三菱重工やめ"彼女の父"の仕事を継いだ訳
プレジデントオンライン / 2019年7月2日 9時15分
“地ビール”からクラフトビールへ大転換●「毬花」「瑠璃」「漆黒」など日本の色名をつけた6種類を販売している。2006年のリニューアルの際にはパッケージやブランドロゴもエイトブランディングデザインの西澤明洋氏とタッグを組んでつくり上げた。
ビールの本場、欧州最大のビール品評会「ヨーロピアンビアスター」で金賞、「ワールドビアカップ2018」でも銀賞を受賞するなど、世界が注目するクラフトビール「COEDO」。製造しているのは埼玉県川越市にある農産物商社、協同商事だ。
「COEDO」の以前の商品名は「小江戸ビール」。1990年代に流行した“地ビール”の1つだったが、売り上げが低迷し、一時はビール事業からの撤退も検討したという。しかし、2003年に現社長の朝霧重治氏が副社長に就任し、製造方法からブランディングまでを見直し、国際的評価を受ける商品にまで成長させた。創業社長から事業を承継し、業績を好転させた裏側に何があったのか――。早稲田大学大学院の入山章栄准教授が経営学の視点で解説する。
■マイクロソフトと同様の「両利きの経営」
▼第二創業
本連載では、これまでファミリービジネスの後継者が、従来からある技術・商品に新たな経営視点を取り込んで会社を再飛躍させる「第二創業」に注目してきました。今回の協同商事もまさにその1つです。しかも今回は、創業社長から娘婿である現社長・朝霧重治氏に引き継がれているのが特徴です。「第二創業」成功の要因を、経営学の3つの視点で紐解いていきましょう。
重治氏は、生まれも育ちも埼玉県川越市。義父である創業者の朝霧幸嘉氏(現会長)と知り合ったのは、高校生のころにガールフレンド(現在の奥様)と交際を始めたときだったといいます。
「協同商事は現会長が82年に川越市に設立した会社で、もとは有機野菜を扱う小さな専門商社でした。まだ『有機』という言葉が知られていない時代でしたが、現会長は安心安全な農業を広げたい一心で、トラック1台で起業。産地直送の流通システムをつくり上げました。農業の付加価値を高めたいと、地元の特産品を使ったビール事業、レストラン事業なども展開していました」
重治氏は高校卒業後、一橋大学に入学。企業統治(コーポレートガバナンス)で著名な伊藤邦雄教授(現特任教授)のゼミで会計を学びます。その後、新卒で三菱重工業に入社するのですが、そこで突然ガールフレンドの父親である幸嘉氏に「協同商事を一緒にやろう」と口説かれ、入社1年半で会社を辞め、手伝うことになります。
「三菱重工業での所属先は機械事業部でした。プロジェクトチームのメンバーとして、いろんな職種の人々を巻き込み、オペレーションを回すことを学びました。大手企業を辞めることにもちろん周りは大反対でしたが、私の決心は揺らぎませんでした。もし協同商事が下請け型の中小企業ならそんな気にはなれなかったでしょうが、現会長の話を聞き、『この会社はすごい可能性を秘めたアグリベンチャーなんじゃないか』と感じ始めていたんです。産直、有機、流通・農業生産改革……彼が口にする言葉は新鮮で、話もロジカルでした。『こんな面白いこと、早くやらなきゃダメだ!』と思い立ち、辞表を提出したんです」
カリスマ性と発想力を併せ持つ、イノベーターの幸嘉氏。会計を学び、大企業でエンジニアリング、プロジェクトマネジメントのスキルを学んだ重治氏。真逆のタイプともいえる2人ですが、見方を変えるとCEOとCFOの関係とも見えます。実は、イノベーターと番頭役のコンビが創業したことで成功したとされる企業は、少なくありません。ホンダの本田宗一郎氏と藤沢武夫氏、マイクロソフトのビル・ゲイツとポール・アレンの例しかりです。
ここで解説したい第1の経営学の視点が、世界のイノベーション理論である「両利きの経営」(Ambidexterity)です。あらゆるイノベーションは「新しい知の探索」と「既存の知の深化」をバランスよく両立させることで成り立つという考え方で、91年に米スタンフォード大学のジェームズ・マーチが提唱して以来の主要理論です。
