ノーベル賞学者に製薬企業が期待すること
プレジデントオンライン / 2019年6月17日 9時15分
※本稿は、広瀬一隆『京都大とノーベル賞 本庶佑と伝説の研究室』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
■研究者の枠を越えた存在となった山中伸弥
「ネクタイをし忘れたんですけど、写真撮影に支障ありませんか」
所長室に入ると、山中伸弥が声をかけてくれた。もちろんこちらとしてはふだんの姿で異存はない。これまで何度もインタビューしてきたが、常に気配りをわすれないのが山中だ。
この日の山中は顔色がよかった。過去には目が落ちくぼんで傍目にも疲れがたまった状態にもかかわらず、時間をつくってくれたこともあった。「3日後に京都マラソンに出場することもあって、コンディションがいいのかもしれませんね」。隣にいる研究所の職員がささやいた。
山中は今や、研究者の枠を越えた存在だ。毎年出場する京都マラソンでは、応援大使として盛り上げ役を担いながら研究への寄付も呼びかける。テレビへの出演も多い。そんな今の様子からは、かつて誰にも顧みられない研究をひっそりとつづけていたとは想像しづらい。iPS細胞が山中の人生を変えたのだ。
「人のiPS細胞をつくることに成功した2007年がいちばん印象に残っていますね」。山中は振り返る。「人のiPS細胞ができたときに、すべてが激変しました。それからは自分自身が実験することはほぼゼロになりました」。
■ノーベル賞という「権威」で企業に変化
実用化が現実味を帯びるにつれて、ほかの研究者や政治家、官僚、企業関係者、そしてマスコミと多種多様な人々とのつきあいが必要になっていった。「そして2012年のノーベル賞のときは、その激変をもう一段加速したようなものでした」。山中は当時を思い出すように、少しうつむいて話した。
ただ、企業からの資金の流れ、という面ではノーベル賞というインパクトは大きかったという。「受賞の前は、非常に新しい技術だし、そこに飛び乗ってよいのかためらう心があったと思うんです。けれどノーベル賞という海外の権威ある賞が与えられたことで、企業の方のマインドにはずいぶん影響したのかもしれません」
iPS細胞は、これまで治らなかった病気に対する「夢の医療」として期待を集めている。一方でiPS細胞には、まだ謎も多い。どうしていったん皮膚など特定の組織に変化した細胞が、もう一度、初期化されるのか。詳細なメカニズムは、依然としてわかっていないのだ。
■整形外科の研修医として働いた2年間
iPS細胞の医療応用ばかりに世間の関心が集まるあまり、純粋な科学研究がしづらくなっている面はないのか。山中自身、応用につながる研究に引きずられているという思いはないだろうか。
「あ、それはないです。患者さんの役に立ちたいと思って医学部に入りましたから。自分自身の基礎研究が役に立つ可能性がみえてきたのはとてもうれしいことですが、同時に正しく伸ばさないといけない。iPS細胞という技術はうまく育てると、ものすごく患者さんに貢献できる。ところが変に焦ったり功を急いだりすると、うまく育たない。そこはちゃんと育つのを見届けたい。使命感もありますよね」
山中は、神戸大医学部を卒業してから2年間、整形外科の研修医として働いた。
「けがをして指がだらーんとなっている患者が夜中に当直しているところに運ばれてきて、徹夜で一生懸命骨を整復し、周りの組織を縫い合わせ、次の日にちゃんと血がめぐるようになって指がつながっているのをみたときは、ものすごい充実感でした」
一方で、リウマチなど治療の難しい病気が多いことも痛感したという。そして研究者としての道を歩むことを決めたのだった。
■iPS細胞は「人類進化の研究」に使えるかもしれない
山中には、新しい医療を患者に届ける、という明確なゴールがある。その目標を達成するために、iPS細胞という未知の細胞を「創造」したのである。そして、iPS細胞には、生命の謎の解明や治療法の開発だけでなく、未知の研究領域をひらく可能性もある。山中は語る。
「iPS細胞という技術をつかって、これまでできなかったようなことを、自分でもやりたいですし、若い人にもやってほしいという期待もあります。たとえばホモ・サピエンスとネアンデルタール人の進化の研究にiPS細胞が役立つ可能性があります。ホモ・サピエンスである現代人類のiPS細胞の遺伝子を操作して、ちょっとずつネアンデルタール人の特徴をもった遺伝子に変えて、そこから脳組織をつくって、脳のはたらきの違いを調べることだってできるかもしれません」
iPS細胞を、人類進化の研究に活用するというアイデアは私には初耳だった。山中と話していると、思ってもいなかった発想を聞かされることが間々ある。科学者というよりもクリエイターという印象すら受ける。山中が、科学の未踏の領域に足を踏み入れていることの表れなのだろう。
■受賞しても「批判的な意見」は届くのか
ちょっと意地の悪い質問もしてみた。ノーベル賞受賞者として尊敬を集める山中の耳に、自身を批判する声が届きにくくなってはいないか、という点である。
