中国共産党の「一党独裁」が今も続くワケ
プレジデントオンライン / 2019年6月15日 11時15分
※本稿は、宮本雄二著『日中の失敗の本質 新時代の中国との付き合い方』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■中国への過重な制裁は受け入れられないとした日本政府
1989年6月4日の天安門事件は、私が情報調査局(現・国際情報統括官組織)企画課長に就任した直後に起こった。正確に言うと、その前日の3日に宇野宗佑外相が首相に就任し、私も宇野外相秘書官の職を解かれ、この新ポストに就いていた。
このポストは、G7サミットの政治部門を担当する。日本側の事務方交渉チームは、國廣道彦外務審議官、山下新太郎情報調査局長、小倉和夫経済局審議官、そして私だった。山下局長を除く3人は、73年に私が中国課勤務を始めたときの、課長、首席事務官、そして平事務官の関係にある。この“上下関係”はたちどころに復活した。
サミットのホスト国はフランスであり、ミッテラン大統領はフランス革命200周年だというので、天安門事件を人権問題として大々的に扱う方針を打ち出した。これに他の西側諸国も同調した。
日本政府は、その観点から中国を厳しく批判すること自体には反対しなかった。深刻な人権問題であることに間違いはないからだ。しかし中国に対する過重な制裁は、せっかく世界に扉を開いてきた中国を再び閉じこもらせ、西側に対する敵愾心をあおることになるので受け入れられないという立場をとった。
最後は、アメリカのブッシュ大統領(シニア)の支持も得てG7による対中制裁の内容は緩和された。ブッシュがアメリカの在中国連絡事務所の2代目所長、つまり実質の駐中国大使だったことが、中国に対する理解も日本側と近く、似た立場をとらせたのだろう。
■「対中経済協力」の再開が不可能な状況
天安門事件は中国国内に大きな衝撃を与えていた。鄧小平の始めた新政策に対する批判も強まっていた。国を開き国内を改革する政策が、西側の価値観に同調し共産党に反対する勢力を増長させたと、厳しく批判されていた。日本政府は中国の改革開放政策を持続させることにより、中国と国際社会の関係を維持するべきだと判断した。改革開放政策が失敗し、世界に対し敵対的な毛沢東時代に戻らせるわけにはいかないからだ。そこで対中経済協力の再開問題が急浮上してきた。90年、私は中国課長になった。上司は谷野作太郎アジア局長だった。
北京の橋本恕大使からは「対中経済協力は中国に対する明確な約束事であり、直ちに実施すべきである」という強い意見をもらっていた。橋本大使は、72年、日中国交正常化のときの中国課長であり、田中角栄首相、大平正芳外相の厚い信任を得ていた。中国側の信頼も厚かった。だが日本国内の対中批判は厳しく、欧米の動向もあり、対中経済協力の再開は不可能な状況だった。
■中国側に動きをつくらせる外交努力に出た
そこで中国側に動きをつくらせ、それをテコに対中経済協力の敷居を下げる外交努力をすることになった。私も何度もアメリカに足を運んだが、アメリカ側は世論を納得させる決め手を何にしたらいいか決断しかねていた。われわれには時間がない。そこで当時、北京のアメリカ大使館にかくまわれていた方励之の出国問題に絞って工作することにした。
方励之は物理学者だが、天安門事件の理論的指導者でもあった。彼の出国は人権問題での進展を意味する。橋本大使にも積極的に動いてもらった。この間の経緯は、2007年6月、伊藤正産経新聞中国総局長(当時)が橋本大使に対する取材も加味して記事にしている(「反体制天文物理学者・方励之氏 中国出国、日本が協力」Sankei Web。2007年6月18日)。橋本大使に対する感謝の気持ちは、あの当時の駐中国アメリカ大使だったジェイムズ・リリーから97年、私も直接聞いている。
■経済協力を再開しNPTへの参加を約束
