんです。

精神科医である兄の説得で精神神経科へ入院したんですが、体全体が重くだるく、頭の中は真っ暗でした。一日の中でも気分の調子が変わり、ベッドから起きられない日もありました。復帰したいとか勝ちたい気持ちよりも「弱くなりたくない」という恐怖に押しつぶされそうでした。

そんなときに支えになったのが、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルの演説でした。第二次大戦でナチスドイツと戦い、危機に陥っていた状況下で、「大英帝国と英国連邦が1000年存続したあかつきには、『このときこそが最高のときだったのだ』と人々が言えるように振る舞おうではありませんか」と国民に訴えかけた有名な一節です。このフレーズを思い出した頃には、もう、絶対に負けないぞと心を奮い立たせられる状態にまで回復していました。

■心にすっと染み入る、故大山名人の一言

将棋界には、自分の師匠とは違う筋の師匠との交流は当たり前のことで、米長先生だけでなく、大山先生にも非常に可愛がってもらいました。盤上では鬼のような強さを発揮されましたから、世間では怖いイメージですよね。でも盤外ではやさしくて、本当に大らかな人でした。大名人で将棋連盟の会長だったんですけど、イベント会場では自ら率先して将棋盤や椅子を運んだりされるので、周りの人間が冷や冷やして戸惑っていました。ああいう人を大人物というのでしょうね。

大山先生は受け(守り)の強さで知られ、「守りの駒は美しい」という揮毫も有名でした。ある日、「先崎君、将棋というのは自分の玉を見るものなんだ」とおっしゃいました。これは「相手の玉を見ると自分の玉に目がいかない。自分の玉を見ていれば自然と相手の玉も、ひいては盤全体も見える。だから将棋は自分の玉を見るものなんだ」という意味でした。実践的で、かつ心にすっと染み入るようで印象に残っています。

■昔の日本の庶民の文化を残していきたい

私が将棋の世界に関わりだしたのは8歳くらい。当時の将棋道場は、ガラのよろしくないオッサンたちの溜り場でした。オッサンたちは、交互に指しながら、「初王手、目の薬」とか「鬼より怖い王手飛車」「歩ばかり山のホトトギス」なんてブツブツいいながら指すんです。そういう言葉遊びも含めて、将棋を楽しんでいました。私はあえてそういった昔の日本の庶民の文化を残していきたいと思っているんです。だからこの3つも、よく色紙に書いています。

将棋はそうした伝統のある芸事でありながら勝負の世界でもあり、そこに棲む棋士は世間でも特異な存在。将棋以外のことは、本当に潔いくらい何もできません。その代わりというか、やはり格好よい姿を、ファンやそれ以外の方々に伝えていくんだ、という気持ちはありますね。

品格を上げるポイント:自然と感銘を受けた言葉を、素直に選ぶ

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先崎 学
将棋棋士九段
1970年、青森県生まれ、81年米長邦雄永世棋聖門下、奨励会入会。87年四段。2014年九段。棋戦優勝2回。著書に『うつ病九段』『棋士が数学者になる時』ほか多数。

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(将棋棋士九段 先崎 学 構成=篠原克周 撮影=初沢亜利、石橋素幸)

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