たとえば、拒絶反応を起こしにくいタイプのドナーからつくったiPS細胞を備蓄しておく「iPSストック」は山中の肝いりのプロジェクトだが、批判もある。現状では、日本人の大半をカバーできるようにさまざまな遺伝子型のドナーからつくったiPS細胞をそろえようとしているが、拒絶反応を免疫抑制剤で抑える道もあり、再生医療の実用化に向けて本当に必要となるのかは不透明だからだ。
こうした意見は、耳に入っているのか。
「幸い僕が若いということがあって、いってもらっていますけどね。広瀬さんがいわれたような意見を、僕のいる場でも発言される方は多いです」
落ち着いた様子で山中は答えた。
■未知の技術を普及させるには「大学が動く」のが重要
ストックプロジェクトは、産学連携を考える上で象徴的である。今後の再生医療が一般医療として普及したあかつきには、iPS細胞研究所で備蓄していたiPS細胞を企業が用いる可能性があるからだ。
「プロジェクトをやってみてはじめてわかりましたが、大変です。さまざまなタイプの遺伝子型がある日本人の9割をカバーするには、拒絶反応を起こしにくい遺伝子型のドナーが150タイプ必要となるのですが、なかなか思った通りに集まりません。このままではだめなんです。しかしゲノム編集という遺伝子を改変する技術がこの2年くらいで急速に進んでいます。iPS細胞にゲノム編集を施しますと、約10タイプの遺伝子型のドナーをそろえたら日本人どころか世界の大多数に対応することができるんですね。10種類くらいだったら5年くらいでなんとかできるのではないかな」
iPS細胞をつかった再生医療のように、未知の技術を普及させるときには、企業だけに任せず大学が積極的に動くことが重要となる。
「私がノーベル賞を受けたときには、『クリスパー・キャス9』という現在注目されているゲノム編集の技術なんて影も形もなかった。私たちの世界は数年後になにが起こるかわからない。現状の技術だけで、研究の方向性を判断してはいけない。投資や株価を考慮しなければならない企業は長期的なプロジェクトを抱えにくいかもしれませんけれど、失敗を恐れずにやるのは、大学の使命ですよね。ある意味そういう自由を、税金や一般の方からの寄付で担保されている。大学までが目先のことしかできなくなってしまうと、もうブレークスルーは生まれない」
■研究者は「折り返してから」を走ったことがない
では、企業から大学人がまなぶことはあるのだろうか。
「もうめちゃくちゃありますよ。私たちと武田薬品工業との共同プロジェクトが非常に大きい。そこから本当にまなんできた。僕たち研究者はどちらかというと、マラソンの前半を担当している感じなんです。でも後半、折り返してからの部分を研究者は走ったことがない。化合物をみつけてからどうやって薬にするか。保険適用を目指した治験の準備、世界の競合相手の動向、特許の状況。そういう調査をして、最後の仕上げをするというところは日本の企業はものすごいノウハウをおもちです。ただそこにまでもって行く画期的なアイデアや新しい技術が今は企業では生まれにくくなっていると思う」
大学にはない企業の強みについて、山中は明快に見通している。さらに、企業の現状に対する自身の見方を教えてくれた。
「製薬企業は苦しんでいまして、今までのように新しい薬をつくりあげるのが難しくなっているんです。やり方を変える必要がある、と。何十万という人が同じ薬をつかう時代は終わりを迎えつつあって、今はやはりアルツハイマーならアルツハイマーでも、オーダーメイド医療のような方向が生きていく道じゃないかということで、各製薬企業が生き残りで必死です。だから大手企業も、ベンチャー企業などいろいろなところと手をむすび、もがき苦しんでおられるわけですよね」
■「20年後くらいにいただいた方が、気は楽だった」
研究者としての領域を守りつつ、企業とウィンウィンの関係をつくりあげる──。そんな、研究のスタイルを山中は描き出そうとしているのだ。山中が、本庶とはまた違った意味で、広い視野をもった科学者であることがわかる。
大学と企業という二つの領域の架け橋の一つは、間違いなくノーベル賞だった。産学連携に世界的な賞は大きな力を発揮した。
では山中自身は、受賞によってなにを得たのだろうか。
「私はもともと医師ですから、やはり患者さんのために貢献したかった。責任感をより一層感じるようになりました」
達成感より、重圧が強くのしかかってきたようだ。山中は言葉をついで、ほほえんだ。
「できたら今から20年後くらいにいただいた方が、よほど気は楽だったろうな、と思います」
(敬称略)
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京都新聞 記者
1982年、大阪生まれ。滋賀医科大学を卒業し、医師免許取得。2009年に京都新聞社へ入社。在学中に7カ月半アジアを放浪した経験が、ジャーナリストを目指すきっかけになった。警察や司法を担当した後、現在は科学や医療、京都や滋賀にある大学の動きを取材している。iPS細胞をテーマにした連載も執筆した。人文学に強い関心をもち、哲学や生命倫理にかんする記事も多く書いている。
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(京都新聞 記者 広瀬 一隆 写真=時事通信フォト)
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