しかし、多くの企業はコストや手間を惜しみ、やがて「知の探索」を怠る傾向があります。その結果、中長期的なイノベーションが停滞する「コンピテンシートラップ」に陥るケースが多いのです。そのような事態に陥らないためには、何が必要か。さまざまな可能性がありますが、ここで興味深いのは、1人ではなく2人の異なるタイプの経営者がペアを組めば、まさに知の探索と深化のバランスを保ち、「両利き」を維持できる可能性です。
私の見立てでは、協同商事の場合も同様だったと考えています。03年、重治氏が副社長に就任したとき、同社はコンピテンシートラップにはまっている真っ最中。業績は低迷し、従業員の表情や言葉にも焦りと不安の色が見て取れる状態だったといいます。
■レストランもすべて閉店
「入社して財務諸表を作ってみると、損益勘定も資産勘定も危うかった。これは大変だと、本気でリストラに取りかかりました。惰性で続けている事業、既に機能を終えている事業はどんどんたたみ、運営コストを下げていきました。3店舗あったレストランもすべて閉店しています」
実際、鉄の意志を持ってリストラを断行した重治氏でしたが、他方でビール事業をやめようとはしませんでした。まさにビールにおける「知の探索」は続けたわけです。
しかし、この決断もまた簡単なものではありませんでした。「当時、1度盛り上がった地ビールブームは急速に衰退していました。94年、ビールの最低製造量が引き下げられたことで、にわかに生まれた小規模醸造所の中には技術力の低いブルワリーもあった。地ビール全体の評判が下がったところに、デフレが追い打ちをかけました。地ビールは定められた副原料以外の農産物を用いるため、発泡酒に分類されるものも多いのですが、世間では発泡酒だから安いだろう、と捉えられてしまう。小江戸ビールも例外ではなく、売り上げは低迷していました」。しかもタイミングの悪いことに、幸嘉氏は事業をスタートさせてまもなく、大規模工場を設立していたのです。
■忘れられなかった欧州のビールの味
では、この完全に赤字ビジネスだったビール事業を重治氏があえて残す決断ができたのはなぜでしょうか。ここで重要なのが、経営学の第2の視点、「センスメイキング(意味付け・納得させること)」です。不確実性の高い時代、危機に直面したときは、魅力的で納得できるストーリー、創業の理念をステイクホルダーに語り、アイデンティティを取り戻す。自分の事業に意味付け・納得ができるからこそ、リスクのある投資でも前進できるわけです。
重治氏の場合、自身の体験を重ね合わせることで、幸嘉氏の創業の原点を理解し、自身と組織に「意味付け・納得」をさせて行ったことが大きかったといえます。
幸嘉氏は「ビールは農業である」という強い信念を抱き、小江戸ビールを造りました。川越産の麦をビールとして活用できないかと考えたのが、開発の発端だったそうです。一方、重治氏は学生時代、ヨーロッパで味わったビールの忘れがたい思い出がありました。
「学生時代、バックパックひとつでいろいろな国を旅していたんです。ロンドンのパブに行けば、人々が味の濃い常温のビールをゆっくりと味わっている。ミュンヘンでは世界最古のビアホールといわれるホフブロイハウスでお客たちがマグを手にじっくり語らっている。キンキンに冷えたビールを一気飲みする日本とはまるで違う世界観に魅了されたものです」
幸嘉氏の「ビールは農業である」という信念、本物志向、安心安全な農業といったキーワードは有機、ロハス、サステナビリティなど現代のトレンドに結びつくコンセプトであることを、副社長の重治氏は感じ取っていました。同時に、ヨーロッパで知ったビールの味、豊かな時間を重ね合わせ、ある確信を抱くようになったのです。「時代がめぐれば手作りで本物志向のビールが理解される。創業の理念も、世に受け入れられる時が必ず来る」。
重治氏は今こそ「ビールは農業だ」という原点に還るべきであること、地ビールではなく、「クラフトビール」というポジショニングを確立すべきだということを、切々と義父に語りました。まさにセンスメイキングです。
ちなみにあくまで私の推測ですが、もし2人が実の父子であったなら、このセンスメイキングは失敗に終わったかもしれません。実家の会社が置かれた状況を客観的に把握することは難しかったでしょうし、父の心情を汲むあまり自分の意見を強く主張するのははばかられたかもしれません。しかし、重治氏は捨てるべきもの、守るべきものを冷静に見きわめ、臆せず義父を説得し続けました。いずれも彼が娘婿だったからこそできたことなのかもしれません。
