東京五輪のテロ対策で専門家が恐れる盲点
プレジデントオンライン / 2019年6月12日 9時15分
注意すべきなのは「一匹狼型」のテロだ――。2016年7月にフランスのニースで起きた、盗難トラックによるテロの現場。打上げ花火を楽しみに海沿いの通りに出ていた見物客に、多数の死傷者が出た。(写真=AFP/時事通信フォト)
■テロリストにとって重要なのは「タイミングと場所」
東京五輪がいよいよ来年に迫ってきた。一方で、五輪を舞台にしたテロが起きるのではないかという懸念も社会にはある。飛行機や電車、地下鉄やバスなどに乗れば、「テロを許さない」「テロ警戒」などの文字を目にするし、鉄道会社などは地元警察と協力して、テロ対策訓練をよく実施している。五輪本番が近づくにつれ、こういった動きは一層進むことだろう。
では、なぜ東京五輪でテロが懸念されているのか、また、どのようなテロが最も可能性があるのか。今回はこの二つに絞って説明したい。
一つ目の、なぜ東京五輪でテロが懸念されているのかだが、これについては、テロリズムの歴史と近年の動向を理解する必要がある。
まず、テロリズムとは、政治的・社会的な主義・主張を持つ組織や個人が、自らの目的を達するために暴力を行使し、社会に不安や恐怖を与える行為である(専門家によって、テロと捉える範囲には少なからず違いがある)。テロ組織は自らの目的を達成するため、暴力という手段で社会に不安や恐怖を植え付けようとする。テロ組織にとって、テロ攻撃とは手段であって、目的ではない。
しかし、何も考えないで行動するテロ組織は存在しない。テロ組織と国家(公権力)が戦えば、国家が勝つ。だから、テロ組織は国家との正面衝突はできるだけ避け、国家の不意を衝(つ)ける機会をうかがう。タイミングや攻撃場所はテロ攻撃の成否を大きく左右するため、テロ組織としては、攻撃によって社会に大きなインパクトを与えることができそうなタイミングを選ぶ。
過去、世界中のメディアの注目が集まる五輪では、そうしたテロ事件が実際に起こってきた。1972年のミュンヘン五輪では、パレスチナの武装組織「黒い九月」が選手村でイスラエル人選手11人を殺害する悲劇があった。1996年のアトランタ五輪では五輪公園に仕掛けられた爆弾が爆発し、1人が死亡、100人余りが負傷した。
21世紀に入っても、2008年の北京五輪の際、中国からの分離・独立を掲げるウイグル系のイスラム過激派の活動が活発化し、2014年のソチ五輪の直前には、ロシアからの分離・独立を掲げるカフカス系のイスラム過激派によるテロ事件が繰り返し発生した。
■「ローンウルフ型テロ」の脅威
さらに、テロ組織とは具体的な接点はないものの、イスラム国やアルカイダなどが発信し続けるイスラム過激思想、また、今年3月のニュージーランド・クライストチャーチのモスク襲撃テロのように、移民・難民への敵意をむき出しにした暴力的な白人至上主義などの影響や刺激を受け、単独的にテロを実行する個人(ローンウルフ)が大きな脅威となっている。
フランスの革命記念日にあたる2016年7月14日、ニースにある海岸線のメインストリートで同日を祝う花火を見物していた人々に向かって、トラックがジグザグに突っ込み、84人が死亡、200人以上が負傷した。実行犯はチュニジア生まれの31歳(当時)で、テロ組織との関係はないものの、事件の数カ月前からイスラム国やアルカイダなどの動画を観るなどして過激化し、ひげも生やし始めていたという。
また、2016年12月19日、ドイツ・ベルリン中心部にあるクリスマスマーケットに大型のトラックが突っ込み、12人が死亡、50人以上が負傷した。実行したのはチュニジア国籍の20代の男で、イスラム国の指導者であるバグダディ容疑者に忠誠を誓い、逃亡先のミランで殺害された。
テロ組織も、ローンウルフ的なテロリストも多種多様であり、それら全てが五輪を狙うわけではない。しかし、過去、テロ組織はタイミングとして五輪を利用しており、イスラム過激思想の影響を受けるローンウルフ的なテロ事件も、フランスの革命記念日やキリスト教行事であるクリスマスの時期に起きている。今年4月21日に発生したスリランカ同時多発テロも、キリスト教の復活祭にあたるイースターのタイミングで、複数のキリスト教会が狙われた。また、上記のモスク襲撃テロも、金曜礼拝で集まるイスラム教徒を狙ったものだった。
■簡単に手に入るものが武器になる
次に、どのようなテロが最も可能性があるのかである。最も現実的に考えられるのは、やはり日常生活で簡単に手に入る物を使ったローンウルフ的なテロだ。
新年が明けたばかりの2019年1月1日未明、東京原宿にある竹下通りを車が暴走し、8人が負傷する事件があった。車を運転していたのは職業不明の21歳の男で、1月5日の朝日新聞の報道(※1)によると、「死刑制度に反対している、同制度は国民の総意、だからなるべく多くの人を狙った」などと供述したとされる。同事件は依然として不明な点も多いが、東京五輪で懸念されるのはまさにこういったタイプのテロだ。
銃器の入手や自爆装置の製造は、実際問題として日本ではかなり困難だが、車両などは簡単に購入/レンタルでき、また刃物などは日常的に手に入る。日常的に手に入る車両やナイフという“武器”を使って、大勢の人が集まる場所に突っ込んだり、振り回したりするのは、今日では流行のテロ手法になってしまっている。原宿の事件は、外形上、上記のニースやベルリンの事件と何ら変わらない。
■組織的なテロは日本では考えにくい?
