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"時代遅れ"の浅草の老舗パンに行列のワケ

プレジデントオンライン / 2019年6月25日 9時15分

陸店長(写真中央ジャケット)と実母の馨社長(右端)。

東京・浅草の田原町にべらぼうにうまいパン店、ペリカンがある。商品はもっちりした食感が味わい深い食パンとロールパンのみ。予約可能だが、1日分に当たる食パン400~500本、ロールパン4000個が売り切れたら閉店だ。ここ数年の“パンブーム”の一翼を担っているといっていい。地道に誠実に、素朴で飽きのこないパンをつくり続けて76年。その味が再評価され、連日行列が絶えない。ブームの機運に乗りつつ、浮かれずにその味を守り抜く覚悟を持つ次世代が最近、屋号を継いだ。中沢孝夫兵庫県立大学大学院客員教授が、老舗パン店の今に迫る。

■「時代遅れのパン」が、ブームの中心に

▼地域とブランド

「2代目の祖父・多夫は夕食後、自分のパンをまるでデザートのようにおいしそうに食べていたんですよ(笑)。商売が苦しい時期もあったはずですが、そういう話はしない人で、そんな祖父が僕は大好きでした。だからさほど悩むことなく、自然に家業を継ぐ気持ちになりました。店主自身も毎日おいしく食べているパンをつくり続けたいと」

ペリカン専務取締役兼店長で4代目の渡辺陸氏(31歳)。叔父の猛氏が3代目となった2007年当時は、パンブームの兆しもあり業績はよかったが、それ以前は厳しい時期が続いた。

「バブル時代は浅草全体の調子も悪く、当店の売り上げも今の半分くらいだったらしい。華やかさに欠ける時代遅れのパンと思われたのでしょう。ですから、常連さんや卸しているレストラン、喫茶店などに支えられました。業績上昇のきっかけは1990年代半ばにTV番組『出没!アド街ック天国』で紹介されたこと。その頃から客層に変化が起きて、常連さん以外のパン好きや観光客の方々も買いにきてくださるようになったそうです」(陸氏、以下同)

たった2種類のパンしか扱わないのは、巷にパン店が増え始めた時期に2代目の多夫氏が「周りのパン店と競争したくない。だから、品数を絞って味を深く追求し、ホテルやレストランなどに卸す高級パン専門にしよう」と考えたのがきっかけだという。国民の生活レベルが上がった現在は小売りの売り上げが7割だが、3割は今もつき合いの長い飲食店向けの卸。味に妥協は許されないのだ。

「職人の大切な能力の1つは“普段と異なったこと”への対応能力。たとえば、仕込みをミスした際の修正能力や、木の破片などが混入しないような気配りができないと職人にはなれません」

従業員の平均年齢は約38歳。辞める者があまりいないという。幸い、4代目の陸氏だけでなく、職人にも後継者たちが育っているそうだ。

■「浅草」ブランドに求められるものとは

このマインドにこの上なくフィットしているのが、ほかでもないペリカンの本拠地・浅草だ。

江戸の大衆文化の中心地であり、明治・大正から戦後にかけて栄えた浅草だが、70年代からバブル期は一時衰退。しかし、平成以降に活気を取り戻し、近年は“イースト東京”とも呼ばれ、国内外からの観光客で賑わう。その歴史と、ペリカンのたどってきた足跡とは、当然ながら重なり合っている。

「この界隈もずいぶん変わりました。浅草にこんな時代がやってくるなんて思いもしなかった。浅草に来てくださる方々は江戸の名残やシンプルさを求めています。そんな場で、シンプルな店構えでシンプルなパンだけを販売しているのも当店の強み。味を変えてまで無理に商売を広げないほうがいい」

すでにパンのブランドとして全国的にも名高いペリカンは、そのつもりならビジネスの拡大も可能かもしれない。

「そうかもしれません。映画(17年公開『74歳のペリカンはパンを売る。』)がきっかけとなって当社の歴史を振り返る本も出版され、僕自身も知らなかった過去を知り、とても勉強になりました。でも、渡辺家は商人の家系です。自分たちの目の届く範囲でやりたい」

実は、生産量を増やそうと別の場所に工場をつくろうとしたことがあるが、失敗に終わったのだという。

「曽祖父・武雄のレシピ通りに、この浅草の工場にカスタマイズした窯で焼かないとペリカンの味にならなかったんです。ペリカンのパンの味でなければ商売を大きくする意味がありません。だから、パンを焼く量が決まってしまいますし、販売量も制約せざるをえないという状況です。買いたいときに買えないお客様には、本当に心苦しいのですが……」

「浅草のペリカン」というブランドの重要性を踏まえた決断だが、実際のマネジメントでは、「変わらぬために変わる」という逆説を地でいっている。

朝8時の開店と同時に、行列客への販売を開始する。

「3代目の叔父、猛に“パンの味は変えるな”と厳しく言われました。とはいえ、ビジネスの仕方は時代に合わせて少し変えないと“変わらない味”を伝え続けていけません。17年、母が中心となって近所にペリカンのパンを食べられるカフェをオープンしましたが、それも将来を見据えてのこと。カフェはいわゆる“インスタ映え”のような見栄え、ビジュアルを大事にしています」

もしブームが終わっても“変わらない味”で生き残るため、目の届く範囲での小さな変化は積極的に仕掛けていく。そのさじ加減をコントロールすることが、あくまでも個店として生き残ろうとするペリカンの戦い方なのだ。

「普通のパン店でありながらブランド商売でもあるペリカンという店をこの先、80年、100年と続けていくためにも、慎重にやっていきたい」

▼地域とブランドのポイント:「変わらぬ」と「変える」のさじ加減をコントロール

会社概要【ペリカン】
●本社所在地:東京都台東区
●従業員数:18人
●社長:渡辺馨
●専務兼店長:渡辺陸(成蹊大学経済経営学部卒業。2010年入社、14年より現職)
●沿革:1942年渡辺パン創業。57年ペリカンに改名。売上高17年度1.6億円、16年度1.7億円。

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中沢孝夫
兵庫県立大学大学院客員教授
1944年、群馬県生まれ。全逓中央本部勤務の後、立教大学法学部卒業。約1200社のメーカー経営者や技術者への聞き取り調査を実施。具体的でミクロな経済分野を得意とする。著書に『転職のまえに』『世界を動かす地域産業の底力』ほか多数。

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(兵庫県立大学大学院客員教授 中沢 孝夫 文=中沢明子 撮影=石橋素幸)

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