その後、米中の直接接触の模様もいろいろ語られているようだが、日本の動きが方励之出国に大きな役割を果たしたことは間違いない。そうすることにより中国が待ち望んでいた日本の経済協力が再開される可能性が高まるからだ。90年6月25日、方励之夫妻の出国が実現した。同年7月9日から11日まで開かれたG7ヒューストン・サミットにおいて、日本の対中円借款の再開に異議を唱える首脳はいなかった。
91年7月のG7ロンドン・サミットにおいて、海部首相は訪中について各国首脳に仁義を切った。海部首相は翌8月、天安門事件後、G7首脳として初めて中国を訪問した。このとき中国側に働きかけて中国の立場を変更させ、NPT(核不拡散条約)への参加を約束させた。中国に改革開放政策を続けさせ国際社会にさらに関与させるという日本の外交目的は達成された。
■表舞台から姿を消した鄧小平
1989年の天安門事件の後、外務省で中国課長をしていたころ、鄧小平が一時表舞台から姿を消していて、その動向に関心が集まっていた。天安門事件は、改革開放政策をやったから起こったという中国国内の批判が強まり、鄧小平はその責任を取って表舞台から去った、という説もささやかれていた。
そのとき上海の蓮見義博総領事から面白い電報が届いた。中国の知識人が「鄧小平は“韜晦(とうかい)”しているだけで、いずれ表に出てくる」と解説してくれたというものだった。これを読んで鄧小平は必ず復活すると確信した。まさに有名な“韜光養晦(自分の本心や才能、地位などを包み隠すこと)”そのものだったのだ。
■依然として根深い「相互不信」
中国は、1980年代の終わりから90年代にかけて、天安門事件とソ連の危機の時代を鄧小平の知恵に助けられて生きのびることができた。今考えれば、この時代は中国共産党にとり、いかに激動の時代であったかが分かる。中国共産党はソ連や東欧の共産政権の崩壊を徹底的に分析し、その轍を踏まないことを肝に銘じた。鄧小平の“韜光養晦、有所作為(為すべきを為して業績を上げる)”の外交政策がその“宝刀”だった。
この方針に従い、中国は欧米の警戒心を呼び覚まさないように、細心の注意を払いながら外国との関係を進めていった。ソ連が崩壊し、西側民主主義が勝利したという自信を背景に、欧米も余裕をもって中国を温かく見ていた。しかし2012年以来の中国の変化が西側の対中観を大きく修正した。17年のアメリカの「国家安全保障戦略」において、中国とロシアが並んでアメリカの主要な敵対国と記載されたことが、そのことを如実に示している。しかも中国の方が先に書かれている。
日本においても中国が本気で今の国際的な仕組みを守ろうとしているのかについて確信をもてないでいる。中国が、現在の欧米を源流とする理念ないし価値観に基づく国際的な仕組みを支えるはずはないという強い疑念があるからだ。
このように中国をめぐる国際環境が大きく変化する中で、相手の意図に対する相互不信は依然として根深い。根気強い対話を通じ、あるいは実際の行動の積み重ねを通じて徐々に相互不信を解消させていくしか方法はない。
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元中国大使
1946年福岡県生まれ。日本日中関係学会会長、宮本アジア研究所代表、日中友好会館会長代行。69年外務省入省。欧亜局ソヴィエト連邦課首席事務官、国際連合局軍縮課長、アジア局中国課長、軍備管理・科学審議官、駐アトランタ日本国総領事、駐ミャンマー連邦日本国特命全権大使、沖縄担当大使など歴任したのち、2006-10年、駐中華人民共和国日本国特命全権大使。10年に退官。著書に『これから、中国とどう付き合うか』(日本経済新聞出版社)、『激変ミャンマーを読み解く』(東京書籍)、『習近平の中国』(新潮新書)、『強硬外交を反省する中国』(PHP新書)などがある。
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(元中国大使 宮本 雄二 写真=時事通信フォト)
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