一方、21世紀になってイスラム国やアルカイダなど国際的なネットワークを持つイスラム過激派によるテロが後を絶たないことから、国内でもそういったイスラム過激派によるテロを懸念する声がある。
しかし、筆者は東京五輪でこういったテロ組織のメンバーがテロを起こす恐れは低いと考えている。なぜならば、イスラム国やアルカイダなどは、主として欧米諸国やイスラエルを敵とみなしているからだ。
2013年1月のアルジェリア・イナメナス人質テロ、2015年3月のチュニジア・バルドー博物館襲撃テロ、そして4月のスリランカ同時多発テロのように、イスラム過激派組織によるテロで日本人が犠牲となった事例はあるが、それらは“日本人を意図的に狙った”ものではなく、“日本人が巻き込まれた”テロ事件である(2016年7月のバングラデシュ・ダッカレストラン襲撃テロについては、今後の調査が待たれる)。
また、アルカイダなどは過去に日本を狙うとする声明を出したことがあったが、それによって戦闘員らが全面的に日本人を狙っているわけではなく、そのようなテロ事件は実際起こっていない。さらに言えば、そういった組織のメンバーが日本に入国することも難しく、日本国内に彼らが好むような環境が整っているわけではない。
以上のような事情に照らすと、要はテロ組織以上に、その過激思想とテロ手法がより現実的な脅威である。インターネットや会員制交流サイト(SNS)がここまで進んだ現代において、思想や情報といったものは簡単に国境の壁をすり抜ける。テロ組織のメンバーの入国阻止も重要であるが、現実的な脅威はすぐ側にあり、より身近なテロ対策こそ重要だ。
■人混みに近づかない、長居しない
身近にいる人間が、手に入りやすい物を利用して行うローンウルフ型のテロは、防止することが極めて難しい(テロという行為はもともと、実行する側に有利なものだが)。ひとつの対策として、大勢の人々が集まる場所を「歩行者天国」として車両の通行を禁止し、その外に車両の進入を防止する強固なブロック塀などを置くことは有効だろう。
各自でできるテロ対策もある。五輪の期間中には、会場やその周辺だけでなく、新宿や渋谷などでも大勢の人々が集まることが考えられる。そのような場所をできるだけ「避ける」「近づかない」、もしくは「長居しない」など、注意を持って行動することで、巻き込まれるリスクを下げることができる。
また、2015年11月のパリ同時多発テロや、2017年5月のマンチェスターアリーナ自爆テロでは、大きな音が響き、大勢の人でごった返す閉ざされたコンサート会場が標的となった。歌手の声や楽器の音で銃声に気づくのに遅れ、うまく避難できなかったとの声も聞かれる。東京五輪でもコンサート会場のような状況が一部で想定されることから、非常口を事前に確認する、周囲の音に注意が払えるようイヤホンを付けない、といったことも意識したいところだ。
東京五輪本番まで、あと1年しかない。身近なテロ対策からでもいいから着実に実施していけば、それが社会の意識を向上させ、五輪の安全な成功にもつながるはずだ。
※1: 朝日新聞ウェブサイト2019年1月5日「原宿暴走の容疑者、動機を『死刑支持許せず』と供述」
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オオコシセキュリティコンサルタンツ アドバイザー/清和大学非常勤講師
1982年生まれ。岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員、日本安全保障戦略研究所(SSRI)研究員、日本安全保障・危機管理学会主任研究員などを兼務。専門分野は国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論。共著に『テロ、誘拐、脅迫 海外リスクの実態と対策』(同文館)、『技術が変える戦争と平和』(芙蓉書房)など。日本安全保障・危機管理学会奨励賞を受賞(2014年5月)。
研究プロフィール https://researchmap.jp/daiju0415/
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(オオコシセキュリティコンサルタンツ アドバイザー/清和大学 非常勤講師 和田 大樹 写真=AFP/時事通信フォト)
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