■巧みなリブランディング戦略
重治氏の事業再生戦略の最大のポイントであり、第3の経営学視点は、その巧みなリブランディング戦略です。「協同商事では、他社の地ビールをOEMで造るビジネスもしていました。しかし、どんなによいものを造っても、ブランディングがうまくないと売り上げには結びつかない。失敗事例をいやというほど見てきました」。
狙ったのは“ちょい高”路線。デフレの風が吹き荒れる時代でしたが、付加価値が求められるようになれば本物志向の商品は注目される、と彼は睨んでいました。
まずやったことは、商品名を変えることでした。そのために何度となくデザイナーと打ち合わせを重ね、従来の地ビールとは違うことをアピールするため、小江戸と呼ばれる川越のイメージは消していきます。シンプルで小気味いい響きだけを残し、「COEDO」としたといいます。さらに、パッケージデザインをスタイリッシュに統一、メディア戦略を練ることで、新しいビールのあり方を提案することにしました。それが、従来のビールとも地ビールとも違う、「クラフトビール」だったのです。
もともと定評のあった味に加え、スタイリッシュなデザインが話題をさらい、07年にはモンドセレクションでCOEDO全商品が受賞するという快進撃が展開されます。折しも航空機のプレミアムクラスが登場するなど高級志向が、消費者の間でもトレンド化しつつありました。
「『ヱビスとプレミアムモルツの隣に置いてください』とスーパーのバイヤーの方に伝えました。『大丈夫です、必ず売れます。缶1本1本に“モンドセレクション最高金賞受賞”と書かれたシールを手貼りします』と胸をはったのを覚えています」
もくろみ通り、COEDOの売り上げは急上昇。グローバル進出も順調に果たし、世界でも15カ国に代理店を置き、今や20カ国以上で流通するまでになりました。
このリブランディング戦略は、ある意味で競争戦略のお手本とも言えます。戦略論の大家であるハーバード大学のマイケル・ポーター教授以来、競争戦略の基本は「価格競争に陥らず、差別化されたポジションをとってプレミアムな位置を維持すること」です。まさに「地ビール」として価格競争するのではなく、「クラフトビール」というリブランディングでの差別化に注力したことが、同社を成功させたのです。
今後造ってみたいのはどんなビールなのか重治氏に尋ねてみると、意外な答えが返ってきました。
「じつはもう1度、『地ビール』をやりたいと思っているんです。つまり、地元、川越産の麦を使い、地元の消費者においしく飲んでいただけたら嬉しいなと。魅力ある街づくりにビールを通して貢献できたらと思っています」
地元農家を応援するために生まれ、世界中で愛されるようになった日本発のクラフトビール「COEDO」。今後、どう発展していくのか、一愛飲者としても目が離せません。
▼第二創業のポイント:「後継者の体験」と「企業理念」を重ね合わせる
●本社所在地:埼玉県川越市中台南
●資本金:9900万円売上高1930百万円(2018年3月期)
●従業員数:120人
●沿革:1975年に生活協同組合の青果物産直事業を開始。82年に株式会社化。有機農業関連、物流、ビール事業が3本柱。ビール事業では、2016年に埼玉県東松山市にCOEDOクラフトビール醸造所を開設した。
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早稲田大学大学院准教授
三菱総合研究所を経て、米ピッツバーグ大学経営大学院でPh.D.取得。2008年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールの助教授を務め、13年より現職。専門は経営戦略論および国際経営論。近著に『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』。
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(早稲田大学大学院 経営管理研究科准教授 入山 章栄 構成=西川敦子 撮影=今村拓馬)
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